最近「無」に関する本を読んでいる。いきおい禅関係の本が多くなる。
ところが著者によって言うことが違うのだ。
「無」と「空」は同義語であるとする人や、いや全く別物であるという人もいる。
西洋語では「無」に該当する言葉はないそうだ。「非有」としかいえないという。
よく考えてみれば、何にもないことに「無」という名称があることさえおかしい。
実際、そのことに言及している本もあって、言語とは何か?から問題にしている。それがまっとうな態度かとも思うけれども、そこから説き起こすと、きわめて難解となる。
難解なのは別に嫌いじゃないけれども。
ところが著者によって言うことが違うのだ。
「無」と「空」は同義語であるとする人や、いや全く別物であるという人もいる。
西洋語では「無」に該当する言葉はないそうだ。「非有」としかいえないという。
よく考えてみれば、何にもないことに「無」という名称があることさえおかしい。
実際、そのことに言及している本もあって、言語とは何か?から問題にしている。それがまっとうな態度かとも思うけれども、そこから説き起こすと、きわめて難解となる。
難解なのは別に嫌いじゃないけれども。