「後世の歴史家の判断に任せよう」という言葉があるが、正しいと思う。判断から逃げているわけではない。現在の出来事には利害関係が絡むから、価値観抜きでの判断はできないということだ。中韓との歴史問題は、まだ70年しかたっておらず存命者さえいるから、語るのは尚早だということだ。
中韓との歴史問題も支関係配についてだが、教科書的な歴史には支配者のことばかり出てくる。歴史ってそれだけかよと思ってしまう。
教科書的な歴史には関ヶ原の戦いを「天下分け目」として、支配者が定まるターニングポイントとしてしかとらえられていない。私がもっと興味があるのは、「何千何万の軍勢」の食事や排便はどうしていたのかというような素朴な疑問なのだが、語られない。
大衆史というものも別にあるのだろうが、どういう書物がそれに該当するのか私には分からない。仕方がないから民俗学の本を読むのだが、今度は風俗史になっていて、支配史との中間がない。
その時代に当たり前のことは記録に残されない。今何を食べ何を着て、どういう仕事をしているのかは、当たり前過ぎてかえって書き残されない。歴史研究にはそういう限界があるようだ。
中韓との歴史問題も支関係配についてだが、教科書的な歴史には支配者のことばかり出てくる。歴史ってそれだけかよと思ってしまう。
教科書的な歴史には関ヶ原の戦いを「天下分け目」として、支配者が定まるターニングポイントとしてしかとらえられていない。私がもっと興味があるのは、「何千何万の軍勢」の食事や排便はどうしていたのかというような素朴な疑問なのだが、語られない。
大衆史というものも別にあるのだろうが、どういう書物がそれに該当するのか私には分からない。仕方がないから民俗学の本を読むのだが、今度は風俗史になっていて、支配史との中間がない。
その時代に当たり前のことは記録に残されない。今何を食べ何を着て、どういう仕事をしているのかは、当たり前過ぎてかえって書き残されない。歴史研究にはそういう限界があるようだ。