諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

白山信仰の「白」について、瀬織津姫で再び考えてみた。 その2

2014年10月18日 02時37分39秒 | 瀬織津姫
続きます。

瀬織津姫と関わりのある「ハク」とは何か。

答えは「穿く」です。どうですか、想像通りでしたでしょうか。多分、思いも寄らなかったのではないでしょうか。

「穿く」は「ジーンズを穿く」の「穿く」です。どう瀬織津姫に繋がるのか判らないでしょうね。それは無理ないです。「穿く」は本当は違う意味ですから。

日本語って、本来の意味とは違う解釈されているケースが多いんです。

例えば「愛」。「愛しているよ、だからさぁー、いいじゃないのぉー。ダメよ、ダメダメ」の「愛」です。愛の意味はLOVEではないのです。本当は「心が苦しい」と言う意味です。

多分、異性を好きになり心が苦しくなったりするもんですから、「愛=LOVE」となったのだと思いますが、本来は全く違う意味です。

「幸」もそうです。「幸福」との意味合いから「幸=ハッピー」となっていますが、元々幸の字は「縄でぐるぐる巻きに縛られている状態、「拘束されている状態」を示してます。

そう言われれば、「幸」の字って縛られている人間の姿に見えるでしょ。意味的には「不自由」が近いのではないでしょうか。

縛られている人は奴隷とか罪人、捕虜なんでしょうけど、「縄を解いてもらって自由になれたらハッピーだろうなぁー」と言う感情が誤解されて浸透し、「幸=ハッピー」となったのだと思います。これも正反対の意味になってますね。

「光」の場合も勘違いされています。「光」は罪人等を裸にして跪かせ、その背中を火で炙っている光景が「光」なのです。つまり「光」は火炙りの刑であり、拷問なのです。

ほら、そう言われれば、「光」の字の形もそれらしく見えるでしょ。これも多分、火炙りの刑の光景で火が眩しく「光=ライト」と言う意味になったのだと思います。

因みに私は中学から大学まで地元の私立大学に通いました。プロテスタント系の大学です。

「ライフ、ライト、ラブ」の3L精神を信条としている学校です。この3L精神を「生活、光、愛」で直訳すると「人生は拷問。苦しいだけ」となっちゃいます。

更に校歌の一説に「世の光、我が誇り、いざ褒めよや友よ~」と言うフレーズがあるのですが、「光」を「火炙り」で約すと「この世の中の人間を火炙りにしてやったぞ。それが我々の誇りだ。良くやったなぞ皆」」と言う、恐ろしい意味合いになっちゃいます。これは流石に黙っておくべきですね。

さて、何故私がこれらの意味を知っていたのか不思議でしょう。私は因果な家系に生まれたもんですから、何とか自分の不運を緩和する為に、姓名判断をかじっています。その流れで知っていたのです。

「愛、幸、光」は人名に使われる文字でも特に人気がありますが、本来は上記の意味合で大凶の名前です。これ、姓名判断の世界では結構常識で、知っている人も多いと思います。

思い出して見てください。そう言われるとこれらの文字が付く名前の人、結構不運に見舞われているのがお分かりでしょう。

例は流石に差し障りがあるので言いませんけど、出来ればご自分の名前に使われている文字の本来の意味くらいは、調べておいた方が良いと思います。

姓名判断は画数の数霊、陰陽の流れも運を左右しますが、一番重要なのは名前の意味です。間違った意味の名前を付けられる事は大変不幸ですよ。情けないくらいに。

因みに逆の例を挙げると、「悪」とは「強い」と言う意味です。これも強い事に反感を買ってバッドと言う意味になったんでしょう。

昔は「悪太郎」と悪口を言ってましたが、本来は「強い男」と言われていたことになります。もっとも強弱は揺れ動きますから、名前には使わない方が宜しいですけど・・・・・・。

それでも「愛、幸、光」の名前より「悪」の方が断然良い意味となります。まっ、自分の子に「悪」と名付ける人はあんまりいないでしょうけど(悪魔と名付けた人がいたっけ)、名前は子孫に対する最高の贈り物です。良い意味合いの名前を付けるに越した事は無いですね。


続く。



コメント (8)
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