諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

秋祭りの憂鬱。その1

2014年10月23日 08時20分21秒 | 出来事

今月の19日日曜日、友人の神社の秋祭りに行って参りました。毎年恒例のお神輿を担ぎにです。

集合時間は午前9時。子供が数名集まっていましたが大人は殆どおらず。「あれ、まだ集まっていないな」と思いながら、私は出店の飾りつけなんぞをしてた訳です。

そして10時。神輿渡りの為、神社前に集合。「あれれ、大人が少ない。私を入れて神輿の担ぎ手が、大人5人しかいないではないの。どうなってんの」。

そして割り当てを告げられビックリ。今年は大人は神輿を担がす、フォローにまわる事に。

私は先導の神・猿田彦命の提灯担ぎ。つまり一番先頭の役を仰せつかり、神輿の担ぎ手は地元高校の和太鼓部と近隣の中学生が受け持つ事になったんです。

「とうとうこの日が来たか」と思いました。私が最初に担いでいた頃は、大人が神輿を担いでいました。その後、大人の担ぎ手が一人、二人と減っていき、どっかのお祭り組合??が手助けしたり、高校生を混ぜて神輿を担いでいたんですが、流石に大人5名ではもう誤魔化しが効きません。完全に子供神輿オンリーにするしかないです。ここまで減ってしまっては。

何か隠居させられたみたいで、かなり残念です。神輿担ぎは辛い面もありますが中々壮快で、ストレスを吹き飛ばすには持って来いでしたから。

まっ、これも時代の流れですね。最近はお祭りブームだと思っていましたが、友人の神社は街の中心部あり氏子が減っていた。周りに家は少なく、転勤族向けの高級マンションばかり。しかも支店長クラス向けのマンションです。これでは集まらないのも無理はないですね。

そう言う私も住んでいる場所は近隣のベットタウンです。友人の神社近くに住んでいたのは40年以上も前。その頃から人口のドーナッツ現象が起きていたんです。今まで良く頑張って来たと言えるのかも知れませんね。

とは言え、ずっーと神輿を担いできて急に提灯持ちにされても面食らいます。私はお神輿渡りなんだから、景気を付けなくてはと人一倍「わっしょい、わっしょい」と声を出して担いでいたんです。私が音頭を取らなければと思って。

私は提灯担ぎであってもそれは変わらない。神輿の担ぎ手に声を出させる為にも大声で「わっしょい、わっしょい」と叫んでました。

そしたら禰宜の友人が先頭の私の横に来て、「提灯持ちは掛け声を上げるもんじゃないよ」と小声で一言。うーん、そう言われてしまっては掛け声を出す訳にはいかんです。しょうがなくシンミリと歩きました。

私がワッショイの掛け声で音頭を取っていたのですが、黙った途端、神輿担ぎも声を出さない様になります。もうまるで葬式行列みたいです。

これはマズイと思っていたら、どこにも私みたいなお調子者はいるもので、そのお調子者が私に代わって音頭を取り、だんだんと神輿渡りも様になってきました。まっ、一安心です。何とかなるもんだなぁーと思いましたね。


続く。


コメント (4)
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