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kオジサンの中山道旅日記 その19 佐久ホテルからアパホテル軽井沢荘 まで

2018-10-15 23:20:42 | Kオジサンの中山道旅日記 

10月15日(月) 晴 佐久ホテルからアパホテル軽井沢荘 まで

今日は泊りがけの街道歩きの第3日目です。
佐久ホテルから昨日の続きで歩きます。県道9号線に出て軽井沢を目指します。歩き始めて最初に目にしたのが善光寺の道標でした。かつては、この道標の前を善光寺に参拝する人が通過しました。さらに北に進むと上越自動車道を弧線橋で越えました。浅間リンゴ園へ来るとリンゴがたわわに実っているのが見えました。まだリンゴ園を開業していないようですが、何時でもリンゴ狩りが出来そうな状態です。
小田井南の信号まで来ると県道9号線から分かれて小田井宿へ入って行きました。そして佐久市から御代田町となりました。小田井宿に入ると問屋跡や脇本陣跡が並んでいます。問屋は2ヶ所あり下問屋と上問屋と2ヶ所でした。その後、寄り道で、しなの鉄道の御代田駅に寄って見ました。正面にタクシーが客待ちをしているのどかな駅でした。中山道に戻り、しなの鉄道を地下道で通り抜けて先を目指しました。やがて御代田町から軽井沢町に入りました。そして見えたのが幅の広い用水路です。「千ヶ滝湯川用水温水路」と表示してあります。これは谷川からの冷たい水を広い用水路に流し、太陽熱で暖めているようです。暖かくなった水を田畑に注いでいるのでしょう。
歩いてきて、中山道が国道18号線と一緒になりました。信号機の交差点を軽井沢方面に向うと「中山道69次資料館」がありました。資料館の周囲には中山道69次のミニチュア版が造られていました。
分去れの碑に来ました。ここには石碑と常夜燈が有りました。街道の分岐点です。江戸から来ると、左は中山道へ。右に向えば善光寺道へ向かいます。
国道18号線から分かれ、追分宿へ入って行きました。街道沿いにラーメン屋があり、お昼の時間ですの入ってみました。「麺処 暁」と言う店です。あっさりした味で美味しかったです。追分宿の中を通り抜けます。この辺り骨董屋さんが沢山有ったりする通りでして、ハイカラな感じがします。高札場が有り、宿場町だと感じることが出来ました。
また、再び宿場の街道が国道18号線と一緒になりました。そして、そこには追分一里塚が有りました。また、国道から別れて借宿地区に入りました。歩いて行くと古宿地区に変わりました。その道も再び国道18号線となりました。間も無く、中軽井沢駅前の通りとなり、駅前を通過して、しなの鉄道の橋下を潜りました。前沢橋を渡り、更に進むと再び18号線へ出ました。離山交差点から軽井沢宿を目指しました。この辺り中山道なのですが、高級な場所の感じがしました。そして、軽井沢宿に到達しました。今様の軽井沢宿。レンタサイクルで走る中国人を多く見受けました。
軽井沢宿の中心と思われる処まで到達して、軽井沢駅の方角に歩きました。その後にアパホテルへ向いました。

佐久ホテル ― 善光寺道標  ― 上越自動車道弧線橋  ― 鵜縄沢端一里塚  ― 
小田井南交差点 ― 
小田井宿下問屋 ― 脇本陣跡 ― 上問屋 ― 本陣跡 ― 筆塚 
― 御代田駅 ― しなの鉄道地下道 ― 
御代田一里塚 ― 千ヶ滝湯川用水温水路 
― 国道18号分岐 ― 中山道69次資料館 ― 
分去れの碑 ― 麺処 暁 ― 
追分宿高札場 ― 明治天皇追分行在所碑 ― 堀辰雄文学記念館 ― 
浅間神社 ― 
追分一里塚 ― 借宿地区 ― 古宿地区 ― 沓掛宿 ― 中軽井沢駅 ― 
しなの鉄道橋の下 ― 前沢橋 ― 前沢地区 ― 国道18号線 ― 離山信号交差点 ―
 軽井沢ホテル
 ― 六本辻 ― 旧軽井沢銀座通り ― 県道133号線 ― 軽井沢駅
 ― アパホテル軽井沢荘

 


佐久ホテルの朝食です。
ご飯は温泉水で炊く五穀飯となっています。
左の小鉢は温泉卵です。
佐久鯉照焼きが美味しかったです。

佐久ホテル

(08:41)
これから出発です。
佐久ホテルを表から眺めました。
この佐久ホテル。創業から600年を数えようとするほど古く、長野県内では老舗として知られています。


善光寺道標

(08:55)
佐久ホテルを出発し、県道9号線に出て軽井沢を目指しました。
歩き始めて最初に目にしたのが善光寺の道標でした。
かつては、この道標の前を善光寺に参拝する多くの旅人が通過しました。



上越自動車道弧線橋

(09:14)
上越自動車道の上を通過します。






浅間リンゴ園の横に来るとリンゴがたわわに実っているのが見えました。
まだリンゴ園を開業していないようですが、何時でもリンゴ狩りが出来そうな状態です。



鵜縄沢端一里塚

(09:27)
鵜縄沢端一里塚に来ました。





前方に浅間山が見えます。
この辺り、佐久市の小田井地区を歩いています。



小田井南交差点

(09:39)
信号機がある小田井南交差点です。
県道9号線は左に向かい、中山道は真っ直ぐ伸びています。





中山道の中を歩きます。
今日のKオジサンの後ろ姿です。




(09:50)
小田井宿が近付いてきました。
火の見やぐらが見えます。
今回、歩いていて何度も火の見やぐらを見かけました。





佐久市から御代田町に入ります。
御代田町に入ると、小田井宿跡の標識が設置して有ります。




(09:58)
前方からザックを背負った男性が歩いて来ました。
彼は軽井沢から歩いて来たと話しました。
何時に出て来たのだろう。この時間に軽井沢からここまで来るとは、相当な早足です。
今日は望月宿まで歩くと言っていました。
何処から来ているのですかと聞いたら三重県の鈴鹿市だそうでした。もう、東海道は踏破したのだそうでして、次に中山道を歩き始めたのだそうでした。
日本橋をスタートして、回を重ね、ここまで来たと話していました。
何日くらいで、ここまで来たのだろう。




小田井宿の中心部に入ってきました。



小田井宿脇本陣跡

(10:02)
小田井宿の脇本陣跡です。




小田井宿跡の説明板です。





小田井宿のお休み処です。
奥の方にトイレが有ったのだろうか。
有るように見えませんでした。
折角のお休み処。
トイレを併設してもらえると有り難いです。




(10:26)
前方から自転車が、早い速度で坂道を駆け下ってきます。
折畳みの自転車です。

背中にザックを背負っていました。
あの、和田峠で出会ったような人かもしれない。
早いスピードで走っていましたので、声を掛けれませんでした。


御代田駅

しなの鉄道の御代田駅に来ました。
駅前ではタクシーが客待ちをしています。


しなの鉄道地下道

(10:50)
しなの鉄道の下をくぐる地下道の入口です。
駅から歩いて来て、この地下道の入り口が判らなくて、近くの人に尋ねました。




御代田町の御代田地区を歩きます。
曲がった道で、旧街道らしさが有ります。


千ヶ滝湯川用水温水路

(11:25)
歩いていて、右手に千ヶ滝湯川用水温水路が見えました。
幅広い用水路。
何のためのに幅広くなっているのか判りませんでしたが、検索したら、太陽で水を温める事が判りました。


国道18号分岐

(11:42)
この先、国道18号線と合流します。
交差点には信号機が有りました。


中山道69次資料館

浅間サンライン入口に来て、更に進むと、中山道69次資料館が有りました。
先を急ぎましたので、入館しませんでした。






資料館の周りにはミニ中山道が再現して有りました。
日本橋を振り出しに、中山道を辿るものでした。




(11:53)
追分宿への標識。
国道18号線から分かれて追分宿の中に入って行きます。





(11:55)
標識の先に有ったのが分去れの碑です。
向って、左に行けば中山道へ。
右に行くと善光寺道に向かいます。



麺処 暁

(12:03)
お昼の時間であり、ラーメン屋さんに入ります。
ラーメン屋と言うことは判りましたが、ケバケバしい看板は出ていませんでした。




ラーメンとサラダ。
サービスでご飯かサラダが選べました。
それで、サラダを注文しました。
魚介系でアッサリした味で美味しかったです。




(12:19)
追分宿の中に入って生きます。


追分宿高札場

高札場ですが、古くなり読めません。
下の解説板が有るから、どうにか判ります。





(12:23)
骨董品の店。
このような骨董品店が何軒も追分宿には有りました。
骨董品店巡りも面白いでしょう。



堀辰雄文学記念館

堀辰雄文学記念館の前を通過します。





(12:32)
昇進橋を進みます。





追分宿マップです。


追分一里塚

(12:47)
中山道が国道18号線と一緒になって、その先に追分一里塚が有りました。





中山道が国道18号線から離れ、国道の南側に来ました。





(13:17)
この場所。
国道18号線が、旧国道18号線と新しい国道18号線に分かれる場所です。
このまま、進み旧国道方面で歩きます。





この辺り。
古宿地区です。






中部小入口を過ぎたところです。
前方から男性が歩いて来ました。
日本橋から街道歩きを続けていると話していました。
今日は横川から歩いて来て、小田井宿まで行くと言っていました。
今回は、4泊5日の行程で、贄川宿まで行くそうでした。





中軽井沢駅

(13:53)
中山道が国道18号と一緒になりました。
この辺り。沓掛宿なのですが、宿場らしさを感じませんでした。
私が歩いて来て、宿場らしいところを見落としたのでしょうか。

そして、進んできたところが中軽井沢駅前の通りで、この後、中軽井沢駅に向かいました。
そして、中山道を左の方向に向かいました。






しなの鉄道の線路の下を通過してきました。
そして、湯川に架かる前沢橋に来ました。





軽井沢中学校前です。
中山道は再び18号に一緒になりました。



離山信号交差点

(14:24)
離山信号交差点です。
中山道は、ここから18号と離れます。
この先が中山道なのですが、離山通りと表示しています。





軽井沢ホテルロッキングハウスです。





(14:32)
前方から来る自転車の二人。
レンタサイクルに乗った中国人でした。
この先でも何人かの中国人と擦れ違いました。
中国人には、軽井沢を廻るのにレンタサイクルが人気が有るように見えました。



六本辻

日本では珍しいロータリーです。





旧軽井沢に入って来ました。
右手にレンタサイクルの店が有ります。





(15:08)
旧軽井沢方面に来て、歩道を歩いています。
街路沿いの樹木。
少し色付いてきた感じがします。



旧軽井沢銀座通り

(15:12)
軽井沢宿に来ました。
旧軽井沢銀座通りです。
このシーンは人が少なく写っていますが、こうなるまでは、沢山の観光客が居ました。





県道133号線を軽井沢駅に向って歩きます。
マリリン・モンローが「オー モウレツ!!」と言っているようです。





軽井沢駅に向かって歩いています。




軽井沢駅

(15:40)
軽井沢駅まで来ました。




アパホテル軽井沢荘

(15:46)
軽井沢駅の東。
アパホテル軽井沢荘に来ました。
到着です。




今日の歩行距離と歩数です。
9時前から4時前までで7時間程歩きました。
歩行距離は27キロ余りです。




軽井沢・プリンスショッピングプラザ

(16:29)
ホテのチェックインを済ませた後、軽井沢・プリンスショッピングプラザに出かけました。
軽井沢駅から眺めた様子です。




最初に目に留まったところがグッチです。
好い場所に店を構えています。
高級な店。
ガラスの外から覗くだけです。





繋がるモール。
高級店が多いです。





ゴディバ。
カミさんへの土産をと思い、中に入りチョコレートを買い求めました。





こちらは軽井沢の土産のコーナーです。
かんてんパパショップ。
ここで大根もちを買いました。





(17:18)
モール。
暗くなり、明かりが灯りました。
綺麗です。




感想
今日も良く歩きました。
離山信号交差点から旧軽井沢方面に歩きました。この辺り、洒落た建物があったりして独特の雰囲気が有ります。避暑地の道と言う印象します。そんな処で、レンタサイクルに乗った何組もの中国人を見かけました。団体でなく個人で来ているのか、その行動力に感心しました。(軽井沢までは団体で来いるのかもしれません)


今日の経費
佐久ホテル 宿代 7,235円。
ペットボトル 100円
ラーメン 860円
バックインバック 500円
アパホテル 9,200円
チョコレート 1,000円
大根もち 520円
カップ麺、酒等  1,061円

               合計 20,476円


kオジサンの中山道旅日記  その20
10月16日(火) 晴 しなの鉄道軽井沢駅からJR那加駅 まで  へ

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kオジサンの中山道旅日記 その18 民宿 みや から佐久ホテル まで

2018-10-14 23:43:44 | Kオジサンの中山道旅日記 

10月14日(日) 曇時々雨後晴 民宿 みや から佐久ホテル まで

今日は泊りがけの街道歩き、第2日目です。
民宿みやからスタートします。そして、落合橋まで来て、中山道歩きの再開しました。初めは国道142号線を歩き、順調でしたが、長久保の信号で、そのまま国道142号線を歩かなければならないところを国道152号線の方向に行ってしまいました。そして、間違いに気づき修正しました。
長久保宿から笠取峠を目指した時、どの方向に向えば良いのか判らない時が有りました。そんな私の姿を見て、通りがかった男性から向う方角を教えて貰いました。笠取峠の松並木を歩いていて、雨が降り出しました。その雨も、茂田井宿の入口辺りまで来た時には止みました。茂田井宿は芦田宿と望月宿の間にあり、69次の宿場ではなく間(アイ)の宿です。この茂田井宿は映画で「家族はつらいよ」第3作の一場面に登場した場所です。舞台となったのは造り酒屋です。茂田井宿には大沢酒造と武重本家酒造が有りますが、どちらが取り上げられたのか判りませんでしたが、映画の1シーンで登場したのが武重本家酒造で有る事が判りました。
八幡宿の手前でも、また道を間違えました。国道沿いに歩かなければならないのに、県道44号線を歩いてしまいました。そして、脱穀作業をしている人に聞いて八幡宿に向いました。
塩名田宿へ来ると「中山道塩名田宿宿場祭り」が開かれていました。もう、祭りが終わるの時間でした。祭り会場近くには中山道の69宿の幟旗が立っていました。タマタマ訪れた塩名田宿。毎年、10月第2日曜に宿場の祭りを取組んでいる事が判りました。
塩名田宿を過ぎると田圃では脱穀をやっていました。反対側はリンゴ畑で、リンゴがたわわに実っていました。雲に隠れていた浅間山が姿を表し、高架を北陸新幹線の列車が走っていきました。


民宿みや ― 落合橋  ― 四泊一里塚  ― 長久保宿横町  ― 長久保宿竪町 ― 
長久保宿高札場 ― 松尾神社 ― 笠取峠 ― 笠取峠一里塚 ― 笠取峠松並木 ― 
芦田宿入口 ― ふるさと交流館芦田宿 ― 茂田井間(アイ)の宿入口 ― 茂田井宿一里塚
 ― 石割坂 ― 大沢酒造 ― 武重本家酒造 ― 望月宿入口 ― 歴史民俗資料館 ― 
望月トンネル ― 八幡宿本陣跡 ― 御馬寄 ― 中津橋歩道橋 ― 塩名田宿 ― 
塩名田宿本陣跡 ― 駒形坂  ― 駒形神社 ― 平塚一里塚  ― 岩村田宿 ― 佐久ホテル


民宿みやの朝食です。
右側はお握り弁当です。大きなお握りに魚肉ソーセージが付いていました。


民宿みや

(07:18)
民宿みやを出発します。
トラックやバン。
これらの車は工事で滞在している人たちの車です。
今日は日曜日。仕事に出かけないのかも知れません。



落合橋

(07:35)
中山道の落合橋まで歩いてきました。
ここからが中山道歩きです。




国道142号線の歩道を歩きます。
歩道を歩いていますが、横を大型車が轟音をたてて走り去ります。



四泊一里塚

(07:49)
この一里塚。
何と言う名なのか表示していませんが、街道歩きの参考書には四泊一里塚と表示しています。






道を間違えて国道152号線の方角に来てしまいました。
先に見えるのが長久保宿の方角です。
宿場の方角に向かいます。


長久保宿横町

(08:10)
来たところが長久保宿横町です。
直線の道路では有りません。





長久保宿の角です。
矢印で江戸方、京方と現しています。




長久保宿竪町

(08:16)
長久保宿の道。
登り坂になっています。



長久保宿高札場

宿場内の高札場。
芦田宿への荷駄より和田宿への荷駄の運賃が高いのは距離が遠いからでしょう。
こんな所にも面白さが有ります。




街道沿いの消火栓とホース格納箱。
宿場の雰囲気にマッチするよう配慮されています。




(08:32)
松尾神社の所まで来ました。
行く先を確認するため参考書の地図を見ていましたら、軽四トラックで通りがかった男性が向う方向をアドバイスしてくれました。
この先は、「原道」、「原道」へと行けば好いと言いました。
歩いていて、どちらに向えば好いのか心細い時、このように親切にしてもらえたのは嬉しい事でした。
この時浮かんだのが「旅は道連れ、世は情け」と言う言葉です。情けを掛けてもらいました。




草道を登って行きます。




「原道」へと・・・・・・。
指示標識の字を見て、言われた事が判りました。
ここの標識は立っていますが、朽ちて落ちているのも有りました。





歩き易い道。




(09:07)
この辺り、街道の雰囲気が有ります。





原道から国道142号線に出ます。
指示標識が傾いていましたので、直そうとしましたが、支柱の根元が傷んでいました。






国道142号線で、道の両側に設けられた常夜灯です。
左が北側で右が南側にありました。
白い部分。これより長久保宿と表示しています。それに中山道の文字は長野県知事の揮毫に寄るものです。


笠取峠

(09:21)
笠取峠の頂部まで登ってきました。



笠取峠一里塚

国道の反対側に一里塚が有りました。
枝垂桜の根元に石碑が有ります。


笠取峠松並木


(09:55)
笠取峠の松並木の入口です。




松並木を歩きます。
この辺りから、雨がパラパラしだしました。
大きな松の木ですが、切り倒して切株状態になったのも有りました。


芦田宿入口

(10:34)
芦田宿の入口で、ポケットパークのようになっていました。





(10:40)
芦田宿の中を歩きます。
路面が濡れてきました。


ふるさと交流館芦田宿

(10:49)
芦田宿のふるさと交流館です。
館内には中山道に関する解説が有りました。




芦田宿の解説が有りました。
少しピンボケでした。




保科百助のコーナーです。
立科出身の保科百助は教育者として活躍した。
又、鉱物採集に勤めました。


茂田井間(アイ)の宿入口

茂田井宿の入口に来ました。
宿場の散策マップです。



茂田井宿一里塚

(11:19)
茂田井宿の中に一里塚が有りました。
南側に小さな「山」がありました。




茂田井宿の中の道です。



大沢酒造

(11:47)
道順で先に大澤酒造に寄りました。
杉玉が下がっています。




ザックを背負ったお二人にお会いしました。
今日は望月宿から芦田宿までを歩くと話していました。
日本橋からスタートして短い距離を、回を重ねて歩くようにしていると言っていました。
ご夫婦で街道歩きを楽しんでおられる。そんな風に見えました。




大澤酒造の敷地内です。
大澤酒造民俗資料館に入りました。
1階はここへ訪れた著名人のサインがありました。
それに、試飲も出来たようです。
2階には古い文献や生活用具が並んでいました。



こちらはしなの山林美術館です。





しなの山林美術館の内部です。
山林美術館となっていますが、信州の風景画などが展示して有ります。





この角度からのシーンが映画で流れました。



武重本家酒造

(12:10)
武重本家酒造の門です。
こちらも杉玉が下がっています。




(12:49)
茂田井宿と望月宿の間です。
脱穀作業をする大人たち。
その近くで遊ぶ子供達の声が聞こえて来ました。





望月宿の案内マップ。



望月宿入口

(13:00)
望月宿の入口まで来ました。



歴史民俗資料館

(13:19)
佐久市望月商工会館から写した歴史民俗資料館です。
こちらは本陣跡です。





タクシーの待機場所にあった望月宿の案内図です。



望月トンネル

(13:40)
本来の中山道は山を越えるのですが、楽をするためトンネルを抜けました。
このトンネル。旧142号のトンネルですが、新望月トンネルが出来て、車の通行量が減りました。









旧142号線と新しい国道142号線が一緒になりました。
前方の視界が広がっていますが、佐久市方面です。





(13:55)
祝言道祖神。
安曇野で見かける道祖神とは違うタイプです。




百沢東地区に来ました。
国道142号線を歩かなければならないのですが、県道44号線を歩いてしまい、道を間違えました。
雨が降った後です。
浅間山の山頂部は雲に隠れていますが、裾野の姿は見えます。




(14:12)
ご夫婦で脱穀作業に取り組むお二人です。
道を間違えてしまい、お二人に声を掛け、八幡宿に向う方角を確認しました。




八幡宿に入ってきました。





(14:46)
塩名田宿と八幡宿の間です。反対方向から男性が歩いて来ました。
日本橋から街道歩きを重ねていると話しました。
今日は御代田から歩いて来たと言っていました。

この男性。10年前にも日本橋から中山道を歩いたそうです。
そして、再び中山道歩きを始めたのだと話していました。


中津橋歩道橋

御馬寄と塩名田宿の間を千曲川が流れています。
その千曲川に架かる橋が中津橋です。橋の幅が狭く、後から架橋されたのでしょう。
中津橋歩道橋のプレートが付いていました。
前方から女性が歩いてきます。
彼女が「餅」を貰ってと言い、渡されました。





中津橋歩道橋から望む千曲川。



塩名田宿

(15:10)
橋の上までスピーカーからの音が聞こえました。
ビンゴゲームをやっている様子でした。
それで、音がする方へ来ました。
何か、祭りのようでした。

この道。
坂道になっていて、川に向って下って行きます。
塩名田宿宿場祭りの会場でした。




私が来たタイミングは祭りが終わるというタイミングでした。
責任者の人が締めくくりの挨拶しています。

先ほどのオバチャン。
ここで振舞い餅を貰ったので、それを私にくれたのでした。

検索したらこんなサイトにヒットしました。
http://www.sakukankou.jp/event/shionada-shukubamatsuri/
もう、終りの時間なのですが、綱引きなどが行われたようです。

歩道橋を渡ってきて、スピーカーから大きな音が聞こえました。
それで、この会場に来ました。
好奇心を出さなかったら、祭りが有る事を知らずに通過していました。
今は橋が架かっており、簡単に渡れてしまいます。




浅科地区の公民館駐車場に設置して有った塩名田宿の案内板です。
千曲川に舟つなぎ石が描かれています。
中山道を歩いて来て、坂道を下り、千曲川に出ます。
そして、渡船で渡ったのでしょう。

祭り会場に寄らなかったら、渡し舟で往来していた事が判らなかったです。
こう言う発見が面白い。



(15:44)
駒形神社を過ぎて田園地帯を歩いています。
浅間山の山頂は見えませんが、裾野は判ります。
長い高架部分。
北陸新幹線の列車が長野方面に向って行きました。





田園地帯の中を歩いていて、リンゴ畑が芽に入りました。
リンゴが沢山実っています。




(15:55)
佐久市の中佐都地区です。
立派な松が街道らしさを出しています。




S字にカーブした中山道。
街道らしさを感じます。





(16:12)
間も無く中部横断道路の下をくぐると言うところに来て、ご夫婦と擦れ違いました。
大から来たと話していました。
塩名田宿まで行き、佐久平で泊まると言っていました。
奥さんと話していて、民宿みやの話が出ました。
この先。
街道歩きを続け、民宿みやに泊まるのかも知れません。



岩村田宿

(16:56)
岩村田宿に入ってきました。
アーケードのある歩道で、宿場町と言う感じがしません。



佐久ホテル

(17:02)
佐久ホテルに到着しました。
お疲れ様でした。






今日の歩行距離と歩数です。
約10時間の歩行で約30キロ。と言うことは時速3キロの歩行速度です。
普通、歩くのは時速4キロと言われています。
色々のことに興味を示しながら歩いて居ますので、こんな歩行速度です。
早く歩けば、色々と見落としが出てしまいます。

それにしても、良く歩きました。


感想
笠取峠に向っていて、どちらに向って好いのか判らなかった時、地元の人が教えてくれました。ザックを背負った格好の私。そんな私に道を教えてくれた事が嬉しかったです。
雨が降り出すとは予測していませんでした。一時、降られましたが、短時間に上がり、ヤレヤレでした。
茂田井宿の作り酒屋。映画を見た時に、どんな場所だろうと興味を持ちました。その造り酒屋に寄る事が出来て良かったです。

今日の経費
民宿 宿代 7,000円。
ビール 650円
お握り 600円
飲料水 120円
おでん、酒等  1,186円

               合計 9,556円

kオジサンの中山道旅日記  その19
10月15日(月) 晴 佐久ホテルからアパホテル軽井沢荘 まで  へ

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kオジサンの中山道旅日記 その17 JR下諏訪駅から民宿みや まで

2018-10-13 23:46:29 | Kオジサンの中山道旅日記 

10月13日(土) 晴 JR下諏訪駅から民宿みや まで

中山道の街道歩きを重ねています。これまでは早朝に自宅を出て、始発列車で目的地に向い、街道歩きをしてから列車で帰って来ると言うパターンを繰り返してきました。歩く場所が自宅から遠くなってきて、泊を伴わないと街道歩きが出来なくなりました。
今回は下諏訪宿からの歩き出しです。それで、前日に下諏訪へ行き、ビジネスホテルに泊まって、翌朝にスタートする計画でした。しかし、ホテルが満室で予約する事が出来ませんでした。そんな訳で特急で塩尻に向かい、下諏訪からは途中までタクシーを使いました。和田峠を越えるのが理想でしたが、それが無理なら旧トンネルの中を歩いても良いと考えていました。それでも、何とか和田峠を越えることができました。峠を下ってきて和田宿まで歩いて来ました。辺りが段々暗くなってきたのです。それで、民宿に連絡して本陣近くまで迎えに来て貰いました。

和田峠を越えました。峠に向かう道が下諏訪町で、峠を越えたら長和町となりました。峠の南側と北側では道の状況がガラッと違いました。下諏訪側では、峠の頂部が近付くと草が繁り、道幅も人がやっと通れるほどの広さにとなりました。北側の長和町の方は道幅が広く、草を刈ってありました。民宿みやの女将から聞いたのですが、長和町の方は補助金が出ているが、下諏訪町はボランティアでやっていると話していました。ボランティア活動に限界が有ります。補助金を投入してでも好い道にして貰いたいものです。
ホテルの予約を、早くからすれば良いのですが、天候の見通しを確認していたら満室になってしまいました。何時の日に決行するか、判断の難しいところです。

JR名古屋駅 === JR下諏訪駅 ――― 町屋敷バス停  ― 五十四里塚  ― 
中山道石碑  ― 樋橋茶屋跡 ― 山の神 ― 水戸浪士の墓 ― 西餅屋一里塚跡 ―
 西餅屋茶屋跡 ― 石小屋跡
 ― 賽の河原 ― 和田古峠 ― コルゲート ― 
東餅屋立場跡 ― 広原一里塚 ― 近藤巡査殉職の地 ― 接待所 ― 廃車 ― 
三十三体観音 ― 休み茶屋跡 ― 和田峠入口
 ― 唐沢一里塚 ― 扉峠口バス停 
― 鍛冶足信号交差点  ― 和田宿高札場跡 ― 上和田バス停
 ― 和田宿本陣
 ――― 民宿みや 

 

乗車券と特急券です。
昨日、買ってきました。


JR名古屋駅

名古屋駅の10番線ホーム。
そして、しなのの6号車の乗車口です。
快速列車で名古屋駅に6時27分に着きました。
連絡通路を歩き、10番線ホームへ来たのが6時30分過ぎでした。
6号車の乗車口には前に2人並んでいて、3番目でした。

千種とか多治見から乗車するとなると座席指定券を買った方が好いでしょうが、始発駅からですので、指定席券は買いまいませんでした。



(06:50)
特急しなの1号が入線してきました。




後ろから3番目、窓際のシートに座る事が出来ました。
名古屋駅で何人も乗車する人が有り、空席は少なかったです。




(08:14)
車窓から
須原宿が見えます。
あの道を歩きました。




(08:58)
塩尻駅に着きました。
ここでは、沢山の人が下車しました。




(08:59)
4番線には9時10分発の甲府行きが待っています。




間も無くみどり湖駅です。
その先に塩嶺トンネルが見えます。
かつての中央東線は辰野駅経由でした。
新線が出来てショートカットとなりました。
この新線。調べましたら昭和58年に出来たようです。




(09:28)
間も無く下諏訪駅です。
下りの列車が見えますが、この列車は9時27分発の豊橋行きの普通列車です。



JR下諏訪駅

下諏訪駅です。
昼飯を調達するためSEIYUに向かいました。そして、第一交通下諏訪営業所へ行きましたら、ここて゜はタクシーを拾う事が出来ませんでした。仕方なく、下諏訪駅に戻りました。
下諏訪駅からタクシーに乗車しましたが、こんな事なら駅の売店でお握りを買えば良かったです。
時間を無駄にしてしまいました。




(10:14)
タクシーの車内です。
国道142号線を走って貰いました。


町屋敷バス停

(10:17)
タクシーのメーターが100円毎に上がっていきました。
手元に有った札が2,000円でした。
ドライバーに2,000円で行けるところまで行ってと告げました。
走行していると、バス停が有り、道が広くなった場所が見えましたので、ここで下ろして貰うよう頼みました。
その時の料金は1,800円でした。



歩き始めです。
まだ、この辺りは歩道が有りました。


五十四里塚

(10:37)
一里塚ですが、企業の敷地内を通らせて貰い、ここへ来ました。
この一里塚の場所が行き止まりになっていました。
来た道を戻りたくなかったので、斜面をよじ登り、国道に出ました。





斜面を上がって来て国道に出ました。
そして、国道142号線の歩道を再び歩きました。




(10:51)
中山道の指示標識。
手摺で字が読め亡くなっています。
上の補助標。
峠に向うのに数字が減って行き、残りがどれ程なのか判りました。



中山道石碑

石碑を寄せ集めたような場所です。
日本橋から碓氷峠、笠取峠、和田峠を経て五十四里。塩尻峠、木曽路を経て京都まで七十八里と書かれています。


樋橋茶屋跡

(11:13)
道路を隔てて、樋橋茶屋跡の表示が見えます。


水戸浪士の墓

国道142号線からはずれ、水戸浪士の墓に来ました。
天狗党の水戸浪士が京を目指しました。
そして、ここで合戦が有りました。





(11:35)
国道142号線。
車が間断なく走ります。
激しく車が行き交う道路。
そんな道路の隅を歩きます。
長門は長門町を表します。長門町と和田村が合併して長和町になりました。
長門町までは行かないが、相当な距離が有ります。



前の方から坂道を駆け下りて来る人がいました。
少しだけ言葉を交わしました。
和田峠の下からスタートして塩尻までを走ると言っていました。



(12:15)
国道から離れ、山道に入って行きます。




この道。
この辺りは幅の広い道で歩き易かったです。
でも、高度が上がるに連れて道幅が狭くなっていきました。





峠まで、2.4キロ。





西餅屋一里塚跡

(12:34)
ひっそりとした一里塚の石碑。
上に見えるガードレールが国道です。





国道を横断しました。
峠まで1.8キロと表示しています。


西餅屋茶屋跡

(12:41)
西餅屋茶屋跡です。
左下の西餅屋復元図には四軒の餅屋が描かれています。
中山道の両側に四軒の餅屋が載っていました。





人、一人が通れるほどの道幅になりました。





峠まで1.4キロです。


減少していく指示標識の数字
上の画像に有るような指示標識が何箇所も設置して有りました。
五十四一里塚から斜面を這い上がって、最初に目にしたのが5.8km。の標識です。是より前にも有ったのかも知れません。
この後、5.4km。5.0km。2.7km。2.4km。2.2km。2.0km。1.8km。1.6km。1.4km。1.2km。1.0km。0.8km。0.6km。0.4km。0.2km。と段々数字が減ってきた標識を目にしました。5.0からいきなり2.7と減少しました。見落としたのか、違う場所に設置して有ったか何れかです。
とに角、数字が減っていく。
峠が近付いているのを実感できました。





(13:12)
草が伸び放題になっている道。
街道と言うより登山道と言う感じがします。






前方から自転車を押しながら降りて来る男性と出合いました。
今日は望月宿から来たと言っていました。
そして、この後、下諏訪宿に向うと言っていました。
何処から来たのかと聞くと、岐阜県からだと言いました。
私も岐阜県です。岐阜県のどちら、と聞くと、本巣市だと話しました。
こんな場所に来て、同じ県の人に出会うなんて、と言う気がしました。

彼が乗っていたのは折畳み自転車です。
折畳み自転車をバスの車内に持ち込む事が出来ないので、宅配便で支店留めで送り、乗ってきたと言っていました。
詳細は聞かなかったのですが、日本橋からスタートして、続けているようでした。
彼から得た情報ですが松井田へ高速バスが来て居ると言う情報を教えてくれました。それなら、この先だから利用しない手は無いと思いました。



(13:46)
峠が近付いてきました。
指示標識の柱に「第一の曲がり」と表示しています。
ここから7つの「曲がり」が有り、九十九折れの道になっていました。


和田古峠

(13:49~14:10)
峠の頂部まで登ってきました。
ここで遅めの昼食です。
お握りにパク着きました。




(14:12)
和田峠からの下り道。
峠からスタートしました。
こちらの道は幅が広いです。





ビーナスラインを横切ります。


コルゲート

(14:27)
ビーナスラインを横切るのですが、この箇所はコルゲートで道路の下を抜けます。
ビーナスラインが高度を稼ぐためジグザグになっています。

道路を2回横切り、地下道を1回通り抜けました。






コルゲートの中から外を見渡しました。
足元には川が流れています。


東餅屋立場跡

国道142号を歩いて来て目に入ったのが、この店。
力餅の看板も有ります。
この餅屋を検索してみると、かつては餅が食べれたが、何年か前に廃業したみたいです。





(14:43)
国道沿いに有った餅屋から歩き出すと、道は林の中に入っていきました。
谷筋になっていて、横を渓流が流れています。




接待所

(15:10)
中山道が着いては離れる道。
下って来て、接待所まで着ました。





廃車になった車が見えます。
近くに道路が無いのだが、ここまでどのようにして来たのだろう。



三十三体観音

(15:31)
三十三体観音。その先には避難所が見えます。



和田峠入口

(15:35)
和田峠の登山口まで降りて来ました。
歴史の道の標識が設置して有ります。


扉峠口バス停

142号線を歩いて来て、歩いて来た方向に振返りました。
バス停が有りまして、扉峠口となっています。
扉峠を探してみますと、美ヶ原の手前でした。
長和町と松本市との境界です。


鍛冶足信号交差点

(16:42)
国道142号線から分かれ、和田宿に向かいます。





和田宿に入って来ました。
宿場の道らしい感じがします。



和田宿高札場跡

高札場が有った場所。
説明板が設置して有ります。




(16:59)
宿場の中心部に来ました、





米屋鐡五郎。
店は閉まっていますが、何の店だろう。
食堂のようでした。
店のスタイルから、凝った和食が主かと思いきや何とガレットがメイン。と有ります。
営業時間が17時までとなっていますので、店を閉めたのでしょう。


和田宿本陣

和田宿本陣です。
立派な建物です。
この本陣には2013年6月2日に訪れています。
皇女和宮の降嫁について説明して有りました。





和田宿の行燈的なモノが、町内に何基か有りました。





(17:03)
かわちや。
歴史の道資料館となっています。

17時を過ぎた時間になり、薄暗くなり掛けて来ました。
民宿 みや に連絡して迎えに着てもらいました。




民宿みや

(17:17)
民宿みやに着きました。




今日の歩数と歩行距離です。
歩き始めはタクシー。
そして、終りには迎えを頼みました。




民宿みやの夕食です。

和田宿に「本亭旅館」が有りましたが、何年か前に廃業してしまいました。それで、宿場間の距離が長くなり、中山道を歩くには民宿みやに泊まらなければなりません。
私以外の宿泊客は工事などの関係で滞在している人たちでした。



感想
平地を歩く時はウオーキングシューズで、和田峠を越える時は登山靴を使用しました。歩き出した町屋敷の標高が1,000m程で、和田峠は1,600m余りです。一山越えました。良く歩いたなと思います。
かつて国道142号線を走った時、水戸浪士の墓があるのを見かけました。今回、歩いてみて天狗党と松本藩高島藩連合軍が戦ったのだと知りました。歴史を知る事が面白いです。


今日の経費
JR那加駅からJR下諏訪まで4,000円 特急券2,160円。
カップコーヒー 120円
お握り 319円
OQ絆 350円
お茶、菓子等  684円
タクシー 1,800円

               合計 9,433円

kオジサンの中山道旅日記  その18
10月14日(日) 曇時々雨後晴 民宿みやから佐久ホテル まで  へ

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kオジサンの中山道旅日記 その16 JR洗馬駅からJR下諏訪駅 まで

2018-09-24 23:18:09 | Kオジサンの中山道旅日記 

9月24日(月) 晴 JR洗馬駅からJR下諏訪駅まで

中山道の街道歩きを重ねています。これまでは早朝に自宅を出て、始発列車で目的地に向い、街道歩きをしてから列車で帰って来るというパターンを繰り返してきました。今回は、自宅から目的の駅までが4時間。そして街道歩きが4時間。到着した駅から自宅へ戻るのに5時間かかりました。これから歩く行程が遠くになり過ぎ、その日に戻って来ることが出来なくなります。

洗馬駅を出て歩き出すと、そこはブドウ畑の連続でした。塩尻市のブドウ地帯は桔梗が原と呼ばれています。たわわに実ったブドウ。甘い香りを放っていました。ブドウ園に寄り、ブドウを分けて貰いました。こんなことができるのも、今の季節ならではです。
塩尻宿を抜けると、緩い上り坂になりました。塩尻峠を過ぎると眼下に広がる諏訪湖。終盤は列車の時間が迫っていて、早足で歩く。そんな街道歩きでした。

JR洗馬駅 ― 洗馬宿  ― 邂逅の清水入口  ― 善光寺道の追分  ― 床尾踏切 ― 
庚申塔 ― いちかち踏切 ― いわだれ農園 ― 第1仲仙道踏切 ― 平出遺跡駐車場 
― 平出一里塚 ― 昭和電工塩尻工場 ― 中央線アンダーパス ― 耳塚 ― 
大門神社 ― 下大門交差点 ―  塩尻橋― 道祖神 ― セブンイレブン ― 
堀内家住宅 ― 阿礼神社  ― 塩尻宿 ― 本陣跡
 ― 塩尻宿高札場跡 ― 小野家住宅 ― 十王堂跡 ― 縁並橋 ― 柿沢一里塚跡 ― 高札場跡 ― 首塚・胴塚入口 ― 
柿沢橋 ― 地下道 ― 牛馬守護神 ― 国道20号線 ― 
明治天皇塩尻嶺御膳水碑 ― 
塩尻峠 ― 中山道の大石 ― 石船観音 ― 堤上歩道橋 ― 
中山道石碑 ― 
今井家小休所 ― 道祖神 ― 大橋 ― 東堀一里塚跡 ― 出早口交差点 ― 
国道20号線 ― 富士見橋 ― 下諏訪駅前交差点 ― JR下諏訪駅



(09:45)
先頭車両から洗馬駅が見えます。
間も無く洗馬駅です。



JR洗馬駅


洗馬駅です。
洗馬駅で下車したのは、私だけでした。
ひっそりとした無人駅です。




(09:51)
前回、街道歩きを終了した場所です。
ここから再び、街道歩きを再開します。


善光寺道の追分

右が中山道で、左は善光寺道です。



庚申塔

(10:07)
庚申碑や石仏が並ぶ場所です。
道を間違えてしまいました。
ここへは来てはいけないところでした。
中山道のコースは、踏切を渡ったら、左の道に向かわなくてはなりませんでした。





民家の庭先で見かけたヒガンバナです。
ヒガンバナが咲いているのを見ると、秋の訪れを感じます。




歩いて来てブドウ園の下がったブドウが見えました。



いわだれ農園

(10:20)
道を間違え北へ歩いて来て、有ったブドウ園が「いわだれ農園」でした。




小銭入れに100円玉が5コだけ有りました。
それで、500円分だけ、分けて貰いました。



手を振ってくれたご主人。
奥様はパンフを下さいました。






戴いたパンフです。






この辺り。
桔梗が原はブドウ畑が連なっています。
道を挟んで、ブドウ園が並んでいます。





いわだれ農園で貰ったナイアガラ。
ご主人に「持って行け」と言って貰え、貰ってきました。
道々、歩きながらブドウを味わいました。(お行儀が悪い)




第1仲仙道踏切

(10:31)
歩いて来て、ついに中山道の最初の番号の踏切に到達しました。
丁度、しなの5号が踏み切りを通過しました。





右側はソバ畑。
前方に山並みが見えます。
一時、あの山を越えなければならないと思いました。
実際は右側で、もう少し低い山でした。




平出一里塚

(10:38)
平出の一里塚が見える所まで来ました。
街道を挟んで塚が両側に有ります。
立派な松。
このような塚は珍しいです。



昭和電工塩尻工場

長いコンクリート塀。
昭和電工塩尻工場の南側を歩きます。


中央線アンダーパス

中央東線の下を通り抜けます。
狭い道路で歩道は、一段高くなっています。


耳塚

(10:56)
大門神社の横に耳塚が有りました。





(11:05)
下大門交差点から国道153号線を歩きます。
車の交通が多いです。


道祖神

道祖神の石碑が並んでいます。
もともとはアチコチに有ったものを一纏めしたのかも知れません。
あの、一方通行の標識の道が中山道で、アチラへ向かいます。




曲がりくねった道で街道らしさが有ります。
国道153号線から離れましたが、また国道に着きます。





(11:23)
国道から離れて、また着いての中山道。
前方をアルプスワインのトラックが走って行きました。
荷台にドラム缶が乗っています。
恐らく収穫したブドウが乗っているのでしょう。
アレが新酒になります。

ここ、塩尻市はアルプスワインを始め井筒ワイン、信濃ワイン、城戸ワイナリーなどのワインメーカーが揃っています。
塩尻市がブドウの育成の好適地だからなのでしょう。




塩尻宿の標識。
ここは本陣の跡です。





明治天皇鹽尻行在所の碑。


十王堂跡

十王堂跡です。
ここにも庚申の石碑が何個か有ります。
集めてきて、一纏めにしたのかも知れません。





(11:34)
双体道祖神です。




道路沿いに塩尻宿往来と描かれた地図が設置して有りました。




(11:43)
曲がった道。
街道らしさが感じられる好い道です。





本棟民家の説明板が建っている家屋です。





緩やかな上り坂を歩きます。




先ほどの本棟造りの家屋と同様の家屋を見かけました。
工事中の堀内家と言い、説明板の有った本棟造りの家と言い、立派な家屋が並んでいます。
鬼瓦の位置に設置してあるもの。
アレは何と言うのだろう。




(11:54)
中山道の柿沢地内、塩尻峠に向かって歩きます。
今日のKオジサンの後ろ姿です。


柿沢橋

長野自動車道に架かる柿沢橋を渡ります。
右下にトラックが止まっていますが、みとり湖パーキングエリアです。


地下道

国道20号線の下。地下道を通過します。



国道20号線

(12:21)
中山道が、国道20号線と一部重複する箇所が有ります。



塩尻峠

(12:46)
20号線から離れて中山道を歩きました。
指示標識が無く、どちらの道に進んで良いのか、迷いました。
前方から降りてきた車に停まって貰い、進んでいる道で間違いがないと確認できました。
坂道を登ってきて、塩尻峠に到達しました。




塩尻峠からの下り坂。
途中に中山道の大石が有りました。
更に、下って来て諏訪湖が見えるところに来ました。





(12:59)
坂道を降りて来て、諏訪湖の眺望の良い所に来ました。




国道20号線バイパスの上を歩道橋で渡りました。



坂を下ってきたところで中山道の碑を目にしました。
「おかや歴史の道 文化財めぐり  中山道」の案内板が設置して有ります。

今井家小休所

(13:09)
立派な門構えの家屋です。
明治天皇が休んだという石碑が立っています。




火の見やぐらの下の道祖神。
風雨に晒され、姿が判り難くなっています。


出早口交差点

(13:26)
中山道が国道20号線と交差します。
右の道が中山道ですが、先を急ぎますので国道を歩きます。
普通列車の時間が13時55分です。
下諏訪駅を目指して、足早に歩きました。


国道20号線

国道の歩道を歩きます。
東京まで207キロのキロポストが見えます。



下諏訪駅前交差点

(13:50)
下諏訪の交差点まで来ました。
先に下諏訪駅が見えます。



JR下諏訪駅

(13:51)
ようやく、下諏訪駅に着きました。
この時間なら、列車に間に合う。
ヤレヤレでした。




(13:55)
下諏訪駅の2番線ホームです。
13時55分発の長野行きの普通列車が入線してきました。
この列車に乗らないと、列車の連絡が悪く、自宅に着くのが21時頃となってしまいますので、どうしても、この列車に乗りたかったのです。



左が洗馬駅の時のモノで、右が下諏訪駅に着いた時のモノです。
20キロ余りを歩きました。
時間にして、約4時間。歩行の速度が時速5キロ。
頑張りました。
特に、塩尻峠を下りてきてから下諏訪駅に向うのに、必死でした。



(14:25)
塩尻駅に着きました。
塩尻駅での乗換え時間が40分有りました。
駅の待合室に立ち食いのソバ屋が有ります。
ソバが有る事は以前に来た時に見て、知っていました。
キオスクでビールを買い、遅めの昼食です。



食事をして、中央西線のホームに下りてきて、列車の到着を待ちました。
下諏訪方面から来て松本方面へ走り去る列車。
豪華ハイグレード列車「なごみ(和)」です。
珍しい列車を見る事が出来ました。




(14:46)
中津川行きの普通列車が入線してきました。




お得なきっぷ

左上が青空フリーパスです。2,570円でフリー区間の範囲では乗り放題です。
洗馬駅はフリー区間の外ですので、木曽平沢から洗馬までの乗車券を買いました。
左下は帰路で下諏訪から塩尻までです。
その右は塩尻から木曽平沢までの乗車券です。
私の最寄り駅は那加駅で、通常に買うと往路が3,020円。復路は3,350円となります。
青空フリーパスを使って3,530円です。
大幅に倹約できました。



いわだれ農園で買い求めたブドウを自宅で広げてみました。
アノ時、持っていた小銭が100円硬貨、5枚でした。
500円で分けて貰える量だけをと希望したら、こんなに沢山戴きました。
ナイアガラの味。甘くて美味しかったです。



感想
下諏訪駅を13時55分に出る列車に乗るため、終盤は必死で歩きました。
そして、駅に着き、間にあってヤレヤレと言った気分でした。
桔梗が原を歩き、いわだれ農園では安く分けていただく事が出来ました。ザックを背負った旅人姿でしたので、サービスして貰えました。有り難い事です。
今回は塩尻峠越えでした。時速5キロの歩行速度。頑張りました。


今日の経費

JR那加駅からJR木曽平沢駅までの往復。青空フリーパス使用。 2,570円
エリア外の乗車券 960円
パン    78円
飲料水    98円 
蕎麦   290円
缶ビール 566円
ピーナツ 134円
ブドウ   500円
               合計 5,196円


kオジサンの中山道旅日記  その17
10月13日(土) 晴 JR下諏訪駅から民宿みや まで  へ

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kオジサンの中山道旅日記 その15 JR木曽平沢駅からJR洗馬駅 まで

2018-09-03 23:09:36 | Kオジサンの中山道旅日記 

9月3日(月) 晴 JR木曽平沢駅からJR洗馬駅まで

中山道の街道歩きを重ねています。第15回です。前回、終了したJR木曽平沢駅からJR洗馬駅までを歩きました。
木曽路を歩いていて、知ったのはこの場所が御嶽海の出身地だと言う事です。6月24日、上松町に入りました。町内の家々に「益々 輝け 郷土の星! 御嶽海」「郷土の星  めざせ横綱!!  御嶽海関」と書いた貼紙が掲げて有りました。そして、7月の名古屋場所で初優勝となりました。上松町や木曽町を歩き、御嶽海の地元として盛んに応援したいるのを感じました。
こうして、ブログをアップさせていますが、歩いたコースを振返りますと、中山道と中央線が何度も交差している場所を見ました。立体交差でガード下を潜る時も有りましたし、踏切を渡った時も有りました。最初に気づいたのが第13号仲仙道踏切です。そして、数が減り第2号踏切まで来ました。踏切りでこんなサイトが有るのを知りました。https://grandtech.web.fc2.com/fumikiri/google/JR_chuou1g.html
歩いていて、数が減っていくことが面白いと思いました。
それに中山道は木曽川とも平行しています。木曽川に架かる橋のサイトも発見しました。http://hiro66.sky-zet.com/kiso_bridge.html大きな川が段々細くなり、ついには分水嶺を越え、逆方向に流れるようになりました。

中山道歩きを重ねていて、季節が移り変わってきました。路傍で見かけた萩や尾花。桔梗に女郎花。これらは秋の七草です。こんな花を見かけることに季節の移ろいを感じました。

JR木曽平沢駅 ― 漆器の町 木曽平沢  ― 長瀬  ― 「道の駅」 木曽ならかわ  ― 
桃岡橋 ― 押込一里塚 ― 中央線弧線橋 ― 贄川宿 ― 贄川関所 ― メロディー橋 ― JR贄川駅 ― 中畑 ― 若神子一里塚 ― 片平 ― 片平橋 ― 桜沢 ― 
明治天皇桜沢御膳水碑 ― これより南木曽路の碑
 ― 境川橋 ―JR日出塩駅 ― 
日出塩一里塚 ― 第2仲仙道踏切 ― 本山宿 ― 本山宿本陣跡
 ― 
本山宿そば切り発祥の地 ― 牧野  ― 牧野一里塚  ―  洗馬宿高札場跡 ― JR洗馬駅 


中津川駅

(07:35)
快速列車(快速列車と言っても、多治見からは各駅停車です)で中津川駅に着きました。
ここで、松本行きの普通列車に乗り換えます。
既に松本行の普通列車が2番ホームで待っています。
夏休みが終わり、沿線の高校へ通学する高校生が多く乗車していました。




車窓から。
宮ノ越駅を出て、左手に巴渕が見下ろせます。
広かった木曽川がこんなに細くなりました。
渕と言うだけ有って、よどんだ流れです。でも、水は澄んでいました。




(09:27)
まもなく列車が奈良井駅に到着します。
次は木曽平沢駅に停車します。




車窓から。
奈良井駅を出てから、トンネルを通過しました。
そして奈良井川の橋を渡っています。
川の流れが逆方向になりました。
前回、あの堤防を歩きました。



JR木曽平沢駅

(09:33)
木曽平沢駅に着きました。
この駅で下車したのは私だけでした。




駅前のポケットパークのような場所です。
斜面を利用して水が流れるようにして有りました。
右手には清潔なトイレ。
まだ、整備されて歳月が経っていない感じがしました。




(09:33)
木曽平沢の街を歩きます。
街の並び。
全てが漆器のお店。
漆器店がズラーと並んでいます。




漆器店の入口。
どの店も同じような郵便受けが設置して有ります。
屋号を表示しています。





平沢の街の北の方まで来ました。
木曽平沢は漆器の街として発展してきましたが、この木曽地方は米が収穫でき難い場所だったようです。
それで、漆器を制作して生活の糧としたようです。



漆器の街 木曽平沢

中山道を歩いて来て、振返りました。
狭い木曽谷の底に有る街。
そんなイメージがしました。



「道の駅」 木曽ならかわ

(09:55)
平沢の街を出て「道の駅」 木曽ならかわへ来ました。
ここで、寄り道してみます。




道の駅の外観です。
木曽の木製品。
お酒などが並んでいました。




こちらは、ならかわ市場です。
店内に入ってみました。
地元の農産物を販売していました。
ここで買ったのがナイアガラです。
1房250円でした。
帰宅して食べましたが、程よい酸っぱさと甘さ。美味しかったです。
この味で250円は安いと思いました。




(10:13)
前方から特急が来るのが見えました。
名古屋行きの上り しなの6号です。
この先、国道19号線の歩道を歩きました。





19号沿いの歩道を歩きます。
贄川宿まで2.5キロと表示しています。





(10:20)
長瀬集落に入りました。
木曽路が国道に着いたり離れたりしています。
国道から離れると、旧街道らしい道となります。





前方に橋が見えます。
中央線の第2奈良井川橋梁の下を歩きます。
その先は桃岡橋です。


押込一里塚

押込一里塚に来ました。
ここにも中学生が書いた説明板が設置して有ります。
右下に白いプレートで「長野県地域発元気づくり支援金活用事業」と表示しています。
木曽ユネスコ協会が中学生の力を引出す事業として取り組んだのでしょう



(10:36)
国道を歩いています。
本当は右上の柵のところを歩かなければなりませんでしたが、間違えてここを歩いてしまいました。




路傍の可愛らしい石仏。
これまで、何人もの旅人の姿を見守ってきたのでしょう。



贄川宿

(10:49)
贄川宿に来ました。
ひっそりとしています。





中央線の上を通過するメロディー橋です。
鉄パイプが下がっており、続けて叩くと木曽節の曲になります。


贄川関所

国道から中央線越しに見える贄川関所です。
ここでも、丸に一の家紋の幕が下がっています。
丸に一の家紋は山村氏の家紋です。
山村氏がこの関所で木曽から出て行く木材を取り締まっていたのでしょう。
先を急ぎますので、今回は前を通過しますが、何時か来たいと思います。


JR贄川駅 

(10:55)
贄川駅の前を通過します。





車が全く通らない国道19号線。
この後、数分して中津川行きの普通列車が来ました。




(11:18)
民家の中を伸びる中山道です。




国道沿いの古そうな民家の庭先。
明治天皇櫻澤御膳水の石碑が建っています。
この旧家で天皇が休んだのでしょう。





(11:31)
19号の歩道を歩きます。
左側がコンクリート壁になっていて、下を奈良井川が流れています。


これより南木曽路の碑

国道沿いに是より南 木曽路の石碑が有ります。



境川橋

(11:35)
歩いて来て、振返りました。
木曽路の石碑。それに東屋が有りました。
橋の上を歩いていますが、この橋。境橋と言うようです。
尾張藩領と信濃の境なのでしょう。




国道が右に曲がって行き、中山道は細くなって先へ伸びています。




(11:55)
跨線橋が見える日出塩駅の横を通過しています。
この建物。
日出塩公民館と表示しています。



中央線の踏切を渡ります。
踏切りの数字が第2仲仙道踏切となり、数字が減りました。




(12:06)
中山道が国道と分かれます。
本山宿の表示が前方に見え、宿場に向って行きます。


本山宿

本山宿の宿場内。
ひっそりといています。




中山道本山宿の説明板です。
本陣跡に設置して有りました。




(12:34)
中山道が県道になっていますが、曲がりくねっていて昔の街道らしい姿をしています。
白いソバ畑が広がっていました。



牧野一里塚

牧野の一里塚に来ました、




(12:46)
洗馬宿へ入って来ました。
こちらの宿場もひっそりとしています。




洗馬宿の説明板。
宗賀農林漁業体験実習館の壁に貼られていました。
この説明板。
もともとは本陣跡に有ったようです。
大火にあって、往時の建物が残っていない。この説明で分かりました。




洗馬駅への道。
ここを右折して駅へ向かいます。


JR洗馬駅

(12:54)
洗馬駅に着きました。
ここもひっそりとしています。




今日の歩行歩数です。
16キロ余りを歩きました。
まだ、13時前。
区切りを付けようと、洗馬駅までにしました。



(13:12)
13時13分発の中津川行きが入線してきました。



秋の七草

秋の七草 ~女郎花、尾花、桔梗、撫子、藤袴、葛、萩~
秋の七草は上に書いている通りです。今日は女郎花、尾花、桔梗、萩を目にしました。それに前々回の時に木曽の桟の南で葛を見ました。葛が秋の七草に入っているのを知らなかったのです。
新しく知る事が面白い。


感想
6月9日に第10回で、中津川駅から馬籠宿までを歩きました。その途中に「これより北木曽路」の石碑が有りました。今回、JR木曽平沢駅からJR洗馬駅までを歩き、「これより南木曽路」の石碑の前を通過しました。回を重ねて5回、木曽路を踏破しました。
中山道が中央線と国道19号線。木曽川と並行しているの確認できました。特に、中央線とは何箇所かの立体交差、それに踏切が有りました。踏切りの番号が減ってくるのを実感したのです。

今日の経費
JR那加駅からJR木曽平沢駅までとJR洗馬駅からJR那加駅まで。
青春18キップ 2,370円
パン   108円
牛乳     98円 
お握り  200円
缶ビール 286円
ピーナツ 138円
               合計 3,200円


kオジサンの中山道旅日記  その16
9月24日(月) 晴 JR洗馬駅からJR下諏訪駅まで  へ

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kオジサンの中山道旅日記 その14 JR宮ノ越駅からJR木曽平沢駅 まで

2018-08-29 23:48:30 | Kオジサンの中山道旅日記 

8月29日(水) 晴 JR宮ノ越駅からJR木曽平沢駅まで

前回の続きです。第14回で、JR宮ノ越駅からJR木曽平沢駅までを歩きました。奈良井駅までのつもりでいましたが、時間的にはまだ早かったし、奈良井駅から木曽平沢駅までは距離が短かったので、木曽平沢駅まで歩きました。木曽平沢駅まで歩いても、列車の時間までに1時間ほど有りました。
ビールが呑みたいと思い、駅近くの処へ行ったら、ここには無かったです。有る場所を教えて貰ったのですが、これがず~と先のコンビ二。トボトボと歩き、買いに行って来ました。そんな状況でも、歩いて汗をかいた後の味は格別でした。

鳥居峠を越える時、ツリフネソウを見かけました。そんな事柄にも秋の訪れを感じました。

JR宮ノ越駅 ― 葵橋  ― 巴渕  ― 山吹橋  ― 山吹トンネル ― 吉田橋 ― 
吉田洞門 ― 鷲鳥橋 ― 大壁画 ― 獅岩橋 ― 薮原信号 ― 中央線ガード下
 ― 薮原一里塚跡 ― 薮原宿高札場跡 ― 薮原宿本陣跡 ― 飛騨街道分岐点
 ― 御鷹匠役所跡 ― 石畳道分岐
 ― 展望台 ― 御嶽神社 ― 子産の栃 ― 
鳥居峠 ― 峠の茶屋 ― 鳥居峠一里塚 ― 
鎮神社 ― 奈良井宿高札場跡  ― 
JR奈良井駅 ― 奈良井川橋歩道橋  ― 第3仲仙道踏切 
― JR木曽平沢駅



松本行きの普通列車の運転席です。
ワンマン列車です。1両目の後ろの扉から乗車し、前の扉から下車します。





列車の運行時刻表。
1827Mは列車番号です。
赤字の「2」は2両編成を表し、最高時速が「95」キロまでとなっています。
停車時間が45秒となっています。  



車窓から見えた寝覚めの床。
ほんの一瞬でした。



(09:16)
宮ノ越駅に着いた松本行き普通列車です。
この駅で下車したのは私だけでした。




宮ノ越駅。
無人駅でひっそりとしています。




(09:32)
葵橋の上から上流を望みました。
木曽川が、大分細くなってきています。





(09:41)
巴橋に来ました。
あずま屋が有って、良いロケーションです。
中央線の橋梁があり、列車が走ると好いシーンとなるのですが、列車は来そうに有りません。





巴渕です。




石碑や説明板が設置して有ります。




秋を感じさせるコスモス。
路傍に咲いていました。




(09:50)
国道19号線の山吹橋です。
国道横の歩道を歩きますが、車がビュンビュン走ります。




19号線の歩道を薮原宿に向かって歩きます。
今日のKオジサンの後ろ姿です。




(10:02)
前方に見えるのは山吹トンネルです。
山吹トンネルは比較的、新しいトンネルのようです。
この場所。左側に旧道が有ります。旧19号線ですが、金網で通行止めになっていました。
遠くから金網が見えたので、そちらに向かわなかったのです。でも、実際は人がすり抜けれる隙間が有ったようです。
ゴミの不法投棄防止のためにネットで立ち入り禁止にしたのでしょう
仕方なく、車が往来するトンネル内を歩きました。

2012年10月にウオーキングした時のブログです。
https://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/e/0a7f79d5bc4d38301993774bbccfc66c
この時は旧19号線を歩く事が出来ました。






吉田洞門です。
左側は細くなった木曽川です。
車が往来するトンネルの中を歩かなくて好いです。





(10:33)
大きな壁画。
鳥居峠が描かれています。
この場所。
道路の南側に名古屋から150キロの標識が立っていました。



木曽川第1橋梁。
中央線と国道19号線が並行しています。





(10:49)
国道から別れ薮原駅の方向に向かいます。
この道路。長野県道26号線で、上高地に向えます。




一里塚の石碑と説明板です。





D51が静態保存して有ります。


薮原宿

(11:03)
薮原宿に入ってきました。





薮原宿の高札場跡。
赤いポストが印象的です。





店先の洋ナシ。
5個で200円と安いです。
買いたいのです。でも、歩く途中なので買うのを控えました。





(11:11)
鳥居峠方面から歩いて来た男性とすれ違いました。
言葉を交わすと、茨城から来たと言っていました。
奈良井宿から鳥居峠を越えてきて、薮原まで歩くと言っていました。





本陣跡の標柱と説明板。





こちらは尾張藩の鷹匠役所跡です。
かつて、この辺りは尾張藩が治めていました。
鷹狩りの説明が有ります。


鳥居峠入口

(11:43)
道を歩いて来て、鳥居峠へ向う入口に来ました。
ここから九十九折れの坂道となりました。





左に向かうと円山公園。そして展望台となっている東屋。
右は鳥居峠に向かいます。



展望台

展望台になっている東屋。
ここから薮原の宿が見下ろせました。

ここで、昼食を取っていると、二人の外国人が登ってきました。
カタコトの単語を並べての会話です。
オーストラリアから来たご夫婦でした。
薄い英語の小冊子。ガイドブックになったものを見せてくれました。
そして「馬籠」「大妻籠」「木曽福島」「奈良井」「木曽平沢」を指し示しました。この部分は漢字でした。
5日間と言っていましたので、これらの場所で泊まったのでしょう。
馬籠宿は日本人が多く訪れ、喧騒な雰囲気です。
それに大妻籠は妻籠宿に比べると落ち着いた感じがします。
大妻籠から木曽福島。木曽福島から奈良井の間は距離が離れています。
公共交通機関を使ったのでしょう。

馬籠峠や鳥居峠を踏破する。
街道歩きの雰囲気を味わえるコースです。
日本人は、ここを余り歩かないですが、お二人はこのコースの良さを知っています。
5日間で、後は東京に戻るといっていました。

私が持っていた鵜沼宿の通行手形をプレゼントと言ってあげました。
一期一会の出合でした。






(12:29)
御嶽神社の鳥居が見えます。





歩いていて、御嶽神社を過ぎた辺りでツリフネソウを見かけました。
ツリフネソウの登場に秋を感じます。


鳥居峠

(12:36)
鳥居峠に設置してあった峠のコース案内図。
御嶽神社のあたりが鳥居峠だと思い込んでいましたが、この案内図の有る辺り。
木祖村と塩尻市の境が鳥居峠だと判りました。





峠から少し下りてくると鳥居峠一里塚が有りました。
この一里塚の説明板も中学生に寄って書かれています。





草の生えている道です。
蛇が出てきそうで、嫌な道でした。





(12:48)
峠から大分下ってきました。
坂道を登って来る男性とすれ違いました。
言葉を交わすと松本から来た男性でした。
奈良井から薮原まで歩くと言っていました。




この辺りは石畳の道となりました。





(13:09)
坂道を降りて来ました。
鎮神社の前に来ました。



奈良井宿

奈良井宿の中へ入って来ました。
平日だからなのか、訪れている人が少なく感じます。




奈良井会館。
ここは奈良井宿の観光案内所です。
まだ、時間が有りましたので、木曽平沢まで歩くのに、どれ程時間が掛るか聞きました。





(13:25)
奈良井宿の東の端まで歩いてきました。





駅近くに設置して有った奈良井宿の案内板。
奈良井宿は伝建群に指定されています。


JR奈良井駅

(13:29)
奈良井駅まで歩いてきました。
この駅。委託を受けているのでしょう。
女性が担当していました。




(13:31)
13時32分発の中津川行き普通列車が入線して来ました。




奈良井川歩道橋から下流方面を眺めました。
これまでと違い、川の流れが逆となりました。




(13:45)
奈良井川の堤防を歩きます。


木曽平沢

(14:04)
木曽平沢の街に入って来ました。
この街。
ほとんどが漆器のお店です。

乗車予定の電車は15時10分です。
まだ、列車の時間には1時間余りあります。
ビールが呑みたいと思いました。
八百屋のような店に入ったら、この辺り酒屋は全くないと言っていた。
ビールが手に入るのは国道沿いに有るセブンイレブンだと教えてくれました。
それで、片道20分ほど掛けて行って来ました。

木曽平沢駅

(15:03)
木曽平沢駅に来ました。
閑散とした駅です。

木曽平沢駅の向こう駅は贄川駅です。
木曽平沢駅発が15時10分で、贄川駅発が15時05分となっていました。
ビールを求めて贄川方面まで歩いたのですが、贄川駅15時05分発の次は16時10分でした。
普通列車の本数が少なく思うように行動が出来ませんでした。




歩き出す前と歩いた後です。
20キロを歩きました。



(15:09)
15時10分発の中津川行きが来ます。

感想
歩く途中、茨城から来た人。松本から来た人とすれ違いました。そして、オーストラリア人夫婦とも一緒になりました。前回は中山道踏破のアメリカ人。今回は木曽路の美味しい所だけを味わうオーストラリア人でした。上手に好いところを見て歩いていると思いました。オーストラリア人との触れ合い。もう少し、突っ込んで話をすれば良かったと思う点が有りました。
一期一会の出合い。
こう言うのも、街道歩きの面白さでしょう。


今日の経費
JR那加駅からJR宮ノ越駅までとJR木曽平沢駅からJR那加駅まで。
青春18キップ 2,370円
カップ麺 108円
お握り  120円
ガリガリ君 75円
缶ビール 267円
               合計 2,940円


kオジサンの中山道旅日記  その15
9月3日(月) 晴 JR木曽平沢駅からJR洗馬駅まで  へ

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kオジサンの中山道旅日記 その13 JR上松駅からJR宮ノ越駅 まで

2018-08-22 23:11:35 | Kオジサンの中山道旅日記 

8月22日(水) 晴 JR上松駅からJR宮ノ越駅まで

暑い時期ですので街道歩きを控えていました。少し秋めいてきましたので、街道歩きを再開しました。第13回で、JR上松駅からJR宮ノ越駅までを歩きました。当初の計画ではJR薮原駅まで行こうと思っていましたが、暑すぎましたし、足が痛くなりましたので、JR宮ノ越駅までに留めました。
途中、中山道の中間点が有りました。2月から歩き始めて回を重ね、漸く半分まで歩きました。

JR上松駅 ― 十王橋  ― 笹沢  ― 中央線ガード下  ― 赤い橋「かけはし」 
― 明治天皇聖蹟碑― 木曽の桟跡 ― 沓掛一里塚 ― 沓掛馬頭観音堂 ― 板敷野
 ― 中央線ガード下 ― 御嶽山遥拝所 ― 元橋 ― 沼田野 ― 中平 ― 塩渕
 ― 塩渕一里塚 ― JR木曽福島駅 ― 八沢町 ― 上ノ段の家並 ― 
福島宿高札場 ― 福島関所  ― 関町 ― 木曽大橋 ― 出尻下 ― 出尻一里塚  
― 手習天神  ― 正沢川金網の橋  ― 中山道中間点石碑  ― 第5中仙道踏切 ― 
宮ノ越一里塚 ― 明治天皇御膳水 ― 宮ノ越宿脇本陣跡 ― 宮ノ越宿本陣 ― 
義仲館
 ― JR宮ノ越駅 

JR中津川駅

(07:36)
7時40分発のワンマン列車の松本行きです。
中津川駅に着くと反対側のホームで待っていました、
もう、高校が始まったのか高校生が多く乗っていました。





下に木曽川と国道19号線。
中山道が国道へ出てくる場所です。
あの止まれの処から国道に出ました。
横断歩道は無いですが、ガードレールは切れています。

アノ場所。
第11回で6月17日に歩いたところです。


JR上松駅

(08:51)
上松駅に着きました。
ここから前回の続きを再開します。



十王橋

(08:59)
上松駅で降りて旧19号線を歩き、上松宿を外してしまいました。
それで本陣や脇本陣のあるところには向かいませんでした。
この十王橋。
十王堂が有って十王橋と呼ばれるようになったようです。
ポケットパークの一角のようになっています。




秋の七草の桔梗。
珍しい白い桔梗も咲いていました。





(09:09)
国道19号線は、かつては、この手前を右に折れていましたが、新しくバイパスが出来、先に進むに連れて右にカーブして行く新しい道路に変わりました。桟バイパスです。
2012年8月に歩いた時は、まだ工事中でした。




(09:10)
外国人男性とすれ違いました。
「ウフェアー  ユー  フロム」と声を掛けたら、「アメリカ」と言う返事が返ってきました。
スマホを見ながら歩いています。
Googleを頼りに歩いているのでしょう。


この男性を8月26日16時頃。
私の自宅の近く。各務原市那加新加納町の手前で見かけました。
彼と会ったのが22日の朝です。
22日水曜日。23日木曜日。24日金曜日。25日土曜日。そして26日の日曜日です。
出会ってから5日間。凄いペースで歩いています。
テント泊なのだろうか。
この調子なら、今日は岐阜市までは行ったでしょう。
この先、恐らく4日ほどで京都へ到達するのでしょう。




旧国道19号線です。
コンクリートの塊とガードレールで歩道を確保しています。
タマタマ通った黄色い車。
この車以外。時どき走る程度でした。




赤い橋が見えてきました。
あの橋を渡ると桟温泉へ行けます。
それに、赤い橋を渡った所に明治天皇聖蹟と彫られた石碑や正岡子規の歌碑が有りました。
赤い橋には「かけはし」と書かれた銘板が着いていました。


木曽の桟

(09:51)
赤い「かけはし」から見える木曽の桟。
国道や国鉄の工事に寄って、残っているのが僅かな部分となっています。
あの石垣の箇所が桟です。
石の隙間に丸太を入れ板を渡した桟。
旅人の松明で燃えてしまった事もあるようです。
道幅が狭く、通過するのに難儀したようです。
「木曽の桟、太田の渡し、碓氷峠が無くば良い」と言われた中山道の三大難所でした。



旧国道19号線から離れて坂を登ります。
この場所の右側。
沓掛の一里塚が有ります。


沓掛 一里塚

(09:42)
坂の下に沓掛の一里塚が有ります。
元々の中山道が沓掛観音の前を通っており、一里塚もそちらに有ったようです。




細い草道の坂を登りました。
中央線に沿ったう中山道。
先の方に保線区員のような姿の人が居ます。
通過する時に声を掛けましたが、列車が正確に走行しているか、見張り番みたいなものだとと言っていました。




草道から一旦、国道19号に出て、国道から中央線の下を通過して、御嶽遥拝所に向う道をたどります。


道の駅 木曽福島

(09:58)
道は中央線の上となっています。
高い場所ですので、下の道の駅が良く見えます。
道の駅 木曽福島の全景が見下ろせます。
観光バスや大型トラックが停車しています。
それに左上には御嶽山が顔を見せています。




歩いていて、アルペンホルンの音色が聞こえました。
そして、しばらくして演奏が終わりました。
ステージのような場所から現れた人たち。
アルペンホルンを分解して持って来ています。
この時は、どんな人たちだろうと思いました。
それが・・・・・・。
後で判りました。



(10:34)
木曽川を堰き止めるダム。
地図には寝覚発電所木曽川取水ダム管理所が載っていますので、その発電所の取水ダムなのでしょう。
右側は旧国道19号線です。
新しい国道19号線が出来、こちらは旧国道となっています。




一旦旧国道に出て、住宅地の中を通ります。




住宅地の中を通過中、こんな案内説明板を目にしました。
この地図では木曽福島町となっていますが、ネットで検索したら、日義村や開田村と合併して新しく木曽町となったのを知りました。


JR福島駅

(10:55)
歩く道を間違え、下の方を通過しました。
木曽福島駅に出ようと思いましたが、この駅は高い場所に有ります。
それで、何段も有るコンクリートの階段を登りました。



木曽福島の八沢町の一角。
民家の表をガラス張りにして、福島宿や福島関所を解説した場所がありました。
ここは元々は商家だったのかも知れない。
この場所の前にLPガスのトラックが停まっていて邪魔していました。




木曽路を通った参勤交代の大名・著名人。




木曽福島の町並み。




(11:18)
福島宿の上の段。
下の方は大火にあいましたが、上の段は残りました。
ここの右側。
ビストロ松島亭とか肥田亭と言う店が並んでいます。





福島宿の高札場。





高札の中の1枚。
福島宿から上松宿、宮ノ越宿への荷駄の値が書かれています。
ここの高札も成瀬隼人正と竹腰山城守の名が併記して有ります。




この先に福島関所が有ります。


福島関所

福島関所の西の門です。




関所の隙間から関所を眺めました。
丸に一の家紋は関所を守る山村氏の家紋です。
ここは資料館になっていますが、先を急ぎますので、見学は後日にします。




(11:39)
19号線が旧19号線とバイパスとなった新国道19号。
新しい国道はトンネルから出てきて、新旧一緒になります。
左は木曽川。
細い川になってきました。





細い草道。
こんなのも中山道なのです。
右に登って行きます。



出尻 一里塚

(12:17)
登ってきて、あったのが出尻の一里塚です。




出尻の一里塚の説明板です。
中学生が書いています。
ユネスコ協会と有ります。
中学校の先生が指導して制作したものでしょう。




秋の七草。
女郎花です。




(12:37)
正沢川という川です。
網目の鉄板で出来た橋です。
この橋を渡り、右に向かいます。




細い草道となりました。
両側に雑草が繁り、マムシが出てこないかと、ヒヤヒヤでした。


中山道中間点

中山道の中間点まで来ました。
これまで歩いて来て、やっと半分かと言う感じです。





中間点を過ぎてから男性とすれ違いました。
男性と言葉を交わしました。
彼は名古屋から来ていると話し、今日は薮原駅から木曽福島駅まで歩くと言っていました。


帰路、この男性と一緒の列車となりました。
木曽福島駅から乗ったのでしょうが、私も木曽福島からの乗りましたのです。
でも、気が着きませんでした。
中津川駅が近付いてから、すれ違った男性だと気が着き、挨拶しました。



(13:11)
原野駅から発車して来る普通列車です。
踏切りは第5仲仙道踏切りと表示しています。
十幾つから始まった数字。
数が大分、減ってきました。
それだけ中央線と中山道が交差していると言えます。
それに踏切りでない箇所で、ガード下を抜けてきたところが何箇所も有りました。


宮ノ越 一里塚

宮ノ越 一里塚に来ました。




ここでも中学生が制作した説明板が設置して有ります。
こちらは日義中学校の生徒が書いています。
このように中学生が説明板に取り組むのは歴史に興味が沸き、好い事です。




一里塚の横に白花キツネノカミソリが咲いています。
沓掛観音でも白花キツネノカミソリを見かけました。
この辺りは白花が多いのかもしれない。



宮ノ越宿 本陣

(13:42)
宮ノ越宿の本陣に来ました。
明治天皇御小休之跡の石碑が有ります。





こちらが本陣跡です。




宮ノ越宿の本陣。
説明板です。



本陣の中へ入らせて貰いました。
殿様の居る場所で、一段高くなっています。





本陣の門へ出てくると男性が撮影していました。
男性は小田井宿に寄ってきたが、誰も居なかったと話していました。
青春18キップで京都から来たと言っていました。


義仲館

(14:03)
義仲が挙兵したのが、この地であります。
義仲館の前に木曽義仲と巴御前の像が有ります。


JR宮ノ越駅

(14:09)
薮原駅に向うのを断念し、宮ノ越駅に来ました。
中津川方面に向う列車は15時33分です。
その前に14時32分の列車が有りますが、木曽福島止まりです。
この宮ノ越駅の近くにはコンビ二は勿論、商店が全く有りませんでした。
ビールが呑みたいと思いましたし、ここで1時間半も待っていても仕方が無いと思い、木曽福島行きの列車に乗りました。




歩き出す前と歩いた後です。
20キロ近くを歩きました。



木曽福島行きの普通列車が入線してきます。
左の男性は、先ほど本陣で一緒になった男性です。



JR木曽福島駅

(14:47)
木曽福島駅に着きました。
次に中津川方面へ向う列車は15時48分で1時間程の時間が有ります。
それで、駅の近くをブラブラしてみました。




D51蒸気機関車が有りました。
福井機関区、糸魚川機関区を経て木曽福島機関区に来ました。
昭和17年に製造されて181万キロ余りを走りました。
静態保存で余生を過ごしています。




木曽福島駅の前で演奏されるアルペンホルンです。
「木曽音楽祭」のPRでした。
午前中、道の駅 木曽福島でやっていたコンサート。
あの時のグループだと判りました。




(15:44)
15時48分発の中津川行きが入線してきました。


恵那山

木曽路歩きを重ねてきて、何度も恵那山の姿を見た。
恵那山は瑞浪辺りから見え出した。
歩く行程で、その度に見える姿が変わった。
今回は中津川駅が近付き、車窓から見えてきた恵那山。
宮ノ越駅から座席に腰掛けれたが、窓際に女性が座っていた。
恵那山を撮影しようとした時、窓際の方が良いでしようと、席を譲ってくれた。
女性は仲間の女性達と火打山と雨飾山の間の山に行って来たと話した。
山の名を聞いて忘れてしまった。山小屋で泊まるのでなく、麓で泊まり下から出発して戻ってくる日帰り山行だと言っていた。それでも条件が悪く途中で断念しても戻ったとか。
花が多い山だったと言っていた。
反対側の座席に仲間が居たのだろう。3人の女性のグループだったと思う。
女性は青春18キップを使っての山行だと言い、私も18キップですとなった。
大津から来たと言っていた。
長野と新潟県境の山。
現地へ向うのに1日。山に登るのに1日。そして帰路で1日。
18キップを使って上手な山行だと思った。
恵那山を撮るのに心掛けたが、撮ってみたら木曽川も写っていた。


感想
ようやく、秋めいてきて、街道歩きを再開しました。
再開しても、まだ、半分の行程です。
この先。
続けれるか否か分かりませんが、やっていこうと思っています。




今日の経費
JR那加駅からJR上松駅までとJR宮ノ越駅からJR那加駅まで。
青春18キップ 2,370円
カップ麺 108円
お握り  138円
ガリガリ君 73円
アクエリアス 84円
缶ビール 267円
ピーナツ   97円
               合計 3,137円


kオジサンの中山道旅日記  その14
8月29日(水) 晴 JR宮ノ越駅からJR木曽平沢駅まで  へ

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kオジサンの中山道旅日記 その12 JR十二兼駅からJR上松駅 まで

2018-06-24 23:19:10 | Kオジサンの中山道旅日記 

6月24日(日) 曇のち晴 JR十二兼駅からJR上松駅まで

第12回です。第11回の続きで前回、終了したJR十二兼駅から街道歩きを再開して上松宿を目指しました。
中山道と中央本線が平行しており、何度か踏切を渡りました。それに中央線のガード下を潜るのも数回。これは元々中山道が有って、明治の時期に鉄道が敷設されたので、踏切りやガードで交差した結果なのでしょう。それに、元々中山道だった箇所が国道19号線で拡幅されたところも有りました。
中山道と国道19号線が並行しており、着いたり離れたりしました。そんな国道の横の歩道を延々と歩きました。

JR十二兼駅 ― 十二兼北信号  ― 十二兼  ― 第13中山道踏切  ― 
中央線ガード下 ― 下在郷一里塚跡 ― 野尻宿西口 ― 野尻宿本陣跡 ― 
第12中山道踏切 ― 第11中山道踏切
 ― 道の駅大桑 ― 第10中山道踏切 ― 
JR大桑駅 ― 伊那川橋 ― 大桑村橋場地区 ― 
第9中山道踏切 ― 須原宿門前下
 ― 定勝寺  ― 須原宿本陣跡 ― JR須原駅 ― 
須原宿一里塚跡  ― 
糸瀬山登山口  ― 大桑村上松町境界  ― 倉本一里塚跡  ― 
空木岳案内板 ― 
中央線ガード下 ― 草道の坂 ― 庚申塔 ― JR倉本駅 ― 
上松町荻原地区  ― 
荻原一里塚 ― 小野の滝 ― 中央線ガード下 ― 木曽寮 ― 滑川橋

 ― 石畳の道 ― 桂の大木 ― 越前屋 ― 中沢橋 ― 寺坂 ― JR上松駅

JR中津川駅

(07:36)
乗ってきた中津川行きの列車が7時35分着でした。
ここで乗り換え、松本行きに乗車します。
乗客が少なく、車内はガラガラでした。




列車の車窓から。
もう直ぐ十二兼駅です。
木曽川と国道19号線が並行しています。
この箇所。前回に歩いたコースです。



JR十二兼駅

(08:19)
JR十二兼駅に着きました。




JR十二兼駅で私以外にこちらのご夫婦が下車しました。
お二人。車内で私の横に座っていた方です。
リュックを背負っています。
街道歩きですかと聞くと、そうだと言っていました。
こちらのご夫婦。南木曽駅から乗車してきました。
上松方面に歩くと話していました。
この中山道歩き。何日目と聞いたのですが、判らないと言っていました。
何日目か判からないくらい、街道歩きを続けているのでしょう。
どちらからと聞くと、大阪からと言っていました。
ザ゛ックが小さいです。
想像ですが、車で来て歩き、列車で車に戻るの繰返しではないでしょうか。
そして車中泊かも知れません。

十二兼北信号

(08:24)
国道19号線の十二兼北信号です。
あの横断歩道を渡り、坂道に向かいます。





十二兼の集落に入ってきました。





(08:34)
中山道が中央線と並行しています。



第13中山道踏切

中山道と中央線が所々で交差しています。
ここは第13踏切ですが、この前には第14踏切が有りました。
これまでに気付きませんでしたが、何番の踏切りまであったのだろう






(08:58)
中央線のガードをくぐったところで前方から男性が歩いて来ました。
Mさんは中津川にお住まいだそうでした。
今日は野尻駅から歩いて来たと言っていました。
藤村の夜明け前の書き出しの一節。「木曾路はすべて山の中である」の書き出しで知られている。多くの人は馬籠と妻籠の間がこの舞台だと思っているようだが、こちら、野尻から南木曽に掛けての方が本来の舞台のようだとのことでした。
その景色を見てみたい。
この辺りを3回歩いたと話していました。



下在郷一里塚跡

下在郷一里塚跡に来ました。



野尻宿西口

(09:08)
右側の家屋は野尻宿の西のはずれの場所だそうです。
それで、屋号が「はずれ」と言うと説明板に書いて有りました。





野尻宿の中を歩きます。





(09:15)
野尻宿脇本陣の石柱が立っています。



野尻宿本陣跡

こちらは本陣跡です。
後ろの石碑は明治天皇御小休所となっています。
明治の頃は本陣だった建物が残り、明治天皇が休んだのでしょう。






(09:19)
野尻宿の宿場内です。






(09:21)
野尻宿の石碑の周りを草刈りする男性。
ここまで歩いて来て、どちらに進めば良いのか刈らなくなりました。
道がアルファベットの 逆のようになっていました。
どちらに向かえば良いかわからず声を掛けると進む方向を教えてくれました。





中央線の横を歩きます。
前方にギザギザの形をした山が見えます。



第11中山道踏切

(09:31)
上りの「しなの」が通過しました。
第11中山道踏切を渡ります。
反対側から男性が歩いてきます。
静岡から来た男性で前日は木曽福島から須原まで歩き、今日は須原から南木曽まで歩くと言っていました。
時々、1泊で歩いたりしていると話していました。





ガードレール横のホタルブクロ。
今が最盛期なのでしょう。
アチコチで見かけました。






(09:39)
中山道が国道19号線と一緒になりました。
歩道を歩きます。
右側に「道の駅 大桑」が見えます。






歩道の下を中津川行きの普通列車が行きました。






(09:53)
先ほど見えたギザギザの形の山が近くなりました。
中央アルプスの方角で木曽駒か宝剣岳ではと思います。



第10中山道踏切

(09:55)
第10中山道踏切の上から大桑駅が見えます。
この辺りの中央線は単線ですが、駅で、複線になっています。





(10:12)
須原宿への石碑。





(10:36)
須原宿へ来ました。
大きな木をくりぬいた水舟。
須原宿は水舟の里をキャッチフレーズにしています。

この水舟は定勝寺の下にあるものでした。
須原宿の枡形で、本来の中山道はここへ寄っていませんでした。
気が付かずに来てしまいました。





水舟の里の地図です。
須原宿には水舟が随所に有りました。







定勝寺

定勝寺 の石段です。
定勝寺 は木曽三大寺の中でも最古刹の寺です。




常夜灯と呼んでよいのだろうか。
こんなのが何箇所も有ります。








(10:38)
須原宿のメイン通り。
前方に列車が見えます。





前方から若い女の子が走ってきました。
木曽路を走っているのかと聞くと、そうだと応えてくれました。
「木曽路を駆ける女」そんなイメージです。





(10:40)
水舟は上町下水舟とか茶屋町水舟が有ります。
こちらは本町水舟。




かけはしの蔵元。
西尾酒造店です。



須原宿の宿場の中です。




須原宿本陣跡

(10:43)
本陣跡です。
何年か前は家屋が有りましたが、無くなっています。
維持していくのが困難になったのでしょう。



JR須原駅 

(10:47)
須原駅まで来ました。
ここで昼食にしました。



須原宿一里塚跡

(11:08)
須原宿一里塚跡です。
宿場の北の入口に有りました。





須原宿の北の入口。
石碑があり、一里塚も有ります。





須原宿の表示板の裏側です。






(11:14)
須原宿を出て、中山道が国道19号線と少し離れました。
歩道となっているのですが、草が繁っています。
あの木曽路を駆ける女。彼女もここを走ったのだろうか。



糸瀬山登山口

19号線の歩道を歩いていると、糸瀬山登山口の表示が見えました。





(11:41)
上りの「しなの」が通過して行きます。



大桑村上松町境界

(11:49)
上松町のロードサイン。
ここから上松町に入ります。






木曽川の対岸。
桃山発電所が見えます。




倉本一里塚跡

(12:06)
駐車スペースに倉本一里塚の表示がありました。
停まっていたトラックに隠れていました。
地図でこの辺りに有るハズ。
それで探して見つける事が出来ましたが、見落としてしまいそうです。



空木岳案内板

国道から折れて中に入ります。
空木岳の案内標識が有ります。



草道の坂

(12:16)
珍しい草の道の中山道です。





倉本集落の中を歩きます。




JR倉本駅

(12:25)
倉本駅が見えるところに来ました。
中山道はこの先、左に進みます。
そして中央線の下を抜けました。






国道を離れて立町集落の中を通る道です。





(12:51)
信号を綿って国道の東側を歩きます。
中山道は右の坂を登りますが、そちらに入らず歩道を歩きました。




荻原集落です。
右に進むのが中山道です。
ここでは右へ行きました。





(13:12)
荻原集落に入ってきました。そして、和水と言う風越山の湧き水の表示がありました。
そちらの方に行ってみます。





「和水」(なごみ)と言う水場。
ず~と流れっぱなし。
ヒシャクが有り、飲んで見ました。
長時間歩いて来て、喉を潤してくれる。そんな美味しい水でした。
横に募金の筒が有り、10円投入しました。



荻原一里塚

(13:17)
荻原一里塚へ来ました。
荻原一里塚は中山道が国道19号線と一緒になるところに設けてありました。




国道19号線の歩道を歩きます。



小野の滝

(13:29)
国道沿いに有る、小野の滝に来ました。
名所・木曽八景の1つです。
説明板には中山道六十九次の上松宿で、この小野の滝が題材になっていると書いて有りました。
上に中央線の鉄橋が架かっています。
左の橋脚は石造りで、右の橋脚はコンクリート造です。
明治時代は石造り。昭和がコンクリート造りです。
明治は単線であって、昭和になって複線電化の時にコンクリートの橋脚が増設されました。
明治は突貫工事で風景を壊してしまう。そんな事を気にしなかったのかも知れません。



中央線ガード下

国道から街の中に入って行きます。
ここのガード。
旧線と新線が良く判ります。



石畳の道

(13:52)
道路から分かれて石畳の道に入ります。






道沿いに咲いていた花です。
オオヤマレンゲだと思います。
山へ行っても、滅多に目にする事が無い花。
そんな花がこんな所で見れました。





(14:01)
前方からご夫婦が歩いてきました。
上松駅から須原駅まで歩くと話していました。



越前屋

古い建物。
越前屋です。
中山道を多くの人が往来した頃から有る有名な蕎麦屋だった処です。
ここの角を降りていくと寝覚めの床です。






木曽川の対岸。
寝覚発電所が見えます。





(14:30)
眺望の良い場所。
上松駅が見えます。
あそこが今日のゴールです。



旧国道19号線だった道です。
バイパスができ走る車が少ないです。



JR上松駅

(15:14)
上松駅に着きました。
上松駅を撮影したのは15時14分ですが、14時55分頃に到着でした。
列車の時刻が15時56分で1時間ほど時間が有りました。
駅の周りをウロウロ。
そして、酒屋で缶ビールを買って来て駅前のベンチで呑みました。






今日の歩行状況です。
25キロほどを歩きました。


JR上松駅

(15:55)
15時56分発の中津川行きが入線してきました。





倉本駅を過ぎた列車の車内。
運転室の後ろの二人。
先ほど、越前屋近くで出会った人たちです。
あの時は須原駅まで行くと話していました。
須原駅に車を停めて列車に乗り、上松駅から乗って戻ろうとしているのかも知れません。
でも、歩くのがキツかつたか。
中央線の列車は本数が少なく、乗り過ごすと1時間以上も待たなければなりません。
体調を考慮し、倉本駅から上司やする判断は好い決断だったかもしれません。






感想
自宅から公共交通機関を乗り継いで目的地に向かい、前回終了したところから再開する。そんな繰り返しで12回を重ねました。こんな状態が何時まで続けれるのだろう。
いよいよ、木曽路の中心部まで歩いてきました。中山道と中央線。木曽川が並行しており、国道19号線も並行しています。時には国道の歩道となり、時には分離して集落の中を歩く。そんな状態の繰り返しでした。
随所に点在する発電所。木曽の山々。これが木曽路の風景です。
そんな雰囲気を味わいながら街道を歩いています。


今日の経費
JR那加駅からJR十二兼駅までとJR上松駅からJR那加駅まで。
青空フリーパス 2,570円
パン 108円
カップ麺 108円
お水の募金 10円
缶ビール 239円
               合計 3,035円


kオジサンの中山道旅日記  その13
8月22日(水) 晴 JR上松駅からJR宮ノ越駅まで  へ

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kオジサンの中山道旅日記 その11 馬籠バス停からJR十二兼駅 まで

2018-06-17 23:47:37 | Kオジサンの中山道旅日記 

6月17日(日) 曇のち晴 馬籠バス停からJR十二兼駅まで

第11回です。前回の続きでJR中津川駅からバスに乗って馬籠宿に向いました。そして前回、終了した中山道歩きを馬籠宿から再開しました。
馬籠宿から妻籠宿へ、そして三留野宿を通りJR十二兼駅まで歩きました。これまで歩いて来たのが岐阜県で、馬籠峠からは長野県に入りました。木曽路です。
馬籠宿では人がチラホラ。常時なら、宿場町をウロウロする観光客が居るのですが、全く人が居ないシーンを撮影する事が出来ました
妻籠宿では宿場の中心に行くにしたがって観光客を見かけました。それでも、観光客の数は少ないのではと思いました。馬籠宿から妻籠宿への道が「ロンリープラネット」と言う旅行誌で、紹介されているようで、外国人がそれを参考にするらしいのです。
男滝・女滝で外国人カップルを見かけました。それに大妻籠ではメキシコ人に会いました。また、帰路に南木曽駅で乗車して来る外国人を見かけました。これ程、歩く外国人が少ないのは珍しいことではなかろうか。
反面、妻籠宿から馬籠宿まで歩く日本人を何人も見かけました。日本人は妻籠宿や馬籠宿の宿場界隈をウロウロするだけです。歩いてみて、街道の雰囲気を味わう日本人が多くなる。
好い傾向ではなかろうか。

JR中津川駅 ・・・・・ 馬籠宿バス停  ― 馬籠宿の枡形  ― 藤村記念館  ― 
馬籠宿脇本陣 ― 
馬籠宿高札場 ― 馬籠上陣場跡 ― 水車塚 ― 梨子ノ木坂 ―
 十返舎一九の狂歌碑  ― 
峠集落 ― 馬籠峠 ― 一石栃立場茶屋 ― 
一石栃の白木改番所跡 ― 男滝・女滝 ― 
倉科祖霊社 ― 庚申塚 ― 大妻籠  ―
 神明橋 ― 大妻橋 ― 妻籠発電所  ― 
妻籠宿の枡形  ― 妻籠宿本陣  ― 
妻籠宿高札場  ― 口留番所跡 ― 鯉岩  ― 
妻籠城址分岐 ― 上久保の一里塚 ―    かぶと観音 ― 南木曽駅への分岐  ― 園原先生碑― 貯木場 ― 梨子沢 ― 
三留野宿本陣跡 ― 与川道分岐 ― 中央線ガード下 ― 
柿其入口 ― 南寝覚
 ― JR十二兼駅




馬籠峠に設置してあった中山道の案内図。
左下から右上へ歩きました。




(08:52)
中津川駅前のバス乗場です。
ここから市民病院行きや馬籠行きが発車しています。
バスは9時10分発です。
9時06分に着く列車でも良いのですが、1本前の列車に乗って来て駅前をブラブラしました。



(09:19)
バスの車窓から。
バスは中津川市内を抜け、旧国道19号線を走りました。
左前方に見えたのが落合ダムです。
木曽川堰き止め満水状態です。


馬籠宿バス停

(09:34)
馬籠バス停に着きました。
バスに乗っていたのは10人ほど。
途中、中切から女性二人が乗りましたが、全員が中津川駅から馬籠までの乗車でした。
大きなスーツケースを持った外国人も居ました。
あんなスーツケースを引っ張りながら宿場街を歩くのだろうかと思ってしまいました。





ここが馬籠宿の西入口です。
中山道馬籠宿の石碑、それに指示標識が立っています。



馬籠宿の枡形

(09:36)
石畳の道。
道が折れ、枡形になっています。
それに水車が見えます。





何回か馬籠を訪れていますが、水車に近寄ったのは初めてです。
この水車。
まだ新しいです。
このような水車を制作できる水車大工。
今では数少なくなっているのでしょう。
水車の据付。クレーンを使って大変だったのでしょう。





石畳の坂を登って行きます。
誰も居ないシーンを撮影できました。
日曜日の午前中です。
この時間で誰も居ないなんて、拍子抜けの気分でした。
逆にこんなシーンが撮影できる事がラッキーと言えます。



藤村記念館

(09:42)
藤村記念館へ来ました。
ここは馬籠宿の本陣跡だったところです。
この辺りでも散策する人が居ませんでした。




今日のKオジサンの後ろ姿です。



馬籠宿高札場

(09:52)
馬籠宿の東の入口です。
右側に高札場が見えます。





中津川宿では、中津川宿より駄賃並びに人足賃銭。落合迄荷物一駄五十五文となっていました。
ここの高札場は長持が幾らとかの表現になっています。
竹腰山城守と成瀬隼人正はともに尾張藩の附家老です。


馬籠上陣場跡

(09:54)
陣馬跡なのですが別名馬籠見晴台と呼ばれています。
見晴台と言うだけ有って眺望の良いところです。
恵那山が見えますが、山頂は雲に隠れています。





(09:58)
中山道で振返ると中津川の町が見下ろせます。
右奥が中津川なのですが、盆地である事が判ります。




県道7号線を渡ります。
中山道が特殊舗装になっています。


十返舎一九の狂歌碑

(10:21)
大きな木の根元に十返舎一九の狂歌碑が有ります。
この場所。休憩所とトイレが完備しています。



峠集落

峠集落を歩きます。
あの先、木々が凹の型になっている所が馬籠峠です。
峠までもう直ぐです。


馬籠峠

(10:38)
馬籠峠で岐阜県と長野県の県境です。






馬籠峠の頂上。
801メートルの高さまで登ってきました。




馬籠峠まで歩いて来た親子と出合いました。
子供さんは坂道を登ってきて少しキツそうでした。
お二人の背中を撮らせて貰いました。
瑞浪から来たそうですが、今日は親子で南木曽駅から馬籠まで歩くと話してくれました。




(10:43)
若い女性お二人です。
岐阜と愛知から来たと話していました。
今日は妻籠から馬籠まで、歩くと言っていました。
登り坂での出合でした。
少しキツそうに見えました。




こちらは名古屋から訪れたカップルです。
妻籠から馬籠まで歩くと話していました。




(10:51)
前方からお二人が歩いてきます。
南木曽から馬籠まで歩くと話していました。
お二人。東京から歩いているのだそうです。
既に東海道は完歩し、次に中山道を始めたのだと言っていました。



一石栃立場茶屋

一石栃は場所の名で、立場は休憩所のような意味です。
この場所には7軒ほどの家があったが、今ではこの牧野家、1軒となったと説明していました。




(10:53)
いちこく御休み処の入口です。
中へ入り、小休止しました。
お茶を出して頂きました。



一石栃の白木改番所跡の説明板です。
ここまで歩いて来る間、各地で白木改番所跡を目にしました。





一石栃立場茶屋の北側。
休憩所がありました。
ここでお昼にします。
先客の団体が居ました。
千葉県の八潮市からバスで来たといっていました。
男女20人余りのグループです。
「里山クラブ」と言う団体名だと言っていました。
3班が・・・。とか言っていました。班で人員の確認なのでしょう。
このような会。会を世話している人が居るのでしょう。
馬籠宿から妻籠宿まで歩くと話していました。



(11:02)
里山クラブを見送りました。
隊列を組んで歩いて行きます。





男捶川に架かる木の橋。
橋を渡ると県道7号線です。


男滝・女滝

(11:35)
先ほどの里山クラブの人たちが説明板を見ています。
男滝・女滝へ来るには、中山道が高い場所に有り、降りて来る。しかも行って戻って来るという形になります。
私は滝の場所を知っていましたので、県道7号線から下りていきましたら、追い着いてしまいました。





左が男滝。右が女滝です。
男滝が水量が多く迫力が有ります。





(11:50)
杉木立の石畳を歩きます。
右側に有るのが牛頭観音の説明板です。




大妻籠へ入って来ました。
菖蒲が見ごろを迎えています。




(11:57)
民宿、「まるや」の前辺りです。
前方から歩いて来る外国人が見えました。
何処の国からかと聞いたら、メキシコかに来たと言っていました。
妻籠宿から馬籠宿まで歩くのだそうです。
2本のストックで本格的に歩く姿です。




(12:23)
妻籠宿に入ってきました。
でも、ここは宿場のハズレ。
まだ人が少ないです。
自転車の親子。この人たちを先ほど、大妻籠で散策しているのを見かけました。




(12:31)
妻籠宿の中心部へ来ました。




ほうば巻きが並んでいる和菓子店。
澤田屋と言う屋号です。
ほうば巻きは木曽地方の名物。
今の時期だけ食せる素朴な和菓子です。




妻籠宿で、多く写真に取上げられる場所です。



妻籠宿本陣

(12:47)
本陣跡です。
この本陣の建物。
平成7年に復原されたと有ります。



妻籠宿高札場

妻籠宿高札場です。




駄賃の高札ですが、雨風で劣化し字が読め無くなっています。


鯉岩

(12:54)
大きな鯉岩。
鯉の形をした大岩だったが、明治24年の濃尾震災で形が変わってしまったと説明しています。


上久保の一里塚

こんもりした塚。
塚の形を残した一里塚です。





(13:31)
南木曽の町に来ました。
前方に木曽川。
そして、桃介橋が見えます。

ここを過ぎると南木曽駅へ向かうのと三留野宿へ向かう道の分岐がありました。
右に進み三留野宿へ行きます。



(13:40)
南木曽駅東側の貯木場が見えます。
量的にはどうなのだろう。
最盛期より量が減っているのではなかろうか。





(13:52)
まるで民家の庭先を歩くような感じがする中山道です。



階段を登っていく中山道。
指示標識が無かったら直進してしまいます。



三留野宿本陣跡

(13:58)
石柱が2本。
それに説明板。
表示が無かったら、本陣跡だという事が判りません。




古い家屋が並び宿場町の雰囲気があります。





何軒かの家に屋号の表札が下がっています。
「あめや」は飴屋を営んでいたのだろうか。



(14:07)
中央線のガードをくぐり国道に出てきました。
前方に木曽川が見えます。






道路が国道に交わります。





(14:29)
木曽川沿いの歩道を歩きます。
前方に下りの中央線が見えます。
中央線の上りは長いトンネルです。
下り線が旧線で上り線が新線なのでしょう。
列車が走ると好いロケーションになるのですが、列車の姿が見えません。





(14:42)
前方から男性が歩いてきます。




帽子を撮影させて貰いました。
この男性。横須賀市に住んでいて、海上自衛隊に勤務していたそうです。
この帽子は南極砕氷艦の「しらせ」のものです。
しらせの機関長をやっていたと話しました。





今回、歩いているプラン図を撮らせて貰いました。
第1ステージが日本橋から新町まで。第2ステージが新町から下諏訪までで、今回は第3ステージ。
今日は須原宿から歩いて来たそうです。

既に東海道は踏破したそうな。
奥さんを3年前に亡くし、今は街道歩きに取り組んでいると言っていました。
今回は中山道。
次は甲州街道歩く、それに熊野古道を歩きたい思っている。それに、出来たら車で日本一周をやりたいと話しました。

この男性。「Y」さんと言う方です。
名刺を交換しました。

私がこれから向かおうとする街道に和田峠が有ります。
急峻な峠で難所です。
峠を歩いたと言っていました。東海道の鈴鹿峠みたいでガレた所があるのだそうです。
登山靴が好いと聞きました。






「Y」さんの後姿を見送ります。
路上での5分ほどの立ち話。
一期一会の出合でした。




十二兼駅への道。
あの信号交差点で左に折れます。
あと、1キロです。



南寝覚 (別名河原峡)

(15:06)
柿其橋の上流です。




川にせり出した巨岩。
寝覚めの床に似ている場所で、南寝覚と呼ばれているようです。





(15:07)
十二兼の集落に入って来ました。




十二兼駅の弧線橋が見えてきました。


JR十二兼駅

(15:15)
十二兼駅に着きました。
この駅。
無人駅です。




歩き出す前と歩いた後です。
20キロ近い距離を歩きました。




(16:26)
16時26分発の中津川行きワンマンカーが入線してきました。

十二兼駅の上りホームで1時間以上待ちました。
次々と通過する特急列車。
しなの16号やしなの17号を見送りました。
20分頃になって若い男性が3人。女性2人が来ました。
中山道を歩いて来た人たちかと思ったら違うようでした。
何か、ベトナム人のように思えました。





列車が南木曽駅に停車しました。
ワンマンカー2両で前の車両に乗り口と降り口が着いています。
何人かの人たちが乗ってきます。
服装から推測すると中山道を歩いて来た人たちのように思えました。
それに、外国人も混じっていました。


中山道の指示標識

馬籠宿から妻籠宿までを歩き、その都度、指示標識撮影しました。
数字が段々減り、妻籠宿が近づいているのが判りました。
馬籠妻籠間が7.7キロです。7.7キロより大い数字の指示標識もありました。
どんな捉え方をしたのだろう。

感想
いよいよ木曽路に足を踏み入れました。
列車で来ては歩き、その日の内に列車で帰るの繰り返しです。
中央線は普通列車の本数が少なく、とても不便です。
これから葉自宅からの距離が遠くなる。
何時までこうして続けれるのだろう。
街道を歩いていて、多くの人と顔を合わせる事が出来ました。
ゴール近くで「Y」さんと出合いました。
このような事。街道歩きの面白さなのだろう。



今日の経費
JR那加駅からJR中津川駅までとJR十二兼駅からJR那加駅まで。
青空フリーパス 2,570円
中津川駅から馬籠宿までバス代 560円
パン 108円
カップ麺 108円
            合 計 3,346円


kオジサンの中山道旅日記  その12
6月24日(日) 曇のち晴 JR十二兼駅からJR上松駅まで  へ

 

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kオジサンの中山道旅日記 その10 JR中津川駅から馬籠バス停 まで

2018-06-09 23:40:48 | Kオジサンの中山道旅日記 

6月9日(土) 晴 JR中津川駅から馬籠バス停まで

第10回で、前回の続きを歩きます。前回、終了した時は本町公園へ寄ってから中津川遊歩道公園を歩いたので、中山道から外れました。今日はJR中津川駅から馬籠宿のバス停へ向います。それで、本町公園を通り抜けて中山道まで行き、前回に終了した場所からウオーキングを再開しました。
中津川宿も山に囲まれた盆地の中にある宿場でして、今も枡形が残っている宿場の街でした。宿場の中心には本陣や脇本陣が有るのは勿論ですが、造り酒屋が有ったり老舗の菓子舗が有ったりして、かつては繁栄した宿場町の雰囲気が残っていました。
落合宿から馬籠宿の間には落合の石畳がありました。往時の石畳は70メートル余りで、大半は昭和から平成に工事されたものでした。往時の石畳と現在の石畳の区別は判りません。石畳の道の両側には木々が繁り、昔の旅人の気分を掻き立ててくれました。

JR中津川駅  ― 本町公園  ― 造り酒屋  ― 恵那神社への道標 ― 卯建の家並
 ― 中津川村庄屋跡 ― 中山道歴史資料館 ― 往来庭 ― 茶屋坂の高札場  ― 
芭蕉の句碑
 ― 尾州白木改番所跡 ― 子野石仏群 ― 子野の一里塚 ― 
与坂立場跡 ― 
落合宿助け合い大釜 ― 落合宿本陣跡  ― 上町の常夜灯 ― 
落合宿の高札場跡 ― 
飯田道追分道標 ―  下桁橋  ― 十曲峠入口  ― イボ観音
 ― 山中薬師医王寺  ― 
鐘鋳り場跡 ― 落合の石畳入口 ― 
なんじゃもんじゃの杜 ― 石畳の休憩所 ― 石畳入口
 ― 新茶屋の一里塚 ― 
これより北木曽路の碑 ― 正岡子規の句碑 ― 
島崎正樹翁記念碑 ― 馬籠城址 ― 
馬籠宿道標 ― 馬籠バス停  ・・・・・  JR中津川駅



今回、歩いたコース地図です。中津川宿から馬籠宿までを歩きました。
岐阜県十七宿 散策ガイド。「日本歴史街道」中山道連合から出典しました。


JR中津川駅

(08:42)
中津川駅へ着いて、駅の外へ出ました。
中山道の前回、終えた場所へ向かいます。




本町公園の中を通り、中津川の堤防に上がりました。
前方に見えるのが中津川にかかる中津川橋です。




(08:56)
この橋は中央橋で、ミニ中山道にかかっている橋です。





中央橋から下を眺めました。
ミニ中山道ですが、遊歩道となっています。
説明板にはこのミニ中山道は本州製紙中津工場の専用線だったものが、廃止となりその跡を整備したと書かれていました。鉄道の線路跡のような感じがしますが、坂道で勾配があり蒸気機関車が黒煙を上げて走ったのでしょう。


造り酒屋

恵那山の蔵元「はざま酒造」です。
杉玉が下がっています。



卯建の家並

(09:01)
横町の卯建の家々が並ぶ町並みです。




枡形で道が折れ、ここからは東に向かいます。




「ないき」という八百屋さん。
ここでエネルギー補給用にお菓子を買いました。
100円の袋菓子なのですが、ご主人は消費税をオマケしてくれました。



中津川村庄屋跡

(09:12)
中津川村庄屋跡の前で自転車の男性に出合いました。
彼は名古屋から電車で来たのだそうでした。
この自転車。前輪が外れるようになっていて、輪行袋に入れてなら、車内に持ち込めると言っていました。
私もこんな自転車が欲しいのですが、25万円ほどするのだそうです。
今日はどの辺りを走るの聞き逃しましたが、木曽街道の北部。贄川宿から走っていると話しました。
自転車に乗って旅を続けるのは行動範囲が広がると言っていました。



中山道歴史資料館

中津川市の中山道歴史資料館に寄りました。
ここで、この先の資料を戴きました。





四つ目川に架かる四つ目川橋。
遠くに恵那山が見えますが、雲に隠れています。



往来庭

(09:20)
中津川宿の往来庭です。
一番奥に壇が有り、そこに立つと招き猫が出てきました。
センサーが人体を感知して作動するのでしょう。
ここにはトイレも完備していました。




新町通り(中山道)を歩いていますと、街道歩きのような若い女性に出合いました。
写真を撮影しても良い香と聞きましたら、OKでした。
名古屋から来たのだそうです。
彼女が手にしていた地図。
何処でもらったのと聞き、駅近くの観光案内所だそうでした。
それで、私もと、向きを変えました。



茶屋坂の高札場

(09:51)
茶屋坂の高札場へ来ると、あずま屋で休憩している人が居ました。




高札場の中の1枚。
木賃と言う言葉が書かれています。木賃宿とは宿に泊まるのに、自炊をして、木の金を払うというもので、安い宿の事を指します。食事つきで泊まれる場所が旅籠です。
木賃銭が定められています。

左端の成瀬隼人正は戦国時代に家康に仕えた人物です。徳川幕府が出来て、尾張徳川家の租、徳川義直の補佐役となりました。尾張藩の附家老を勤め犬山城主となった人物です。





あずま屋で休憩していたカップルです。
写真を撮っても良いかと聞きましたら、OKで撮影に応じてくれました。
このカップル。フランスから来たと言っていました。
大きなザックを背負っていますが、何処まで行くのかと聞きましたらKYOTOでした。

フランス人でも英語を話していました。
私は英語は喋れませんので簡単な単語の会話です。
この時間にこの場所と言う事は馬籠で泊まったのでしょう。となると今夜は細久手宿の大黒屋だろうか。



中津川宿の絵図の横に有った美濃17宿の碑です。





高札場横の石段を上がって来て中津川の街を見下ろしました。
中津川が山々に囲まれているのが判ります、
真っ直ぐの中山道。
先ほどのフランス人ガップルが歩いて行くのが見えます。



尾州白木改番所跡

(10:00)
上金の白木改番所跡です。
白木改番所は、この上金に移される前は与坂に有ったようです。
前々回に歩いた時には大湫宿でも白木改番所跡が有りましたし、前回歩いた茄子川にも白木改番所跡が有りました。
それに大井宿でも有りました。
この尾張藩の白木改番所。各地に有りました。
尾張藩の重要な収入源だったので、厳重に取り締まったのでしょう。


子野石仏群

街道沿いの小高い場所に地蔵堂が有りました。
そして、石仏群が並んでいました。



子野の一里塚

(10:32)
子野の一里塚の石碑がポツンと立っています。




坂道が続きます。




急な坂道の連続です。
この先に与坂立場跡が有りますので、この坂を与坂と呼ぶのでしょう。




(10:39)
坂の上部へ来て振り返りました。
中津川の街が見下ろせます。




歩いて来て峠のような場所に来ました。
前方の風景が広がります。
左の池のように見えるのは木曽川です。落合ダムでダム湖になっています。
右の横線は国道19号線です。
左に来ると坂道で木曽路に入って行きます。



落合宿に入ってきました。


落合宿本陣跡

(11:00)
落合宿本陣跡 へ来ました。
明治天皇落合御小休所の石碑が立っています。ここで休憩したのでしょう。




今日のKオジサンの後ろ姿です。



下桁橋

(11:16)
落合川に架かる下桁橋を渡ります。
橋の上から落合川を見下ろしました。
その先には高峰山が見えます。



十曲峠入口

これより 十曲峠。
長い坂が始まります。




坂をランニングする男性が追い抜いて行きます。




オダマキとホタルブクロ。
道路際に咲いていました。


落合の石畳入口

(11:41)
落合の石畳の始まりです。




石畳に入って、直ぐに単独の女性が居ました。
ヘビが出て、他の人たちは見ていたようですが、彼女は見たくなかったのでしょう。
先に歩いて来ていました。
男性と女性、10人ほどのグループでした。
岐阜や各務原の人たち。
馬籠から中津川まで歩くと話していました。
グループの名を聞きましたら「緑親会」だと教えてくれました。
その名の通り、緑に親しむ会なのでしょう。
同じ年代の者同士なのでしょうが、一緒に行動できると言うのが好い事だと思います。
山登りだと体力差があり、一緒するのは無理ですが街道歩きなら一緒に行動できます。
この「会」。
恐らく骨折る人がいるから、皆さん一緒に行動できるのでしょう。




石畳の街道です。






石畳の道の説明板です。





(12:04)
前方から男性が歩いてきます。

言葉を交わしたら名古屋から来たと言う男性でした。
今日は南木曽駅で降りて、ここまで歩いて来たと話していました。





男性が眺めていた説明板。
中山道の解説や石畳の整備について書かれています。



石畳の休憩所

(12:33)
説明板の横に休憩所が有りました。
ここでお昼にしました。

中山道六十九次の札が下がっています。
四三、馬籠宿。四二、妻籠宿。それに二九、下諏訪宿。二八、和田宿の札が無くなっています。
この石畳を歩いた奴が盗んでいったのでしょう。
誰も見ていたいと思い、このような行為をする事は許せないです。


新茶屋の一里塚

新茶屋の一里塚まで来ました。
石碑と説明板が有ります。




(12:41)
この辺り、一里塚やこれより北木曽路の碑が固まって、有る場所です。
その説明板です。




これより北木曽路の碑

「これより北木曽路の碑」が有ります。
かつては、この石碑の位置は長野県と岐阜県の境でしたが長野県山口村が岐阜県に合併したので、県境ではなくなってしまいました。なお、この石碑の字は島崎藤村の揮毫に寄るものです。




(12:41)
上り坂が続きます。
この辺り。新茶屋と言う場所です。
左側に民宿が有ります。
梅の家ともう一軒。





ズーと長い坂が続きます。
この景色も電柱が無ければ良いと思える景色です。





(12:47)
坂の頂部へ上がってきました。
そして、振り返ります。
ここには正岡子規の句碑が有りました。この場所、夕日のスポットになっていました。

中津川の街が見下ろせます。

田植えが終わった時期。
右の富士のような型の山。
恵那の笠置山です。
名の通り笠を置いた型の山です。




(12:50)
登り坂が続きます。




路傍の花。
ピンクと赤の花が咲いています。
ウツギの仲間ではなかろうか。




(12:56)
勾配が少し緩くなっていきます。



馬籠城址

(13:07)
丸山と言うコンモリした山がある場所です。
馬籠城址の説明板が設置して有ります。




丸山とも城山とも言うと有ります。
城と言うより砦みたいなものだったのでしょう





(13:08)
今まで登り坂の連続ですが、やっと下り坂です。




遠くに見える恵那山。
今も雲に隠れていますが、雲の量が少なくなって来ています。






最後の登り坂です。
この坂を登り切れば馬籠宿です。



馬籠宿

馬籠宿に到着です。
観光客で賑わっています。





(13:15)
石の道標。
それに指示標識が設置して有ります。
石の道標には「中山道馬籠宿」江戸江八十里半、京江五十二里半と刻まれています。




(13:54)
馬籠宿のバス停です。
中津川駅行きのバスが来ました。
55分発ですので、定刻にやってきました。






バスに乗りました。
前には妻籠宿の横断歩道が見えます。

このバスが中津川駅へ着いたのが14時19分頃でした。
この時間帯の列車は20分と50分となっています。
中津川駅に着き改札口に向かうと、出て行く電車が見えました。
仕方なく、駅の周りをブラブラしました。





歩き出す前と歩いた後です。
歩いた後、撮影を忘れていて車内で撮りました。
15キロほどを歩きました。

感想
2012年4月21日に馬籠宿から妻籠宿にかけて歩きました。その時に一石栃白木改番所跡が有りました。次回に歩くコースです。今回は上金の白木改番所跡が有りました。大井宿でも改番所跡が有り、大湫宿でも改番所跡が有りました。茄子川にも改番所跡が有りました。こんな所に改番所が有るのだと発見する事が面白い。
これから先、一石栃以外にも改番所跡が有るカモ知れません。木曽全体に改番所跡があるのでしょう。
点在する改番所は尾張藩の重要な財源であり厳しくしたのでしょう。
中津川宿の標高が約305mで、ゴールした馬籠宿が約575mとなっています。270m程の標高差なのですが坂の連続でキツイ所が有りました。
2012年8月23日に上松立場から木曽福島へ歩きました。その時に山村代官所跡が有りました。その代官が山村氏です。今日、馬籠城址の説明板で山村氏の名が出てきていました。この山村氏と代官の山村氏は異なるかも知れませんが、関連性が面白いです。


今日の経費
JR那加駅からJR中津川駅までとJR中津川駅からJR那加駅まで。青空フリーパスを使用。 2,570円
お握り 120円
カップ麺 108円
袋菓子 200円
馬籠宿から中津川駅までバス代 560円
            合 計 3,588円


kオジサンの中山道旅日記  その11
6月17日(日) 曇のち晴 馬籠バス停からJR十二兼駅まで   へ

 

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