諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

放射能と鬼渡神。 その4

2013年04月04日 02時47分15秒 | 東日本大震災

続きます。

 

何故、阿武隈川が放射能に一番汚染されたのか。 もう一つ偶然と思えない出来事と言うか、過去があります。

これは結構タブーで、かん口令引かれたようで、詳細はチョット不明なのですが、多分、日本で最初に被爆した人は福島の人間だという事です。

 

まっ、普通、日本で最初に被爆したのは広島・長崎の原爆でだと思うでしょうが、その前に被爆者が出ていたんです。

まあ、何と申しましょうか、戦時中の日本も核爆弾造っていた訳なんです。

どうも占領下にあった朝鮮半島で核実験も終了しておりまして、原料のウランを採掘していたんですね。福島県で・・・・。

 

ウラン採掘現場は、福島原発から南西60キロの距離にある石川町の石川山。

私の故郷、福島県・いわき市の直ぐ裏??と言うか、近く??です。そして阿武隈川流域でもあります。

 

「♪会津磐梯山は、宝~のぉ~山ぁぁ~よ」じゃないですけど、福島県は希少な鉱物が取れる日本でも有数の県だったんですね。

 

私はいわき市好間町の好間川そばで暮らしていましたが、この好間川なんか水石のメッカで、どの家も玄関先に珍しい水石や希少な鉱物を飾る習慣がありました。

私の家にも、親父が川で集めた珍しい水石がゴロゴロありましたね。

仙台に引っ越す時、捨てたり、くれたりして全部置いて来たんですけど、あれを「何でも鑑定団」に出したら、今頃、一財産になったのではないかと、親父共々、悔やんでいますよ。

 

スミマセン、また脱線しました。話を戻します。

 

原爆の開発は第二次大戦前から進められていたらしいです。そして当然、アメリカも原爆を造っていたのを知っていて、両国とも必死こいて研究が進められてました。技術力も五分だった様です。

 

当時、私の親父も母親も福島県いわき市在住で、親父は街中、母親は山の中に住んでいました。

そして多分、グラマンなんでしょうけど、いわき市を素通りし、もっとへんぴな山の方に爆弾落としに行っていたと語っています。

まあ、アメリカも石川山でウラン採取していたのを知っていたから、攻撃していたと言う事でしょうね。

 

ウランを掘っていたのは地元・石川町の中学生。160人程度でツルハシとスコップで掘っていたそうです。

何でも「マッチ箱一個分の大きさで、ニューヨークを吹っ飛ばす程の爆弾の造る」と言われ、当然、防護服なんか無しで戦争に勝つ為に、一生懸命掘っていた訳です。

そして、これまた当然、気分悪くなる生徒が続出していたと言う事です。そりゃそうでしょう、放射能出てるんですから・・・・・・・・。

 

まぁー、しかし、結果はアメリカに先を越され、広島・長崎に原爆投下され日本は敗戦となった訳ですけど、もし日本が先に開発していたら、当然、勿論、原爆使用していたでしょう。

そうなったら戦争に勝っていたでしょうか。

 

もしかしたら、アメリカでも原爆を完成させ反撃に転じ、何十発も日本に原爆を降らせ、日本は消滅していたかも知れませんわね。

 

原爆の完成が遅れたのが不幸中の幸いだったのか、不幸だったのか。どっちなんでしょう。こればっかりは分かりませんわね。

 

つづく。

 

 

コメント
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