相棒シーズン12、第13話は右京さんの・・・
亀山くんは「右京さん」、神戸くんは「杉下警部」、カイトは「杉下さん」と呼んでいる印象があります。カイトも「右京さん」と呼ぶのかなと思いましたが、カイトにとってはしっくりこない呼び方のようで。何もファーストネームで呼ぶだけが相棒じゃない。色んな関係があるのでしょう。
さて今回は、捜査らしい捜査が無いまま、小説の中で全てが解き明かされていくという形になりました。右京が偶然知り合ったのは友達もおらず、紅茶と犬だけを愛し、ネットでの批評で自尊心を満たす日々を送っていた人物でした。悪気があって間違いを指摘したわけではないのに、教授からは激怒されて研究者の道を外された毒島。きっと紅茶の道に進んでいたとしても、茶会での出来事のように、どんなに偉い人物だろうと、無知を振りまいていたら指摘していたことでしょう。
「紅茶が好きなのか、紅茶に詳しい自分が好きなのか」。紅茶が好きならば、間違いを指摘されてもそれを認め、より正しく紅茶を愛していくと思います。けれども、紅茶に詳しい自分が好きなのだとしたら、間違いを指摘されるのは恥をかかされること以外の何ものでもないでしょう。言い返したいけど相手が正しいから反論できない。だからこそ、難癖をつけて相手を批判しようとする。
毒島から指摘を受けた人物は、毒島が犬を連れてきている事に目をつけ、ここぞとばかりに「非常識だ!」と追い払ったように見えました。
孤独だからこそお金や地位といった関係に縛られず、好きな事を自由に書ける。毒舌を吐くけれども、時には褒める。それも全て、一言一句しっかり読み込んでいるからこそ出来ること。烏森が厳しい評価を受けてなお作品を書き上げる事が出来たのは、小説を書いている自分ではなく、小説が好きだからこそだと思います。「自分を評価しない相手がおかしい!」と思っていは、いつまで経っても認められる事は無いでしょうね。
死んだ佐藤は自らを「こんな女」と評価するなど、あまり自信を持っていないように思えました。そんな彼女が心の底から惚れたのは、「自分を殴らない」男である烏森。それは普通のように思えて、彼女にとっては特別なこと。毒島にとっても、女性との何気ない会話もまた、特別なことだったのでしょうね。「愛してる」と一言言えていたら、何か変わったのかな・・・
毒島が右京たちに全てを話したのは、「自分を分かってくれる相手に本当のことを話したかったから」というものでした。自分を理解してくれるというのは嬉しい事だと思います。
例えば今度初めてAさんと会うという時に、出会う前に「Aさんは嫌な人だ」という話を聞いていると、本人に出会った時に「Aさんは嫌な人だ」という思いがあって、話をろくに聴かなかったり、疑ってかかることもあると思います。そういった話を聞いて尚、きちんと理解しようと努める。簡単には出来ないかもしれません。
批評にしても同じでしょう。皆が面白いと感じる作品であっても、つまらないと思う時もあるでしょう。ただ、それは構って欲しい場合はのぞいて、自分なりに「つまらない」と感じた理由があるはず。その結果がどうなるにしろ、何故つまらないと感じたかをはっきりと言える度胸も大切だと思います。
似ているようで、どこか違う毒島と右京。毒島が孤独ならば、右京は孤高。毒島が他人との接点を持たず、ネットでの批評を行っていたのに対し、右京は他人との接点を持ち、その上で様々な批評にさらされていました。孤独では批評されることは無いでしょう。
けれども、右京が例えたった1人の特命係であっても、誰とも話さないわけではない。むしろ色んなところに顔を出し、事件を解決してしまう。その能力故の孤高の和製シャーロックホームズと、それを支えていく和製ワトソン。和製だから、肉弾戦とかしないはず(汗。
一風変わった右京さんの友達。次回も楽しみです。
亀山くんは「右京さん」、神戸くんは「杉下警部」、カイトは「杉下さん」と呼んでいる印象があります。カイトも「右京さん」と呼ぶのかなと思いましたが、カイトにとってはしっくりこない呼び方のようで。何もファーストネームで呼ぶだけが相棒じゃない。色んな関係があるのでしょう。
さて今回は、捜査らしい捜査が無いまま、小説の中で全てが解き明かされていくという形になりました。右京が偶然知り合ったのは友達もおらず、紅茶と犬だけを愛し、ネットでの批評で自尊心を満たす日々を送っていた人物でした。悪気があって間違いを指摘したわけではないのに、教授からは激怒されて研究者の道を外された毒島。きっと紅茶の道に進んでいたとしても、茶会での出来事のように、どんなに偉い人物だろうと、無知を振りまいていたら指摘していたことでしょう。
「紅茶が好きなのか、紅茶に詳しい自分が好きなのか」。紅茶が好きならば、間違いを指摘されてもそれを認め、より正しく紅茶を愛していくと思います。けれども、紅茶に詳しい自分が好きなのだとしたら、間違いを指摘されるのは恥をかかされること以外の何ものでもないでしょう。言い返したいけど相手が正しいから反論できない。だからこそ、難癖をつけて相手を批判しようとする。
毒島から指摘を受けた人物は、毒島が犬を連れてきている事に目をつけ、ここぞとばかりに「非常識だ!」と追い払ったように見えました。
孤独だからこそお金や地位といった関係に縛られず、好きな事を自由に書ける。毒舌を吐くけれども、時には褒める。それも全て、一言一句しっかり読み込んでいるからこそ出来ること。烏森が厳しい評価を受けてなお作品を書き上げる事が出来たのは、小説を書いている自分ではなく、小説が好きだからこそだと思います。「自分を評価しない相手がおかしい!」と思っていは、いつまで経っても認められる事は無いでしょうね。
死んだ佐藤は自らを「こんな女」と評価するなど、あまり自信を持っていないように思えました。そんな彼女が心の底から惚れたのは、「自分を殴らない」男である烏森。それは普通のように思えて、彼女にとっては特別なこと。毒島にとっても、女性との何気ない会話もまた、特別なことだったのでしょうね。「愛してる」と一言言えていたら、何か変わったのかな・・・
毒島が右京たちに全てを話したのは、「自分を分かってくれる相手に本当のことを話したかったから」というものでした。自分を理解してくれるというのは嬉しい事だと思います。
例えば今度初めてAさんと会うという時に、出会う前に「Aさんは嫌な人だ」という話を聞いていると、本人に出会った時に「Aさんは嫌な人だ」という思いがあって、話をろくに聴かなかったり、疑ってかかることもあると思います。そういった話を聞いて尚、きちんと理解しようと努める。簡単には出来ないかもしれません。
批評にしても同じでしょう。皆が面白いと感じる作品であっても、つまらないと思う時もあるでしょう。ただ、それは構って欲しい場合はのぞいて、自分なりに「つまらない」と感じた理由があるはず。その結果がどうなるにしろ、何故つまらないと感じたかをはっきりと言える度胸も大切だと思います。
似ているようで、どこか違う毒島と右京。毒島が孤独ならば、右京は孤高。毒島が他人との接点を持たず、ネットでの批評を行っていたのに対し、右京は他人との接点を持ち、その上で様々な批評にさらされていました。孤独では批評されることは無いでしょう。
けれども、右京が例えたった1人の特命係であっても、誰とも話さないわけではない。むしろ色んなところに顔を出し、事件を解決してしまう。その能力故の孤高の和製シャーロックホームズと、それを支えていく和製ワトソン。和製だから、肉弾戦とかしないはず(汗。
一風変わった右京さんの友達。次回も楽しみです。