院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

吉永小百合さんの姉と松たか子さんの姉

2011-07-16 06:23:58 | Weblog
 私より少し上の世代にとっては、吉永小百合さんは永遠のアイドルだそうだ。あのタモリさんもサユリストである。吉永さんは私よりも年上だが、本当にいつまでも楚々としている。

 松本幸四郎さんの娘、松たか子さんを私は美人だと思う。18歳でデビューしたときから自信にあふれていた。松さんは、自分がかなりの%の男に好まれることを知っているかのようだ。

 このお2人には実は姉がいる。そのことを知っている人は少ないのではないか?(それとも、けっこう知られていることなのか?)それぞれの姉は芸能界とは無縁のところにいる。

 私は吉永さんの姉も、松さんの姉も見たことがある。正直言ってお2人とも芸能界向けの容貌ではない。

 つまり吉永さんも松さんも、造化の妙というか、偶然に美人に生まれたのである。

松本元大臣は軽そう状態

2011-07-15 13:10:04 | Weblog
 九州大学病院が、松本元大臣は軽そう状態だと発表した。これで全ての説明がついた。

 TVで頻繁に流された福島県知事との面談での不遜な態度も、そう状態なら納得できる。民主党の原口代議士がTVで「あの映像を見てびっくりした。ふだんは温厚な人なのに、あんな松本さんは初めて見た」と語っていた。今回が初のそう病相なら、そう見えるだろう。

 別の知事に子供っぽくサッカーボールを蹴っていたのも、そう状態なら不思議はない。TVに写っているのに傲慢な態度を隠さなかったのも説明できる。

 これらの映像は、そう状態がどういうものなのか、一般の人たちに啓蒙の役割を果たすだろう。九大が発表した「軽そう状態」と「本物のそう状態」の区別は程度の差なので明確な線引きはできない。

 TVで松本元大臣の振る舞いを見たみなさん、あれがそう状態です。怒りっぽくなったり、はしゃいだりする。もっとひどくなると、夜も寝ないでしゃべりづめにしゃべったり、何百万円の買い物を衝動的にしたり、誇大妄想をもつ場合もある。

 次に心配なのは、松本元大臣が今度はうつ状態になることである。うつ状態になると、そう状態のときに行った行動を恥じる。うつが深くなると自殺する場合もある。九大病院はそれを知っているから、松本元大臣の今後には細心の注意を払うことだろう。

打ち水は土に

2011-07-14 20:39:41 | Weblog
 暑い日が続いている。こういう日には打ち水がよいと言う者がいる。

 一方で、打ち水は土に対してするもので、アスファルトに打ち水しても、すぐに蒸発して湿気が多くなるだけだと言う者もいる。こちらの意見の方が本当っぽい。

 昭和30年代初期、「三丁目の夕日」の時代、うちの前の道路は舗装されておらず、地面だった。土埃よけを兼ねて打ち水をした。水は地面に沁みこんで、湿気は上がらず少しだけ涼しくなった。

 そのころ日本の道路の舗装率は5%だと習った。当時、イギリスは80%だったという。彼我の豊かさの違いを子供心に残念に思った。

 今、日本はかなりの山奥まで舗装されている。ヒートアイランド現象なんていうのも起きている。イギリスはどうなのだろうか?イギリスにもヒートアイランド現象があるのだろうか?

 当時はいろんなことをアメリカではなくイギリスと比較していたように思う。イギリスよりもアメリカのほうを低く見ていたようである。

 私が初めて英語を習った先生はキングズイングリッシュしか認めなかった。together は絶対にトゥゲザーであり、トゥギャザーではありえないと教わった。おかげで、当時、どんどん流入していたアメリカンポップスの発音が分からなかった。

 昨日より今日、今日より明日のほうが豊かであると実感できた時代だった。モータリゼーションが始まる数年前のことだ。

 うちの前の道路はとっくに舗装されていた。

東日本大震災でPTSDがあまり言われない訳

2011-07-13 14:03:45 | Weblog
 東日本大震災でPTSD(心的外傷後ストレス障害)のことが、やかましく言われるだろうと私は想像していた。だが、初めのうち少し言われただけで、4ヵ月たったいまでもほとんど話題にならない。

 これは私の予想に反していた。私は「これからどんどん(身元の怪しい)PTSDという用語がマスコミ上で言われるようになるぞ」と、この欄で予想を立てた。それが外れた形だ。

 なぜ、被災者にPTSD様の症状が起こらないのだろうか?答えは簡単である。被災者が注目され続けているからである。精神分析の用語で言えば「リビドー備給」が十分に行われているからである。「リビドー備給」とは、他人が注目すること、または関心を寄せることである。

 PTSDの「本家」であるベトナム帰還兵は、祖国から歓呼で迎えられるどころか、無関心や反感をもって迎えられた。これがPTSDの「原因」である。中井久夫氏は、今原子炉内で作業している作業員が「(人々から)忘れ去られるとき」PTSD的になるだろうと予言している(2011-05-31)。

 東日本大震災の被災者も、マスコミがうるさいほどに報道してくれるうちは、PTSD的にならないだろう。それを考えると、東日本の直後に起きた長野大震災は報道されることがない。だから、東日本よりも長野のほうが被災者はPTSD的になりやすいだろうと、私は思っている。

ツイッターは面白いか?

2011-07-12 06:58:27 | Weblog
 ツイッターに加入してみたものの、どこが面白いのか分からない。なるほど有名人には面白いだろう。フォロワーが何十万人といれば、いろんなことが発信できる。

 ホリエモンはツイッターが大変お気に入りのようである。70万人以上のフォロワーがいるそうだ。だからホリエモンは、無銭旅行のようなことを自分はできると言っている。たぶん、できるだろう。

 松尾芭蕉がそうだった。彼は各地のスポンサーに招かれて、歌仙を巻いて歩いた。芭蕉が来れば、地域の金持ちが歓待した。そのおかげで、名作「奥の細道」は成ったと考えられる。

 ホリエモンにも支持者が沢山いる。だから、自宅に泊めたがる人も多いだろう。そういうわけで、ホリエモンが無銭旅行ができると言うのも、あながちウソではない。

 一方、私のような無名の者にとって、ツイッターはさして役に立たない。まずフォロワーがゼロである。か言って誰か有名人のフォロワーになるつもりもない。そのような私にとって、ツイッターは何ほどのものでもない。

 他人の「つぶやき」を読んでみても、つまらないことしか言っていない。つぶやいているのは、よほどの閑人と見受ける。

 私はこのブログのように、少しは面白いことが言える。でも、それは日記として残るからであって、残らないツイッターに書いても空しい。

 また、私は自分で言うのもナンだが、ものごとを深く考えるほうである。深く考えたことしか、このブログには書いていない。だから、コメントで反論されてもすぐに反駁できる。そもそも、反駁に値しないコメントは取り上げない。

 ツイッターにはそれがない。私よりずっと浅はかなメンバーとツイッターで討論しても時間の無駄である。無名人でも、もっと面白いツイッターの使い方があるのかもしれないが、今のところ、それを知りたいという欲求はない。

順序が変わると意味も変わる2字熟語

2011-07-11 06:19:40 | Weblog
 漢字の順序が入れ替わるだけで意味がまったく違ってしまう2字熟語があることは、みなさん気付いておられるだろう。

 「社会」と「会社」などが、それである。

 思いつくままに挙げてみよう。

 「家出」と「出家」、「実情」と「情実」、「事情」と「情事」、

 「日本」と「本日」、「名曲」と「曲名」、「山里」と「里山」。

 少々無理がある例もある。

 「出口」と「口出」(くちだし)、「手下」と「下手」(しもて、へた)、

 順序が入れ替わっても、意味の違いが微妙な熟語もある。

 「舟出」と「出舟」、「誕生」と「生誕」、「先祖」と「祖先」、

 「情熱」と「熱情」、「物事」と「事物」、「運命」と「命運」。

 他にも例があるだろう。気付いた方はコメントで教えてください。

クラウドからNASへ

2011-07-10 09:41:45 | Weblog
 最近クラウドコンピューティングとよく言われる。どうも、外に記憶装置を持って、コンピュータ自体の負荷を軽くするらしい。私はウイルスワクチンソフトでクラウドを使っている。だが、ワクチンソフトが勝手にやっていることなので、詳細は分からない。

 この前、私が好きなTV番組ワールトビジネスサテライトで紹介されていたが、クラウドを自宅に持って来る人がいるらしい。その装置をNASという。何の頭文字かは紹介されなかった。

 NASの記憶容量はクラウドの10倍ほどで、値段は2万円弱だという。100テラバイトというオーダーである。

 なぜこのような大容量が必要になったかというと、動画や音楽をコレクションするためである。その上NASだと、スマホから直接に動画や音楽を呼び出せるという。大変なことになったと思う。

 と言うのは、書庫とかCDラックとかDVDラックとかが不必要になってしまうからである。所蔵とか蓄積という観念をNASが変えてしまう。

 私の自慢の書庫(100万円もかかった)が要らなくなるかもしれない。DVDも貯めておく必要がない。

 そのうちにNASはパソコンに組み込まれるだろう。こうして電子出版やネットでの音楽配信、動画配信が活発になると、書店、古書店、DVD店がいらなくなってしまう。図書館もなくなるかもしれない。司書は失業するだろう。

 印刷屋もかなり仕事が減ることだろう。写真プリント屋は、すでに斜陽である。このように世の中全般の経済活動が大きく変化すると、これはただの変化というよりも、もう革命である。

豊橋市役所環境部温暖化対策推進室

2011-07-09 08:12:39 | Weblog
 標題のような部署が豊橋市役所内にある。そこから豊橋市の全所帯に次のようなダイレクトメールが配られた。郵便代だけでも相当な予算を使っている。

 「第2回とよはし省エネコンテスト 応募用紙」

 内容は、どれだけ節電ができ、それがどれだけのCO2 排出削減になったかを競わせる趣旨である。

 差出人が「温暖化対策推進室」。そこが市民にCO2 の削減を奨励している。あからさまにはCO2 が地球を温暖化させているとは書いていないけれども、どう読んでも「推進室」がそのように考えているとしか思えない。

 これは、今回が2回目である。1回目は昨年行われた。しかし、無視してここには書かなかった。でも、こうしたバカバカしいことに今年も私の税金が使われていると思うと心外なので、今回は書く。

 この欄でくどいほどに言ってきたけれども、人間由来のCO2 が本当に地球を温暖化させるのか、はっきりしていない。それどころか、地球温暖化が本当に起こっているのかさえ疑問である。IPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)が地球温暖化の根拠としたホッケー・スティック曲線は、その信憑性が疑われているとは 2011-2-28 に述べた。

 そんな中、豊橋市役所はまだこんなことをやっているのか?あまりの不勉強に驚いてしまう。(実はNHKもまだ温暖化と言っている。これまた不思議である)。

 ほかの市でも、これと類似のことをしているのかどうか私は知らない。豊橋市はゴミゼロ運動(530運動)発祥の地である。それを市は誇りにしている。今度も2匹目のドジョウを狙っているのだろうか?だとしたら今回は大ポカである。

意外な検索語

2011-07-08 06:54:19 | Weblog
 このブログを読んでくださる方々には2種類がある。まず、言うまでもなく常連さん。次が、ある言葉を検索していて、偶然このブログに辿り着いた方々。

 どのような言葉が検索されているかを調べてみると、意外なことが分かる。最近目だった検索語は次のようなものである。

 「先天性中手骨欠損症」

 この奇形は、外見が著しく損なわれるのに較べて、命に別状はない。だからか、この障害はあまり注目されることがない。ほとんどの人が名称さえ知らないのではあるまいか?

 この障害は中手骨(手の中指の骨)がなく、中指の部分が手首まで割れている奇形である。妖怪人間ベムの手は、この障害をモデルにしていると考えられる。

 ウィキペディアにもこの項目はない。でも、人知れず悩んでいる人が多いことが、検索数から窺われる。

 「交互色彩分割法」

 これは私が1978年に芸術療法雑誌に発表した非言語的コミュニケーションの一技法である。30年以上たっても、この語で検索してくれる人がいることが嬉しい。

 近いうちに原著論文をPDSファイルで公開しようとも考えている。

 「正多面体が5種類しかないことの証明」

 正多面体が5種類しかないことはウィキペディアにも載っているいるが、証明は載っていない。証明はいくつかのウェブに載っている。しかし、長い。

 このブログでの証明がもっとも短くて簡潔で、しかもエレガントであると自負している。

タイガーマスク現象

2011-07-06 11:11:14 | Weblog
 案の定タイガーマスク現象は、いっときの線香花火のように終わってしまった。養護施設のランドセルは実は足りていたという話もあった。

 養護施設の子は、学校に入るときよりも出てからのほうが大変だ、とは東京の某私大教授・畏友T君の弁である。T君は日本でもっとも優秀な児童精神科医の一人だと私は思っている。

 T君の話では、養護施設の子が中学を卒業した後、次のような困難があるという。

(1)我が国の高校進学率は1974年に90%を超えたけれども、養護児童の高校進学率は1991年の統計でもなお65.7%に留まっている(うち定時制11.1%)。

(2)一般家庭の中卒就職者の一年間の離職率は38.9%であるのに対して、養護施設出身者の中卒就職者のそれは8ヵ月で51%である(1984年)。

 若いうちの転身がいちがいに悪いとは言えないがと前置きした上で、これらの数字は養護児童の青年期が一般家庭の子どものそれと比べて、ずっと困難が多いことを示唆するとT君は言う。

 養護施設には18歳まで滞在できる。だが、15歳以上でまだ養護施設にいる者が20%を超えるに至っている(養護児童の高年齢化、1990年)。一般家庭でも15歳で家を出る者はほとんどいないのだから、これは当然と言えば当然の傾向である。

 さらにT君が指摘する驚くべき数字がある。

(3)一般人口から養護児童が生じる確率は0.1%である。一方、両親のいずれかが養護施設出身者であるような養護児童は3%から9%もいる(1985年、1986年)。これは昔から「養護問題の再生産」という用語で関係者には知られていたことである。

 家庭というよりどころのない養護児童は、青年期のさまざまな時点で困難につきあたり、守ったり導いてくれる人がおらず、以上のような数字が出てきたと考えられる。

 のんきにランドセルなぞ贈っている場合ではないのである。

男のアイドルグループ

2011-07-05 11:32:48 | Weblog
 男性アイドルグループの嚆矢はスリーファンキーズだろう。みな、たいしたイケメンではなかった。昭和30年台の後半に活躍したから、知らない人も多いだろう。一人だけ、銭形平次の子分役のような形で生き残った。

 次の男性アイドルグループはグループサウンズ全盛期に輩出した。沢田研二さん堺正明さんが生き残った。

 それ以後、シブがき隊、少年隊、男組、光ゲンジなどが出てきた。イケメンが多くなった。本木さんはシブがき隊出身。いまや立派な性格俳優だ。少年隊出身の東山さんは三枚目として今の地位を確固たるものにした。光ゲンジの諸星さんが最近TVに出ているけれども、人相が悪くなった。

 SMAPや嵐は皆イケメン揃いである。だから全員生き残るかも知れない。

 男性版のAKB48みたいなのが、そのうちに出てくるのだろうか?

レジ袋は浪費だというデマ

2011-07-04 09:53:27 | Weblog
 数日前の中日新聞愛知県版の投書欄に、ある婦人による次のような投書が載っていた。

 「私はレジ袋はもらわずに、新聞紙で作った手製のバッグを使っています。新聞紙で工作するのも楽しいものですよ」

 という趣旨だった。まだレジ袋を浪費だと思っているような書きぶりだった。

 この欄で再三言ってきたように、レジ袋は石油を使っていろいろなものを作ったカスから作る。もともと燃やすしか処理方法がなかったカスである。そのカスからレジ袋という、さらに役に立つ製品を作り出したのだから、レジ袋ほどエコなものはない。

 レジ袋は、さらにゴミ袋として再利用される。これほどエコな製品を、一時マスコミは袋叩きにした。レジ袋にペナルティーを科せという勢いだった。当時、旅行先でバッグがなく、レジ袋をもらって5円取られた恨みを私は忘れない。

 その後、レジ袋は非常にエコな製品であることが分かった。厚労省はレジ袋排斥運動について何も語らなかった。いや環境省だったかもしれない。レジ袋はエコなはずだと識者に問われて、ようやく厚労省だったか環境省だったかが、それを認めた。

 もう数年前の話である。それなのに、この投書だ。投書した婦人に悪気はない。悪いのは掲載した中日新聞だ。

 中日新聞はこれからも、こうしたデマを流すつもりか?

インターネットTV電話に驚く

2011-07-03 05:25:41 | Weblog
 スカイプというフリーウエアによるインターネットTV電話を初めて体験した。感動した。これは革命だと思った。

 このブログを始めた5年前には、まだTV電話は影も形もなかった。10年前には、息子の就職について、多くの企業がインターネットでしか求職エントリーを募集しないと聞いて、急遽、息子にウインドウズマシンを買ってやった。

 インターネット動画が盛んになったのも、5年前からである。それまでは静止画だった。これにはデジタルビデオの普及が大きく貢献している。

 TV電話は私が子供のころから構想され、さまざまな実験が行われてきた。しかし、アナログ電話回線を前提としていたので、実用に耐えるシステムはなかなか作れなかった。

 光ファイバー網というインフラができてからは、研究所みたいなところが苦労しなくても、こうして素人がすぐにTV電話ができるようになってしまった。変革は思わぬところからやってくる。アナログ回線に拘泥していたので、これまで実現しなかったのだ。

 ケイタイの普及はみなさんご存じのとおりである。ケイタイには余計な(セールスのような)ところからは、まずかかってこない。メールは来るが・・。

 TV電話もそうである。やがて据え置き電話はなくなるだろう。容易に想像できることだが、ケイタイでTV電話が当たり前になるだろう。そして、あの邪魔な電話帳も姿を消すに違いない。

 私のクリニックは、職業別電話帳で知って訪れる人が多い。次なる情報伝達手段を考えなくては・・。

NHK朝の連ドラのヒロインでも生き残るとは限らない

2011-07-02 19:12:24 | Weblog
 妻はNHKの朝の連続ドラマが好きで、DVDに録画して見ている。私はあまり興味がないので、連ドラはほとんど見ない。

 「ゲゲゲの女房」だけは見た。あれは面白かった。その前も後もつまらない。前は川越の和菓子屋の話だったが、つぎはぎ細工のようなストーリーでヒロインの顔しか覚えていない。可愛い子だった。

 「ゲゲゲ・・」の後は「てっぱん」というドラマで、このヒロインも可愛かったが、名前を知らない。今の「ひまわり」のヒロインはちょっと玄人的な感じだ。これも名前を覚えていない。

 川越の和菓子屋のヒロインと「てっぱん」のヒロインは、今わずかにCMに出ている。半年間毎日TVに出て、あれだけ顔を売ったのに、なぜ普通のドラマに出ないのだろうか?お呼びがかからないのだろうか?

 考えてみれば、朝の連ドラから出てきた女優はナントカ京香くらいしか思いつかない。

 ちょっと前の連ドラ「ぴあの」のヒロインは宝塚出身で綺麗な子だったが、あれ以来、姿を見ていない。

 連ドラで顔を売っても、すぐに人気女優になれるほど芸能界は甘くないのだろうか?

熱中症

2011-07-01 13:22:50 | Weblog
 昔はこうも熱中症、熱中症といわなかったように思う。熱中症という言葉自体がなかった。

 日射病、熱射病というのはあった。日射病にならぬよう帽子を被れと祖母にやかましく言われた。熱射病のほうは命にかかわる疾患だった。ただし、これにかかるのは溶鉱炉など高温現場での作業員に限られていた。こうした作業員には水と塩が不可欠だった。

 昔と較べて今はクーラーがある。それなのに何100人と熱中症で救急搬送される。昔はどうしていたのだろうか?

 炎天下で運動して大汗をかいても、水を飲むなと言われた。水を飲むとそれだけ汗をかくと。なんたる無知、なんたる非科学性。これでは自ら熱中症になれと言っているようなものだ。

 昔の人々はもっと熱中症で死んでいたと考えるのが合理的である。しかし、死因は分からなかった。老人が暑い部屋で熱中症で死んでいることがあるという。昔ならこれは老衰や心不全かなにかで片付けられていたのだろう。

 日射病というのは、服を緩めて木陰で休んでいれば治ると少年雑誌に書いてあった。当時、日射病と言っていたのは、たぶん熱中症である。だから、この少年雑誌の記事で何人の少年が死んだだろうか?

 熱中症でなくても、昔はよく子供が死んだ。熱中症であっても、他の病気に紛れて目立たなかったのだろう。子供が死んだからといって訴える人も昔はいなかった。