(1)日本の現代音楽シーンをつくり、時代をつくったバンド・チューリップ(Tulip)が来年50年を迎える。古今東西広しといえどもという言葉、フレーズがあるが、名の通った実績のあるバンドで50年バンドを続けているのは英国のローリング・ストーンズ(Rolling stones)に日本のチューリップしか浮かばない。
(2)チューリップの50年のクロニクル(chronicle:編年史)をみていくと、チューリップのコンポーザー、アレンジャー、ボーカル、ギター、ピアノフォルテなどなどの財津和夫の精神(心)、肉体、血流そのものであることがわかる。革命的で、衝撃的である。
(3)50年前に今でこそ求められている若者のフロンティア(frontier)な生き方の自ら詞、曲をつくり、自らのアマチュアバンドで録音したデモテープ1本を持って上京し、当時の東芝レコードに売り込み(チューリップ・ストーリー)認められて(ほとんど直すところがないといわれた完成度)、自らの音楽と時代を切り開いていった驚くべきフロンティアな生き方の持ち主だ。
(4)それからビートルズ本拠地のアビーロードスタジオでのレコーディングに当時としては破格の今でも企画力の高い鈴蘭高原、名古屋城、箱根芦ノ湖、よみうりランド野外コンサートを開催して、今日的音楽技術、音響効果のプラットフォームを型づくった。
(5)さらに順風満帆から一転他のメンバーが次々と脱退していき、財津和夫ひとりになり、それでも新メンバーを加えてチューリップを続けて1989年にチューリップを解散する。
これまでのチューリップの軌跡をみていくとローリング・ストーンズにそん色のないことがわかる。
(6)一説によると財津和夫が音楽の質、スキルにこだわりメンバーに高い音楽性を要求して、意見が分かれての他のメンバーの脱退といわれている。しかしその後1997年にほぼオリジナルメンバーでチューリップは再結成をして、変わらぬ多くのオーディエンスの期待を集めて今日に至っている。
(7)チューリップをさきがけて評価し、取り上げてきた元東海ラジオディレクターの塩瀬修身は、再結成後のリハーサルで財津和夫が笑顔でメンバーに接しているのをみて驚き、当時のメンバー安部俊幸(ギター:2014年死去)にこんな財津を見たことがないと言うと、安部俊幸もボクも初めてですと答えた(塩瀬談)のが印象的だ。
(8)財津和夫には自ら立ち上げたチューリップへの成功責任が重くのしかかり必死だったのがわかり、しかし財津和夫も変わったのだ。
これが音楽家・財津和夫のクロニクル(編年史)であり、精神(心)、肉体、血流である。
(9)そうして来年チューリップ50年を迎える。チューリップ50年を祝う。(celebrate the Tulip 50 years)