3月30日に旧木曽街道を今渡駅から羽黒駅までを歩きました。そして、その2 として4月18日に、羽黒駅から小牧口駅までを歩きました。
街道歩きを2回やりました。街道歩きは小説を読むのと似ています。 本を読み出したら、面白くないストーリーは別ですが、大抵は最後まで読んでしまいます。それと同じように街道歩きを重ねていまして、旧木曽街道を歩くのの続きを歩きました。今回は小牧口駅から味鋺駅までです。
ゆっくり歩くと、見えないものが見えてきます。廃線となった小牧基地への引込み線を見かけました。ドローンのスクールも有りました。
「発見する」。そう言う事も面白さの1つです。
街道歩きで、このサイトを参考にしました。
http://network2010.org/article/234
カメラ画像の記録タイムから行程したものです。
小牧口駅(10:24) ― 相撲の石碑(10:38) ― 外山神社(10:54) ― 神明社(11:33) ―
小牧基地引込み線跡(11:40) ― スーパーヤマナカ ― 白山神社古墳(13:24) ―
ハニワの館(13:51) ― 二子山古墳(13:56) ― 味鋺駅(14:05)
小牧口駅
小牧口駅で下車しました。
前回の続きの再開です。
小牧口駅は線路が掘割となった線です。
駅の前に自転車が溢れています。
旧木曽街道へ来ました。
ここから、街道歩きの再開です。
小牧南小学校の横を通過します。
休み時間なのでしょう。
子供たちが校庭へ出てきて遊んでいます。
相撲の石碑
墓地の中に名前を連署した石碑を見かけました。
頭取と力士。頭取は勧進元なのでしょうか。
行司と言う字も読めます。
それに〇〇山とか〇〇川の字が有ります。
本格的なシコ名も散見できます。
外山、楽田、古知野、布袋。この辺りの地名が読めます。
石碑の表と裏です。
読み難いですが、為故愛知角力追善・・・。昭和四年と有ります。
大日本相撲協會と五ケ国聯盟相撲協會と有ります。五ケ国とはどの国を指すのだろう。
娯楽の少ない時代です。
相撲の一大イベントが開かれました。
何処で開かれたのだろう。
弁当持ちで近郷近在から多くの人が集まった相撲大会。
想像が膨らみます。
木曽街道は南に下って行きますが、途中、広い道路で遮断されています。
外山神社
外山神社へ来ました。
大きく立派なお宮さんです。
本殿と説明板。
銅鐸が出土したと説明して有ります。
今は県道になっていますが、かつての国道41号線を歩いています。
反対側を歩くウォーカーを見かけました。
彼も街道歩きをやっているのでしょうか。
木曽街道が旧国道と一緒になったり離れたりします。
ここは、国道41号線の東です。
街道らしさの有る道です。
今日のKオジサンの後ろ姿です。
離れていた木曽街道ですが、再び旧国道41号線と一緒になりました。
右側のフェンスは小牧基地のものです。
小牧基地のコントロールタワーが見えます。
道の脇に、ひっそりと馬頭観音がありました。
春日寺の神明社へ来ました。
春日寺会館と言う建物がありました。
地区の集会所の役割をしています。
神明社
神明社の本殿です。
神明社の境内です。
ナンジャモンジャの花が開き始めていました。
こんな事にも、季節を感じる事が出来ます。
小牧春日井市境
小牧市から春日井市に入ります。
小牧基地引込み線跡
小牧市と春日井市の市境近くに廃線の線路が有りました。
ここを見た時、何の線路か判らなかったのです。
廃線のサイトが有りました。
https://www.google.com/maps/d/viewer?ll=35.255292000000004%2C136.93174799999997&spn=0.008411%2C0.01369&hl=ja&t=m&gl=jp&oe=UTF8&msa=0&z=15&source=embed&ie=UTF8&brcurrent=3%2C0x600373a7eaf2a3c7%3A0x1446fffd6173e0b9%2C1&mid=1yNOyFr4ppdmZVmX0udT6jtQHUk8
この先に見えるコンクリート塀が基地の中です。
架線は撤去されて居ますが、電柱は残っています。
前方が県道で旧国道41号線です。
廃線の上をアスファルト舗装しています。
線路の上を舗装してしまっています。廃線となったのは、相当古いことなのでしょう。
錆びた信号機。
通過するの貨物列車が少なく、国道の車を停車させて踏み切りを通過しなくてはなりません。完全に遮断機が下りてから、列車が通過したのでしょう。
他のサイトで、何人かがこの小牧基地引込み線跡を取上げています。基地の中へ航空燃料を運び込んだと有ります。名鉄の黒い貨物用の電気機関車がタンク車を牽引して行く場面が想像できます。
でも、疑問なのは何処からタンク車が来たかと言う事です。上飯田線は上飯田まででJR線とは連絡していません。と言う事は高山線の鵜沼駅から来たのだろうか。かつては名鉄線とJR線が連絡していました。
名鉄のホームページを検索しましたら、鵜沼連絡線のSL-1017号というのが出ました。蒸気機関車が牽引していて、後にディーゼル機関車に変りました。
私の住む各務原市には岐阜基地が有ります。かつてはキャンプと呼ばれていました。キャンプに貨物列車で石炭を運び込んでいました。名鉄線で来た貨物列車が三柿野駅から基地内に入って行っていました。基地内に大型のボイラーが有りセントラルヒーティングで湯を供給していたのだと思います。
子供の時の記憶でして、航空燃料も運び込んでいたのかは、判りません。高山線の那加駅と名鉄の新那加駅で連絡していたようです。新那加駅に1段と高くなった石炭置き場が有り貨車に積み替えたりしていたのを覚えています。その時に牽引していたのがC11かC12だったのではと想像します。
芭蕉句碑
芭蕉の句碑が有りました。
碑の文字が読め無くなっています。
ドローンスクール
沿道にドローンのスクールが有りました。
こんな学校が出来るのも次代の流れでしょうか。
表側の網に操縦機がひっ架けてありました。
右は網の間から中を覗いたのです。
この当たりは名古屋空港の進入路の下の地域です。
すぐ頭の上。
車輪を下ろし、着陸態勢の機が降りてきました。
味鋺原新田一里塚
一里塚の石柱を見つけました。
字が読めなくなっていますが、味鋺原は判ります。
味鋺原新田一里塚と書いてあるようです。
ちゃんと読めるようにして貰いたいものです。
一里塚の石柱の近く。
側溝の中にスミレが咲いていました。
他のは花の時期が終わっています。
最後のスミレなのでしょう。
名2環の下を横切ります。
木曽街道はこの先で、南西方向に向かっています。
次回はここから再開しょうと思い、南へ直進し二子山古墳へ向かいます。
白山神社
白山神社の参道です。
前方に森が見えます。
白山神社へ来ました。
小高くなっていて、石の階段が見えます。
石柱には愛知県指定史跡、白山神社古墳と刻まれています。
石橋があり、池となっていました。そして小さい噴水が有りました。
白山神社から南東に向かいました。
丸い椀を伏せたような小山です。
これは、ヒョットして古墳ではなかろうかと思いました。
左側は東から眺めた姿です。
右側は鳥居が有り、螺旋状に道が付いています。
頭頂部に小さな社が祀って有りました。
相宮で白山神社の御旅所となっており、御旅所古墳でした。
二子山公園
二子山公園。ハニワの館です。
公園として整備して有り、その一角にハニワの館が有りました。
ハニワの館の館内です。
埴輪のレプリカが展示して有り、その横に古墳の解説がして有りました。
説明の中の西上免遺跡は覚えの有る遺跡です。
東海北陸自動車道の下に有った遺跡で、一宮友歩会の例会に訪ねた場所です。
大きな二子山古墳の表示柱が有ります。
二子山古墳の石柱と解説板。
この公園は三箇所の古墳が有り、味鋺古墳群と呼ばれています。
二子山古墳の周溝を確認できます。
前方後円墳なのですが、木が繁茂していて前方後円墳か否か判らない状態です。
二子山公園は広大な公園です。
三箇所の古墳が有り、古墳公園と言った感じの公園でした。
味鋺駅
味鋺駅まで来ました。
今日は味鋺駅で歩くのを終えようと、歩いてきました。
旧木曽街道のルートからは外れましたが、大規模な古墳の公園に寄る事が出来ました。
感想
小牧基地引込み線跡を見る事が出来ました。直接、街道には関係ないのですが、このような場所を発見できたのも街道歩きの面白い所です。名鉄電車の黒い電気機関車が黒いタンク車を牽引して基地の中に入ってく姿が想像できます。
街道歩きでドローンスクールも見つけました。最近、ドローンの画像が多用されますが、ドローンの技術を学校で学ぶ。そんな時代が来ているのだと実感しました。
相撲興行の石碑を見かけました。石碑は墓地の中に有り、どのような所で相撲場所が執り行われたのか判りません。それでも、人々は近郷近在から集まったのでしょう。それに相撲見物となると当然、昼飯持参で寄ったのでしょう。マイクもスピーカーも無い時代。呼出しの越え。人々の声援。そんな場面が想像できます。
前回はスミレのオンパレードでした。今回は路傍の側溝の中。1輪のスミレを見かけましたが、終期を迎えていました。これも季節の流れだと感じました。
木曽街道から離れ、二子山公園を経由して味鋺駅で終えました。次回は城北線の味鋺駅からスタートしたいと思います。
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