いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

推論と推察。 ratiocination and conjecture

2012-05-26 19:55:08 | 日記
 (1)最近の裁判は裁判員裁判が注目されて、判決に国民市民感情を取り入れる変質効果も言われて、しかし何でもありの様相も見えてきた。確固たる証拠不在でも誰が考えても立場上、社会通念上おかしい事件と察知できることが、しかし状況証拠だけで有罪判決にして国民感情からすれば変に納得できる強引さだ。

 人が人を裁く不条理の中でも、自白、証拠、裏付けにもとづく、より公正、公平な社会を納得させる判決が裁判基本形で「疑わしきは罰せず」が精神性であった。状況証拠有罪判決は裁判員裁判を意識した裁判の変質を伺わせるものだ。

 (2)そういう裁判の流れからしても、名張毒ぶどう酒事件の再審請求差し戻し審(最高裁からの審理不十分による差し戻し)での名古屋高裁の再審開始決定取り消しの判決は「異常」なものだった。

 事件は51年前の61年地域婦人会の集いのぶどう酒に毒物が混入され多数の死者を出した事件で逮捕された容疑者が一度は無罪(64年)となりながら、自白にもとづき一転69年に死刑判決が確定した。

 しかしその後本人は一貫して無実を主張して、本人自白による毒物が同事件で使われた薬物と同一のものなのかの薬物反応(二転三転)を巡って争われて、再審開始決定(05年)、また取り消し(06年)、審理差し戻し(10年)と問題の複綜さ、危うさを象徴するようにくり返しての、今回の高裁再審開始決定取り消しの判決だった。

 (3)理由は、要約すると本人が自白した毒物が再現(すでに現在は同一物が存在しない)した実験では検出されなかったという弁護側の実験結果の再審請求新証拠について、裁判は「(当時の毒物が)事件から鑑定までの1日で不純物の元になる物質が加水分解されたと『考えうる』」(報道・『』は本ブログ注)と、わかりやすく言えば薬物は化学反応を起こして消える可能性もあることを「推論(ratiocination)」して、当時薬物反応がなかったからといって使用しなかったとは言えずに、本人がその後否定(一貫して無実を主張)した「自白」を優先尊重した。

 さらに、当時の状況(調書)から見て本人以外に同犯罪を行う者(混入し得えた者)などいないことは明らかだというものだ。

 (4)裁判官の①科学的「推論(ratiocination)」と②事件当時状況の「推察(conjecture)」で国が合法的に「人」の生命を奪うことを認めようというのだから、いくら人が人を裁く不条理の世界といっても乱暴なこれは判断と言われて仕方のない、しかも最高刑にかかわる判断で、とても証拠にもとづく公正で公平な裁判のあるべき判断ではない。

 (5)死刑判決から43年、途中再審請求もあったとはいえ拘置は長期に及ぶ。事件は凶悪で悲惨なものだ。長期拘置も裁判の不条理性を思わせるものだ。

 今後は一旦差し戻された最高裁で争われる(特別抗告)ようだが、事実、真実が結局どうであれ裁判官の経験と知識と訓練による高度な法律判断の「努力」で決着をつけられるべきで、裁判官の推論と推察などで人の生命が奪われることがあってはならない。

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実体不明の原発。 indistinct substance of a. p. p.

2012-05-25 19:54:43 | 日記
 (1)福島原発事故以後、毎日新聞で確認するのは文科省発表の「大気中の環境放射線量」だ。「0.0~」以内ならいいか程度で、一体どの位の数値なら毎日浴びて蓄積しても安全なのか確かな説得力のある科学的データなどないから(示されない)、一種気休め的なところもある。

 最近になって昨年の富士山5合目の霧に放射性物質のセシウム(cesium)が含まれていたことが発表されて、原発事故影響が広範囲に拡散している実態情報があきらかになってきている。降雨による人体、農作物、家畜に及ぼす影響力も決定的なものではないとしても、無縁のものではない。

 危険情報はみだりに開示して、いらぬ不安を煽(あお)ることも問題はあるが、原発事故当初は在日外国人も一斉に帰国を開始したように放射性物質の拡散状況については無関心ではいられない。

 盛んに風評被害の方はあらぬ噂と否定はしてみせても、累積、蓄積データによる影響度については統一的な科学的根拠データなどないに等しいから、知り得るデータ(調査、分析、検証)はすべて情報開示して知り得る「可能性」影響力について比較検討、情報提供することだ。

 (2)歌人の俵 万智さんが居住する仙台で東日本大震災、福島原発事故に遭遇して子どもの生活環境に異変を感じてひたすら西へ西へと石垣島に親子ともに避難して、そこになついて元を取り戻した子どものために移り住む決断をした様子がメディアの取材インタビューで紹介されていた。

 「ひたすら西へ西へ」に批判的な意見もあったようで、それでもそれを甘んじて受けても石垣島に移り住むことを決意したことも現実(brand new)だ。

 (3)福島原発事故関連の実体、実情、安全についてのデータ提示、開示情報が余りに不足して、政府は崩壊した原発安全神話の再現のように科学的根拠のない協力姿勢ばかり押し付けて、国民の不安は結局それぞれの感性、意識にまかせているから、不安、不信は反比例するように拡散するばかりだ。

 だから政府が影響度の少ない放射性物質を含むガレキの処理処分を被災地以外の自治体に依頼しても協力はなかなか浸透せずに、被災地から遠く離れた地域、自治体になればなる程、本来安全距離間のある地域での危険共有への反発はより強くて、市民団体によるこれも変な持ち込み阻止や、何んとそういう地域への小学校の修学旅行まで保護者の反対で中止になったというニュースまで聞くところとなる。

 (4)これまでの海水への放射性物質の漏水、放出も実体は不明(indistinct substance)でいろいろと取り沙汰され、空中への拡散も富士山5合目での拡散データと地上高さ1メートルでの毎日の測定値との自然環境、気候状況との実体関係もよくわからない。

 福島原発事故では、結局実体がよくわからないまま何となく政府の言う立ち入り禁止区域以外で実情に合わせて生活している、するしかない現実だ。誰も「西へ西へ」の移動心をめぐまれたものと批判など出来ない。

 (5)そういう中で、政府、事業者、専門家の既得権益トライアングル(原子力村)の原子力委員会の中の核燃料再処理推進グループだけでのあきれた「秘密勉強会」だ。
 昨年12月~今年4月の間の原発事故収束騒動の中での原子力委員会本会議以上の頻度(20回以上)での秘密会議があきらかとなった。

 再処理推進グループだけの秘密会議で勝手に本会議評価報告書の内容を都合よく書き換えていたこともあきらかとなっては、原発事業者の「うそ」と「改ざん」の歴史、体質を許してきた元凶、同類がここにあったのだ。

 いまだにこんな原発行政にどんな信頼を持てというのか、今、原発問題で起きている社会現象のどれにも取るべき責任はない。不幸ではあるが。

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より良い暮らし国ランク。 better life index

2012-05-24 19:46:16 | 日記
 (1)万事に洗練された文化を持つ国と持ち上げられるかと思えば、OECDの12年版「より良い暮らし指標(Better Life Index)」によると日本は昨年(19位)を2ポイント下げて21位だった。

 こういう評価は個々の順位そのものよりも、暮らし良い国かどうかの総合ゾーン評価の位置の問題だ。統計基準としては、国民投資(税)は高くても社会保障、医療、教育環境も高い水準で整備されている国がより良い暮らしランクが高い。

 一般的傾向として、日本は国民投資は低く抑えても国民利益、生活水準は高くとの効率性、福利性重視の理想主義(都合主義)が高い傾向にある。

 (2)BLIランク1位は昨年に続きオーストラリア、2位ノルウェー、3位米国と続く。オーストラリアは数十年前に訪れたことがある。ゴールドコースト、ブリスベーンの自然豊かで開放的なアミューズメント・タウンの明るい街並みに、気軽に日本語(こんにちは)であいさつする気さくな市民、メルボーンの街にゴミのないきれいな街並みに文化の香りも高く、シドニーは活気のある近代的な港湾都市のイメージで、北から南へと初夏と冬が同居する自然と文化と都市が「清潔感」を持って機能して、確かにここで暮らしてもいいと思わせる国柄であった。

 その後治安も悪化してアジアからの移民も増えて、また日本企業(特に不動産事業)の無秩序な進出もあってアジア、日本への感情も悪化したと聞いていたが、今回の評価でもBLIトップの評価であった。

 (3)日本は「安全」と「教育」は最高水準で、「生活の満足度」は27位、男女参画社会比較の「ワーク・ライフ・バランス」は34位と最低に近く低かった。就労率は女性が男性よりも20%低く、世界平均13%を大きく上回る(超える)結果であった。

 比例するように1日の家事時間は女性269分で男性は59分と、男性比較同平均131分を大きく下回り最低だった。ワーク・ライフ・バランスとなると習慣、歴史、文化、社会通念と国の独自性もあって一概に比較検証、世界標準化もむずかしいところだ。

 (4)日本も近年は男性育児参加、育休取得も話題になって変化はみられ、必ずしも世界平均との比較よりはその国内事情の中での変化比較も大切な評価基準だ。
 日本は狭い国土に人口都市集中化の中で、子育て支援整備と合わせての女性の就労には厳しい社会環境、社会構造上の問題もあり、同様の評価はむずかしいところだ。

 逆に「安全」、「教育」が最高水準というのも、国内事情比較からすれば今や劣化、低下傾向にあり必ずしも当たらない。

 (5)しかしそういう国の独自性、文化、習慣があるからといって、今の日本が比較より良い暮らしになっているかと言えば問題山積だ。
 原発の安全性対策不足で福島原発事故の収束も不透明の中で、被災地の生活保障もままならずにデフレ円高不況、雇用不安にさして有効な対策もなく、企業は生産の海外拠点化で不況、生活回復にはさらに暗い影を落として、この際でも政府(首相)は国民の過半数が反対する消費税増税に政治生命を懸けている。

 GDPは新興国中国に抜かれての世界3位で、政権マニフェストを自らの手で見直し、中止、廃止し、1票の格差是正も違憲状態で放置のままの信頼のない政治がどう見ても最低ランクでは、このBLIランク(21位)にいること自体がおかしな国内事情だ。

 (6)どこを見ても悲観論ばかりだが、相当の危機感は国民にはない。内閣支持率は20%そこそこで政権政党支持率に到っては10%を切るデータもある。
 しかしだからといって中東、アラブやEUのような反社会的暴動、倒閣運動が起きるでもなく、万事洗練された文化を持つ国と国外からは見られる「おとなしさ」だ。

 おとなしいことは別に思慮深く、冷静で良識的であるとすれば問題はなく、データどおりの意思表示の自信、自覚(be sure of your success)あるのみだ。

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もっと自信を持ってほしい日本。 be sure of more your success

2012-05-23 19:59:00 | 日記
 (1)政府があまりにも自浄能力、統治能力を失っているから、国民は「日本」に悲観(pessimism)していると国外には映るのだろう。

 かっては経済大国として米国に次いでGDP世界2位に位置して今でもアジアを代表して日本はG8サミット参加国のひとつだが、GDPは新興国中国に抜かれて世界3位となり国際社会の基軸は中国にシフトしている。国際政治の世界ではますます日本の存在感を薄くしている。
 その国際政治も先進8か国(G8)から新興国も取り込んだG20へ影響力が移り、その流れを加速している。

 (2)東日本大震災に福島原発事故の影響もあって、国内から見る「日本」よりは国外から見える「日本」は相当危機的状況、悲観論に映っている。
 パリコレ常連の世界的デザイナーが来日して「これほど万事に洗練された文化を持つ国はないし、もっと自信を持ってほしい(be sure of more your success)」(報道)と激励された。

 首相が1年も持たずに交代をくり返しても国民は無関心を装い、デフレ円高不況に雇用不安に悲観はしても冷静で暴発することもなく、きっと自信喪失で活力を見失っていると思われているのだ。
 この小さな島国に住むものとしては大変ありがたい国民性、民主性で、多分国外からはちょっと奇異に見えるはずだ。

 (3)中東、アラブ世界では悲観的国内情勢(長期独裁政治)に市民革命が勃発して収(おさ)まりがつかなくなっているし、EU危機のヨーロッパも市民運動が政治を動かしている。
 日本よりもずっと悲観的な国内事情だから本来比較しようもないが、政治、経済事情をうわべで見れば国外の目にはそうは違いはないはずだ。

 自由かっ達で表現力にあふれた個人主義の活力、結集が中東、アラブ、EUにはあるし、それに比較して民主国家の日本に自由表現力で悲観があふれないのが不可思議なのだろう。外交辞令でおとなしいことが卓越した良識ある国民性と言われても、市民力が自信喪失と映っている。

 中東、アラブ、EUとは歴史、文化、精神性に違いがあるから同じに見られても困るところはあるが、日本もそろそろ来年までには確実にある国政選挙で「変革」(を表現する)の季節はやってくるし、民主的で良識的、見識、思慮深い選択で市民変革を示したいところだ。

 (4)外務省が実施したところが問題だが、米国一般市民を対象に実施した「日本」に関する世論調査で「アジアで最も重要なパートナー」に50%が「日本」を挙げ、39%の中国を大きく上回り前年比較を逆転した。

 一方有識者対象では中国54%、日本40%で米国政治、経済事情、戦略をストレートに反映するものだった。国民性、民主性、自由、信頼では「日本」が中国をリードしている市民感覚、感情(こちらの方が大事だが)とあわせて、やはり日本現政権の米国すり寄り姿勢を肌で感じ取っている結果だ。

 (5)しかし国内に居て気が付かないだけで、言われて見れば「日本」は自信を見失っているのかも知れない。

 「これほど万事に洗練された文化を持つ国はない」国民として、中東、アラブ、EUにはないちょっと控えた距離だけど自由で民主的で良識、思慮、挑戦のある開発行動力学の自信(self confidence)を自覚する、取り戻す機会だ。

 

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政治空論。 politic futile argument

2012-05-22 19:38:51 | 日記
 (1)政治は熟慮(mature consideration)と決断(decision)が目に見える形で発信される正直な精神媒体だ。
 財源としての消費税増税を含む税と社会保障の一体改革論議が国会で始まった。14年4月に8%、15年10月に10%の消費税率引き上げ法案だが、14年4月は09年民主党の選挙公約(任期4年間は消費税を引き上げない)に合わせて先送りしたルーズ(loose)なもので、15年10月は勝手な財政赤字半減国際公約による2段階引き上げ論などと、一体本気になって何をやろうとしているのか理解できないルーズな政策決定プロセスだ。

 消費税増税前に政治が自ら身を切るやるべきことはあるとしながらも有言不実行のまま、①行政改革、財政運営の仕方によっては増税の必要はないという意見もあれば、②財政健全化(赤字解消)にはさらに20年に7%の増税が必要だという意見もあり、これを当初民主党検討法案付則に織り込みながら反対を受けて削除したり、③抜本改革には20~25%の消費税率引き上げが必要との意見もあって消費税引き上げ論の実体も不明なら、その財源の根拠とする社会保障制度の全体像も不明のままという、一体何のための消費税引き上げ論議なのか首相の政治生命を懸ける文言ばかりが躍って実体論のない政治空論(politic futile argument)の有り様だ。

 900兆円を超える膨大な累積国家財政赤字解消、持続可能な将来の社会保障制度の確立などと言われても、テーマははるかなうえに実体論にもとづくわかりやすい解説、分析、検証不足で言葉ばかりが躍って国民には何が本当なのか、そのために政策順序はどうあるべきなのか、終着目標はわかっていても実体プロセスが怪しげでよくわからない。

 こんなものは政治とは言わない。本当に必要なら財政健全化の仕組み、構成、方法、順序を明らかにして有効情報、解決策(solution)を示し、最善最適の答えを決断すべきだ。

 (2)経産相の諮問機関が30年時点での日本の電源構成(比率)を検討論議している委員会で結論を示せずに、結局「ケース」のら列に終始した。
 「脱原発」か「縮原発」か「原発継続」かの比較基本問題で、政府方針、決断を示せない中でのやはり起こりうるケースだけを示したルーズ(loose)なものだった。

 「原発ゼロ稼働」、「同15%」、「同20%」、「同25%」ケースのら列で、さすがに現在値も超える「原発35%稼働」は外される方向だが、「数値目標なし」もあって専門家視点による問題先送り論だ。

 こうなったらこうなりますよのプロセスの分析、検証の結果、その先の決断、決定すべきことが政治のプロセスだ。
 引くも地獄(全原発最終処理)、進むも地獄(原発安全性、住民理解)の危険を残したままの原発に頼った電力供給事情だが、国民視点からも「脱原発」の早い政治決断が必然だ。

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