いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

指揮権と原子力規制庁。 command and atomic energy regulation agency

2012-05-30 20:22:30 | 日記
 (1)内閣府原子力委員会の核燃料サイクル政策検討会議で、使用済み核燃料再処理方式を推進する政府、事業者、専門家のグループだけで秘密会議(勉強会)を開いて、同会議評価報告書を都合よく書き換えていたことがあきらかとなったり、原子力行政を推進する経産省の中に規制、監督する機関の原子力安全・保安院を設置したりと、バラバラの原子力行政が既得権益(原子力村トライアングル)に支配されて組織として公正、公平、円滑に機能しない矛盾を抱えていた。

 福島原発事故での危機管理対応で情報収集、伝達、公開、指揮管理の不備、不足で「矛盾」が危機を増幅して社会問題となった。政府はこの4月から原発(行政)を規制、監督する機能を一体化する組織として環境省の中に原子力規制庁(atomic energy regulation agency)を設置する方針でいたが、閣僚の問責決議による野党の審議拒否の影響もあって延び延びとなってようやく同法案の国会審議が始まった。

 (2)大飯原発再稼働の安全判断、電力安定供給事情の対応でも、この原子力規制庁の設置が進まないことが原発安全性の確認、行政監督の不備、不足として野党、関係自治体からは問題視されてきた。

 この間、当時首相の原発事故現場への直接介入が収束対応の混乱を増幅したとの批判からその是非が問題となり、同法案の対案の野党自公案では政治家の介入を排除して、環境省の所管として専門家の合議で意思決定をする原子力規制委員会を同規制庁の上位に置くことを主張した。

 一方政府案では、首相が原子力規制庁の予算、長官の任命権を持ち、緊急時の高度の判断では首相に指揮権(the right of command)を保障するというものだ。

 (3)いづれの案でも、過去の①既得権益集団(原子力村)による原子力行政の自益有利支配の弊害と、②首相による現場政治介入の弊害を念頭に置いての首相と専門家の指揮系統の違いを際立たせるものとなった。

 将来にわたって原発をエネルギー源として活用するのか、再生可能エネルギーに転換するのかは政府の重要な国家目標、エネルギー政策であるから、それにもとづく原子力行政、原子力規制、監督(規制庁)権限が政府に及ばずに専門家に委ねられるというのは、統治方式としては一体性に欠けて実効性のないものだ。

 専門家の構成要件も意思決定に影響して冒頭例のような問題も多く、専門家が直接、国政の意思決定に参画する方式は議院内閣制、民主主義政治の原則にはそぐわないものだ。専門的知識、経験による規制チェック機関としての役割が適当だ。

 (4)高度な政治判断の指揮権は政策との整合性からも首相に委ねられるのが適当だが、透明性の高い情報公開、説明責任(accountability)、国会追認を義務付けることだ。
 原子力規制庁の設置によって情報収集、伝達、公開の一体性で円滑で効果的な危機管理体制を構築するとともに、「うそ」と「改ざん」の電力、原発事業者の業界体質の一掃、変革こそ推進、実現すべきことだ。

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