諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

神輿を担ぐ馬鹿。

2014年10月12日 01時29分14秒 | 神道
今月の19日。友人の神社で毎年恒例となっている神輿渡御に参加する。

友人の神社は仙台の中心部にある。中心部故、年々過疎と言ったら良いのか、住人が減少している。氏子が減っているのである。そこで私も駆り出されているのだが、この神輿渡御で毎年苦労している。

私の身長は165センチ。標準より背が低い。だから神輿は前を担ぐ。背の高い者は後ろを担ぐ事になる。

その時、私と同じ神輿の足を担ぐのは、私よりも身長が10数センチ低い男性と、少々知的障害のある男性。何故かそうなる。

神輿は肩で担ぐものだが、背の低い男性は肩で担げない。知的障害のある男性は私とほぼ同じ身長だが、必ずズルをする。担いでいるふりをするだけなのだ。

そうなると神輿の4分の1の重さは殆ど私が担いでいるようなものである。いや、前の方が低いからそれ以上の重さとなる。正直、肩の骨が砕けるのではないかと思うくらい痛い。何時もヘロヘロになって担いでいる。

この話を今日、私の両親にしたら「その知的障害の人、頭が良いな。お前が一番馬鹿だ」と言われた。父も母も、笑いながらに。

ここが私と両親が分かり合えないところだ。神輿には神社から祭神がお渡りになっている。神輿に神が乗っているのだ。力を抜く訳には行かない。神を乗せているのだから。

それが馬鹿だというなら、馬鹿で結構である。私からすれば神を乗せている神輿を担ぐふりをしている方が馬鹿だと思う。っと言っても知的障害がある人だから、それはしょうがない。
以前、担いでいるふりをしている彼を横で追走しているオバサマ方が注意した事がある。大変な事になった。彼が怒り出し、暴れまくって。

神輿を担いでいる最中、罰当たりも甚だしいと思ったが、障害のある人だからしょうがない。もう馬鹿になって私一人で神輿を担ぐつもりでやるしかない。

これもまた、祓い清めでもある訳だし。

肩の骨が砕けなければいいけど・・・・・。


ではでは。
コメント
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