諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

狩野英孝の実家、櫻田山神社。【離婚編】 その2

2014年10月09日 00時04分26秒 | 神道
続きます。

ここで神職と言う仕事、神社運営でどれほど気を使わなければならないのか。それを私の友人のケースで説明します。

神職はイメージの商売です。これは以前にも語りましたが、神職は失敗が許されません。

神社には縁結び、安産、家内安全、商売繁盛、合格祈願、厄払い、病気治癒、自動車のお払い等々の祈祷があります。その祈祷する神主が受験失敗したり、交通事故起こしたり、厄年で死んだり、家庭不和などしていたら、神社と言う商売上非常にマズイ訳です。神主が不幸に有ったら「あそこの神社に祀られている神様はご利益ないぞ」となります。そう思うのが普通です。

だからこそ神主は、気を付けて生きていかねばならんのです。祀られている神様の名誉の為にも、神社を維持する為にもです。

前回友人の神社の話ししましたが、震災で被害があった神社を修理するに当たって寄付金が集まったのも、鳥居や狛犬が寄進されたのも神主の人徳があってこそです。氏子に慕われなくては神職は務まらない。神社も成り立たないのです。

その為、友人の努力は並々ならないものがあります。

先ずは学校。自分もそうですが、子供3人とも私立の中学に行かせてます。中学から大学までエスカレートで上がれる学校です。神社の息子なのにプロテスタントの学校へ通わせてます。神道とかキリスト教とかどうでも良いのです。神社の息子が受験で不合格になる訳には行きません。それが大事なのです。

クルマもそうです。バイクの免許は危ないからと言って取らす、クルマに乗れるのも後10年位と言ってます。60歳でクルマを運転するのを止めるつもりなのです。  

確かに60歳にもなれば体力も落ちます。動体視力も運動神経も、若い頃に比べたら大分下がるでしょう。でも60歳ってクルマの運転が出来なくなるって歳じゃないですよね。私の親父なんか今年80歳ですが、毎日クルマに乗ってます。60歳でクルマを降りる人は殆どいないと思います。

それでもクルマを降りる決意をしたのは、万が一の事故を考えてのことでしょう。其処まで神職の仕事をストイックに考えています。流石に私も呆れる反面、尊敬しちゃいます。

極めつけは神職を続ける上での結婚の考え方です。

彼は32歳で見合いをします。相手は何と18歳。高校を卒業して直ぐに見合い。そして婚約。20歳になるのを待って34歳で結婚しました。「援助交際で知り合ったのか」と言ったら怒ってましたけど。

其処までして結婚したのは、やはり神社の跡継ぎを残さなくてはならない。だから若い女性をと考えたのでしょう。それと相手の身辺も神社を営む上では周到にしなくてはならない。それもあると思いますね。

ここまで抜かりなく考えて、神職を勤め上げているのです。彼の父親、祖父と特級宮司なのも頷けると思いました。

そう言うストイックさが必要とされる神職ですが、お笑い芸人である狩野英孝さんはハンデがあると思います。

難しいとは思いますが、キッパリと芸能界から足を洗って勤めた方が良い。それが出来ないのであれば、次期宮司の座は弟さんに譲るべきだと思います。

何の関わりのない私が言える立場では御座いませんが、1500年続いている櫻田山神社です。彼の人気で神社は潤うでしょうけど、神社は5年、10年の年月じゃないです。櫻田山神社の今後を考えれば、その方が良いのではと老婆心ながら思う次第です。

それと、もう一つ。やっぱりミヤギケンタウルスは神社から撤去した方が良いと思います。今度は狩野さんだけではなく、サンドイッチマンのお二人にも、何らかの不幸が降りかかるのではないかと心配です。

あの二人はあれで中々の善行しています。彼らの東北復興への努力には頭が下がります。それだけに何もなければと良いと願ってます。


ではでは。




コメント (2)
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