羽田空港対策特別委員会で、165億円で買った羽田空港跡地で事業展開するHIシティの事業報告がありました。
大田区は、その事業に、後援し、区の税金としくみを使い広報もしています。
ところが、そこで行われた事業の感想は、跡地を購入した時、大田区がいった「歴史的事実を方時も忘れることなく」とは、程遠いものでした。
案の定、大田区は、その事業について、チェックしたと言いながら、区の小中学生などに呼び掛けながら、敗戦後、連合国(GHQ)の接収による48時間以内の強制退去のことなど、みじんも触れられていませんでした。
羽田空港跡地を購入する議案の説明で、区長は以下のように発言しています。
終戦直後の昭和20年9月、当時、旧羽田三町の住民でいらっしゃった約1300世帯、2900名もの方々が、連合国軍による土地の接収により、48時間以内の強制退去を強いられました。区はこれまで、この歴史的事実を片時も忘れることなく、羽田空港に係る諸課題の解決に取り組んでまいりました。平成22年には、国、東京都、大田区、品川区で構成される羽田空港移転問題協議会において「羽田空港跡地まちづくり推進計画」が策定され、それまでに積み上げてきた議論を踏まえたうえで「第1ゾーンについては、主に大田区が過去の経緯を踏まえて取得する方向で検討する」とされました。
こうした経緯の元、
大田区は、空港跡地を165億円で購入しています。
ところが、
区が後援して、区内の小中学校の生徒などへ呼びかけた事業で、
歴史的な経緯を伝える絶好の機会であるにも関わらず
大田区は、それをしなかったわけです。
歴史は、碑など物を作っても、その意味を心で語れる人がいなくなったとき、消えはじめます。
世代から世代への継承なくして、歴史を大切にするとは、言えないのです。
羽田空港の敗戦後の、48時間強制退去の歴史的事実は、
165億円という区民の税金を使うときだけの、大義に使われ、オープニングの華やかな場に、歴史的な意義を形だけ添えるため、だった、と思わざるを得ないのです。