(1)最近の裁判は裁判員裁判が注目されて、判決に国民市民感情を取り入れる変質効果も言われて、しかし何でもありの様相も見えてきた。確固たる証拠不在でも誰が考えても立場上、社会通念上おかしい事件と察知できることが、しかし状況証拠だけで有罪判決にして国民感情からすれば変に納得できる強引さだ。
人が人を裁く不条理の中でも、自白、証拠、裏付けにもとづく、より公正、公平な社会を納得させる判決が裁判基本形で「疑わしきは罰せず」が精神性であった。状況証拠有罪判決は裁判員裁判を意識した裁判の変質を伺わせるものだ。
(2)そういう裁判の流れからしても、名張毒ぶどう酒事件の再審請求差し戻し審(最高裁からの審理不十分による差し戻し)での名古屋高裁の再審開始決定取り消しの判決は「異常」なものだった。
事件は51年前の61年地域婦人会の集いのぶどう酒に毒物が混入され多数の死者を出した事件で逮捕された容疑者が一度は無罪(64年)となりながら、自白にもとづき一転69年に死刑判決が確定した。
しかしその後本人は一貫して無実を主張して、本人自白による毒物が同事件で使われた薬物と同一のものなのかの薬物反応(二転三転)を巡って争われて、再審開始決定(05年)、また取り消し(06年)、審理差し戻し(10年)と問題の複綜さ、危うさを象徴するようにくり返しての、今回の高裁再審開始決定取り消しの判決だった。
(3)理由は、要約すると本人が自白した毒物が再現(すでに現在は同一物が存在しない)した実験では検出されなかったという弁護側の実験結果の再審請求新証拠について、裁判は「(当時の毒物が)事件から鑑定までの1日で不純物の元になる物質が加水分解されたと『考えうる』」(報道・『』は本ブログ注)と、わかりやすく言えば薬物は化学反応を起こして消える可能性もあることを「推論(ratiocination)」して、当時薬物反応がなかったからといって使用しなかったとは言えずに、本人がその後否定(一貫して無実を主張)した「自白」を優先尊重した。
さらに、当時の状況(調書)から見て本人以外に同犯罪を行う者(混入し得えた者)などいないことは明らかだというものだ。
(4)裁判官の①科学的「推論(ratiocination)」と②事件当時状況の「推察(conjecture)」で国が合法的に「人」の生命を奪うことを認めようというのだから、いくら人が人を裁く不条理の世界といっても乱暴なこれは判断と言われて仕方のない、しかも最高刑にかかわる判断で、とても証拠にもとづく公正で公平な裁判のあるべき判断ではない。
(5)死刑判決から43年、途中再審請求もあったとはいえ拘置は長期に及ぶ。事件は凶悪で悲惨なものだ。長期拘置も裁判の不条理性を思わせるものだ。
今後は一旦差し戻された最高裁で争われる(特別抗告)ようだが、事実、真実が結局どうであれ裁判官の経験と知識と訓練による高度な法律判断の「努力」で決着をつけられるべきで、裁判官の推論と推察などで人の生命が奪われることがあってはならない。
人が人を裁く不条理の中でも、自白、証拠、裏付けにもとづく、より公正、公平な社会を納得させる判決が裁判基本形で「疑わしきは罰せず」が精神性であった。状況証拠有罪判決は裁判員裁判を意識した裁判の変質を伺わせるものだ。
(2)そういう裁判の流れからしても、名張毒ぶどう酒事件の再審請求差し戻し審(最高裁からの審理不十分による差し戻し)での名古屋高裁の再審開始決定取り消しの判決は「異常」なものだった。
事件は51年前の61年地域婦人会の集いのぶどう酒に毒物が混入され多数の死者を出した事件で逮捕された容疑者が一度は無罪(64年)となりながら、自白にもとづき一転69年に死刑判決が確定した。
しかしその後本人は一貫して無実を主張して、本人自白による毒物が同事件で使われた薬物と同一のものなのかの薬物反応(二転三転)を巡って争われて、再審開始決定(05年)、また取り消し(06年)、審理差し戻し(10年)と問題の複綜さ、危うさを象徴するようにくり返しての、今回の高裁再審開始決定取り消しの判決だった。
(3)理由は、要約すると本人が自白した毒物が再現(すでに現在は同一物が存在しない)した実験では検出されなかったという弁護側の実験結果の再審請求新証拠について、裁判は「(当時の毒物が)事件から鑑定までの1日で不純物の元になる物質が加水分解されたと『考えうる』」(報道・『』は本ブログ注)と、わかりやすく言えば薬物は化学反応を起こして消える可能性もあることを「推論(ratiocination)」して、当時薬物反応がなかったからといって使用しなかったとは言えずに、本人がその後否定(一貫して無実を主張)した「自白」を優先尊重した。
さらに、当時の状況(調書)から見て本人以外に同犯罪を行う者(混入し得えた者)などいないことは明らかだというものだ。
(4)裁判官の①科学的「推論(ratiocination)」と②事件当時状況の「推察(conjecture)」で国が合法的に「人」の生命を奪うことを認めようというのだから、いくら人が人を裁く不条理の世界といっても乱暴なこれは判断と言われて仕方のない、しかも最高刑にかかわる判断で、とても証拠にもとづく公正で公平な裁判のあるべき判断ではない。
(5)死刑判決から43年、途中再審請求もあったとはいえ拘置は長期に及ぶ。事件は凶悪で悲惨なものだ。長期拘置も裁判の不条理性を思わせるものだ。
今後は一旦差し戻された最高裁で争われる(特別抗告)ようだが、事実、真実が結局どうであれ裁判官の経験と知識と訓練による高度な法律判断の「努力」で決着をつけられるべきで、裁判官の推論と推察などで人の生命が奪われることがあってはならない。