そろそろ終わらせたいと思っていますが、続きます。
「禍津日神・直日神が祀られている事に、相撲の本来の意味が隠されている・・・・・・」なんて書いちゃいましたが、私、相撲の知識、殆ど無いんですよね。それなのにこんな事書いちゃって、正直困っています。何せ落とし処を考えず書いていますので。
取り敢えず瀬織津姫を最初に出すと話がややこしくなるので、禍津日神・直日神で話を勧めます。そこの処、宜しくです。
さて禍津日神と直日神を現在の職業に当てはめると、禍津日神が犯人の罪を暴く検察官で、直日神が犯人の弁護士となるのでしょうか。そして二神合わせて裁判官。
元々、禍津日神と直日神は閻魔大王、更にはお地蔵さんだと言われていますが、イメージ的には禍津日神が閻魔大王で、直日神がお地蔵さんのような気がします。
取り敢えず裁判官である閻魔大王だとして、何故土俵の上に祀られているのか。それは相撲での勝負を正式に判断すると言う意味なのではないでしょうか。
相撲って力士の体に似合わず瞬発力の勝負です。一瞬で勝負が決まったりしますから、行事だって間違える事が度々あります。だから閻魔大王たる二神を祀っているのではないでしょうか。
そう言えば数年前に相撲の八百長騒ぎがありました。ブラックと言うか相撲の八百長を認めた力士は相撲界から追放。八百長を噂されながらもそれを認めなかったグレーゾーンの力士は警告、あるいは自主引退の処分になりました。
ブラックである事を認め追放された某力士はそれを不服として裁判を起こしましたが、ある意味土俵の上は裁判の場です。神の前、閻魔大王の前で八百長をやった。嘘を付いた。嘘を認めた。
そんな力士を土俵に上げるのであれば、相撲は神道の流れを汲む国技とは言えません。八百長を認めた者をまた土俵に上げれば、神や神道を否定することになります。それはダメです。天皇陛下も来なくなります。
懺悔し悔い改めれば何でも許されるカトリック系のキリスト教と神道は全く違います。直日神が力士を弁護したとしても八百長は許されません。閻魔大王は舌を抜きます。
そうなると追放するしかない。追放しなければ神を否定した事となる。相撲ではなくなる。国技として恥です。相撲を続けることは許されない。だから処分を決断したのだと思います。
さて、怒りがマックスになったところで八百長相撲はこのくらいにして、瀬織津姫で相撲を考えます。
瀬織津姫は三途の川の奪衣婆とされています。三途の川を渡る死人の衣類、つまり罪を剥ぎ取りパートナーの懸衣爺に渡す。懸衣爺は剥ぎ取った罪である衣類を木の枝に吊るし、枝のしなり具合でその罪の重さを計る訳です。このお二方の判断は裁判官であり閻魔大王の役割であるとます。
瀬織津姫が禍津日神である奪衣婆であるのなら、直日神は懸衣爺となるのでしょうか。禍津日神が瀬織津姫ならば、懸衣爺である直日神は誰なのか。
直日神も瀬織津姫と同神との考え方もある。だったら懸衣爺は誰なのかとなります。「爺」と付くのだから男神の筈です。
神に男女の区別は無いとも考えられますが、あえて懸衣爺を直日神として男神とした考えた場合、直日神は瀬織津姫と同じ祓戸の神の男神である可能性が高いです。
そして瀬織津姫が出てくる祓戸四神は瀬織津姫、速秋津姫、気吹戸主、そして速佐須良姫。この四神で男神と思われるのは気吹戸主だけです。他の三神は「姫」の字が付いていますからね。
続く。