「セッション」

2015-04-25 10:22:01 | 映画
これは良かった、内容と演技が!

私なら主演のマイルズ・テラーに賞をあげる。っていうか、オスカーノミネートされていない理由が分からん。

J・K・シモンズが助演でオスカーか…。ノートン以外他のノミネート者の作品観てないからなんとも言えないけど、私は、シモンズよりテラーに賞を上げたい。作品賞も、「バードマン」よりこっちやし、「アメリカン・スナイパー」の方がオスカー妥当だったと思う。

ということで、「バードマン」の前にこれを観ました。

本当は、シモンズがオスカーを獲ったからといって観たかった作品でもなく、そもそもドラムに全く興味がないから観たいとも思わなかった。

でも、でも、「ソロモンの偽証」を観た時の予告編で、この顔まさか!?と思ったら…、

そう、マイルズ・テラーは、ニコールの「ラビット・ホール」に出てた男の子役だったんですよ!めちゃビックリした!ニコール繋がりで俄然興味が湧き観てきた訳であります。

っていうか、本当の本当は、昨日は、「バードマン」かウディの新作を観るために映画館に行ったんですが、待ち時間的に早く観れるのがこっちだったので最初に観たんです。「バードマン」は、たまたま千円で観れる日だったから、自然な流れでついでに観てしまった訳です。この二つが見事にドラムでセッションしていて、「バードマン」のオープニングタイトルを観た時、本当に上映ブースを間違えたかと思った。それくらい、ドラムの響きが強烈に印象に残る作品だった。

「ラビット・ホール」ではイモな男の子だったテラーが、この作品では立派な青年になっていて、ついつい親心で観てしまいましたが、結果的には、テラーの役作りとドラムのテクニックがめちゃくちゃ素晴らしかった!

ぶっちゃけ、シモンズ演じる鬼コーチの教授が言うテンポの速いか遅いかなんて、私には全く理解不能で、生徒たちはこの鬼コーチのテンポに振り回される。それはまぁ~、見事なまでのシモンズの鬼コーチぶりで、まるで蜷川さんの噂の演出を見てる感じでした。

実際は蜷川さんがどんな演出をするのか見たことないですが、映画「Wの悲劇」の蜷川さんと役者さんの証言から想像しましたm(__)mでも、シモンズも蜷川さんもオーラも雰囲気もめちゃ似てた。

この作品の良さは、テラーのドラムのテクニックや教授のスパルタぶりだけじゃない、役を通して見えてくる熱い情熱なんよね。

名ドラマーになりたいテラー演じるアンドリューと、名ドラマーを生み出したい鬼コーチの情熱が、七転八倒を経て到達した先で終わっちゃうんだけど、本当に良く出来た作品。

今の教育現場なんて、子供の親の言いたい放題になってるやん。いわば甘やかしの現場になってる。私の学生の頃は体罰はありました。部活ではビンタされ、授業中は黒板からチョークが飛んでくることも当たり前だった。あの頃も、先生の体罰が問題視されている昨今と変わらず、先生のヒステリーもあったとは思うけど、ちゃんと生徒へのフォローもあったから、先生の家にも遊びに行ったりもしてた。

教育現場に限らず、どこの社会でもそうだけど、人間関係と信頼関係がちゃんと構築されていたら、ある程度の体罰は必要だと思ってます。叩いたり蹴ったりして教えてるのはアカンけど、ちゃんと言葉で説明して叱ることは大事だと思う。怒ると叱るは全く意味が異なるからね。←これは美輪さんの名言の1つ。

ぶっちゃけ書くと、教授も言葉が足りないとは思った。でも、結果的には伝えることは伝えている。ただ受けとめる側がどう感じるかが問題になってくる。何が何でも1から10まで説明すればいいという訳じゃないんよね。自分で考える力も必要。

教授にはちゃんとした教授なりの教育ヴィジョンがあるねんな。あれは勘違いされて当然やけど…。

これは演劇の世界にも通じるけど、上手くコントロールして役者の隠れた才能を引き出す演出家や監督って現実にいるんよね。まさに蜷川さんがそうだし、小池先生もそうだし、映画監督なら園子温監督がそうやね。さすがに小池先生はスパルタ派ではないと思うけど、上手く才能を引き出すよね。

役者は演出家の意のままに操られ名演技をする。そして有名人となり大きく羽ばたく。めちゃ理想のステップアップやな。

この映画は、教授の教育ぶりが素晴らしいだけじゃなく、アンドリューの成長過程がめちゃくちゃ大事になってくるねん。そのために教授は教授現場から離れることになった訳だけど、結果的にはそれも才能を引き出す一環になってくるから良く描けてた。

アンドリューの成長過程で必要だったのは、教授の意のままに操られる人形になるんじゃなくて、私生活においても充実することなんよね。精神状態を安定させることやんな。ストイックに技術を磨くだけじゃアカンねん。人間性や精神性を高めることも大事やねん。そこをちゃんと描けているから本当に素晴らしい!めちゃウルウル眼で観てました。

めちゃくちゃ極端な展開が重なるけど、挫折も経験しないと周りも自分も見えない。何が大事なのか、自分を見失ったらアカンねん。いつ何時いかなる試練やお試しが訪れようとも、たとえ感情が先走ることがあっても、ちゃんと理性で見つめ直して向き合うことも大事やねんな。

過去には狂気を演じたら右に出る者がいないくらい名優さんがいましたが、その方も結果的には自分の狂気に溺れて亡くなられました。それじゃアカンねん!ちゃんと自分を観察出来るもう一人の自分がいないとアカンねん。無我夢中にもちゃんと自分でここまでと線が引ける心の余白を持ってないとアカンねん。自分の演技に溺れたら先はない。

四苦八苦と無我夢中は似たような狂気を伴うけど、まだ四苦八苦の方が理性を感じる。無我夢中より悪戦苦闘の方が左脳も右脳も両方使うと思う。片っ方だけじゃアカンねん。理性と感情の両方をバランスを上手く使いこなすことが大事やねん。それは健康管理と同じやねんな…。ま、無我夢中と集中力はまた意味が違うけどね…。そうそう、モーツァルトになったらアカンねん。「白い巨塔」の財前になったらアカンねん。

って、神様が私に書かせます(笑)

またもや、病気発言しますが、神様は私に自分の心の声を聞け!って言ってくるんやけど、私自身が頑なに拒絶してるんです。「セッション」は間違いなく神様に導かれた~と思ってます(笑)

この作品が実話だったらより一層リアリティーを観客に印象づけられたのに、なんか、テラーのテクニックや、シモンズの演技力だけが観客の脳裏にインプットされそうで残念です。

私は「バードマン」より「セッション」をオススメします!

今日のまとめ:いつ、ウディの新作観ようかな…。

明日は選挙です。皆さん選挙に行きましょう!


「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」

2015-04-25 01:02:25 | 映画
良かった、早くに観なくて…(笑)やはり想像してた世界観が描かれてた…。

ぶっちゃけ書くと、私にはイマイチだった。作品賞でオスカーは、う~ん???って感じ。理由はただ1つ、「ブラック・スワン」のブロードウェイ版だったから。「ブラック~」はバレエ界、「バードマン」は演劇界を描いている違いだけで、内容はほとんど変わらない。どちらも精神世界(精神病)がテーマになっている。「バードマン」の方が哲学的って感じやね。

どの感想を読んでもロングショットが話題に上がっていたけど、確かに斬新な見せ方ではあるけど、今の時代、CGやVFXが当たり前だから、CG処理もVFX処理も可能だからぶっちゃけ珍しいわけではない。私に言わせれば、製作された年代背景を考えると「2001年宇宙の旅」や「ドッグヴィル」の方が断然画期的かつ斬新な表現方法だと思う。でも、でも、劇場の裏側が見れたのは良かった!

「ブラック~」も「バードマン」も“スーパーリアリズム”を表現している点でも同じやな。私生活でも夫婦が役の上でも夫婦を演じるリアリズムではなく、スーパーが付くリアリズム。私が一番怖いリアリズム。

まさしく、一作一魂を込めた命懸けの表現方法。一時、演劇界では“シュール・リアリズム”が流行った時があったね。この“スーパーリアリズム”の表現方法は、一作一度限りだから本当に怖い精神状態やねん。役者さんの中には、本当に役の魂が乗り移ったくらい迫真な演技をされる方がいるから、死を扱ってる作品だと観てると本当に怖くなることがある。

元々、私は狂気の演技は大好きだけど、私生活にまで影響を及ぼしそうなくらいリアルだったらそれはそれで怖い。「エリザベート」のルドルフなんてまさにそんな役やし、ナショナル・シアター版「欲望という名の電車」のブランチを演じた女優さんなんて、本当に私生活を心配したくらい魂を売った演技だったもんね。演劇に関わらず、表現に魂を売ると、憑依型という名の一種の精神病から抜け出せなくなるから、切り替えは本当に本当に大事!

この「バードマン」に関して言えば、宝塚の「風共」のスカーレットⅠ・Ⅱみたいに、もう一人の自分と最後一つになるねんけど、それはそれで一つのハッピーエンドではあるけど、ここでいう“無知がもたらす予期せぬ奇跡”とは、無意識に死を選択し、死なずに生きていたこと。そして、生きている間に欲しかった名声ともう1つ欲しかった力を手に入れたんだと私は解釈してます。

もう一つの力とは、それは“バードマン”を象徴とする力。決して飛ぶことではないよ。人間には、奇跡を起こす力があることをこの作品では訴えたかったんだと思ってる。そういう点では「ブラック・スワン」とはラストが違う。

マイケル・キートン演じる主人公は、かつての私と同じで、妄想と現実の境目が分かってなかったんだと思う。一見超能力者みたいに見えるけど、あれは妄想だと思ってる。超能力が本当にあるなら、プレビュー公演なんて必要ないし、舞台を成功に導けることも可能だし、批評家に悩まされることもないはずやん。裸で街を走る必要なんもなかった訳やん。

名声も奇跡も、死んでから得ても何の意味もない。生きてこそ味わえる喜びや力は、生きてなきゃ意味がないんだよ。

それから、精神疾患で、一番質が悪いのが、鬱状態より躁状態やからね。テンションが無意識に高い時の方がアップダウンの差が激しくなるから本当に要注意!役者なら冷静な状態を維持しつつテンションを上げられないと、ちょっとした失敗でも誰かに八つ当たりしたり、自分を傷つけたりしかねないから本当に要注意!他人も自分も巻き込んだらアカン!

この作品は、どさくさ紛れに批評家に対して批判したり、観客をも批判したり、もちろん演劇界や映画界を批判していて、私自身も含め当事者には痛い言葉が多々あったね。

登場人物の私生活と劇中劇が被る脚本になっていて、嫌なことから目を逸らしたらイカンのだよ!自分とも、周りともちゃんと向き合わないとイカンのだよ!的なメッセージはまさにその通り!だから良かったと思う。

キャストに関しては、エマ・ストーンの大きな目や可愛らしさとギャップのあるハスキーな声が好き!(笑)今上映中のウディの新作が楽しみ!

ナオミ・ワッツのブロードウェイ初舞台に懸ける意気込みはリアルで良かった。

代役のエドワード・ノートンの脱ぎっぷりに脱帽(笑)あ、マイケルもやな。ノートン演じる欠陥だらけだけど憎めない人物像を体当たりで演じて素晴らしかった!ノートンが不良行為に走るエマに掛ける台詞が良かった!

バードマン役の声も好き。歩道(?)で台詞を喋ってる方の声も舞台の発声だったから好き。

劇中劇の登場人物達は、マイクがないと客席後方まで届かないであろう発声だったもんな。これは明らかに映画俳優に対する皮肉だと解釈した。もっと腹から声出せよ!と言いたくなる時があるもんな…。

実は今日は(もう昨日)、この作品の前に「セッション」を観ました。千円で観れる日だったから、続けて観ちゃいました。

「セッション」を観た後だけに、「バードマン」のオープニングタイトルで、一瞬、上映ブースを間違えた!「セッション」の上映ブースに来たかも!?と勘違いしたくらいドラムSongからの始まりで、途中もドラムが鳴り響いていて、

「セッション」を観て、なぜ邦題を“セッション”にしたのか最後まで違和感がありましたが、あれをセッションっていうのかな???「バードマン」を観て納得しました。「セッション」も精神疾患を扱っていたので、上手く内容と音楽でセッションしてましたね!

今日のまとめ:「セッション」の感想は後ほど…。