諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

二柱神社と高玉神社。そして高玉伝説。 その1

2014年11月06日 01時50分55秒 | 神道
高玉神社、高玉伝説なんて仙台市に住んでいる人でも殆ど知らないと思います。

今回のお題、超マニアックです。実は以前にも書いたことがあります。別のブログで。訳あって消しちゃいましたけど。でも、私にとっては意義がある事なんでもう一度書きます。書いておきたいと思います。

さて、高玉神社ですが、二柱神社の境外社となります。かなりマイナーな神社です。特徴の無い町並みに存在感も無く、ポツンと鎮座している小さな社ですからね。

でも二柱神社は有名です。仙台で「縁結び」と言えば二柱神社ですから。結構、カップルで参拝している風景を見かけます。微笑ましいです。

二柱神社の祭神はイザナギ命とイザナミ命。日本??で最初に結婚したカップルです。だから縁結びにご利益があるとされているのでしょうね。私には全然ご利益を授けてくれませんけど。

でも考えてみたらイザナギ命とイザナミの命は、最初に離婚したカップルでもあります。死別と言えなくもないけど、喧嘩別れしました。

その神々を祀る神社にカップルで参拝に行くってどうなんでしょ。うーん、そこまで深く考えてはいけないのかな。だから私はご利益が得られないのかも。

神社の営業妨害にもなりますし、そこまで気にしちゃいけないのでしょう。うん、もう気にしません。気にしません。だからそろそろ私にもご利益を与えて頂きたいものです。そろそろね。

「他にご利益は」と申しますと子供の無病息災です。何故なら二柱神社の別名は仁和多利権現。つまり鬼渡神。疱瘡神だからだと思います。

麻疹も天然痘も疱瘡。疱瘡は特に子供を死に至らしめる病気です。だから「疱瘡を撒き散らして子供を殺さないで欲しい」との願いから、反対の意味で「おぼっ子(子供)の神、子供の守り神」に祀り上げられたのだと私は考えます。

ではイザナギ命・イザナミ命が仁和多利権現である鬼渡神なのか。

牡鹿半島から南三陸にかけて4社の二渡神社が鎮座してます。祭神はやはりイザナギ命・イザナミ命です。しかし、これは祀っている神を変えられた可能性があります。

牡鹿半島から南三陸にかけてですか、かつては蝦夷側の一大拠点でした。それが蝦夷討伐で大和朝廷に侵略された訳です。

勿論、それは侵略戦争の何物でもないのですが、何時の世も勝てば官軍です。大和朝廷としては「金や鉄、所領が欲しくて侵略戦争を仕掛けたのではない。この戦争は第二の国産みの儀式だ」としたいのです。

その理屈付けで、国産みの神であるイザナギ命・イザナミ命を祀ったと私は考えます。多分、蝦夷たちが祀っていた社をそのまま利用し、祭神を変えてしまったのでしょう。

鬼渡神は水神であり渡し神でもあります。イザナギ命・イザナミ命は水神等ではありませんので、仁和多利権現はイザナギ命・イザナミ命ではなく、後から合祀する形を取り鬼渡神の姿を隠し、イザナギ命・イザナミ命の二柱を祀り二柱神社としたと思われます。仁と二の繋がりで。

当時の政府の都合と言うものがありますが、それはそれ現在はイザナギ命とイザナミ命を祀っているのに間違いは無いです。

由緒書きに「おぼっ子の神・仁和多利権現」と書かれているのは、隠さざる負えなかった心情を悟って欲しいと言う思いが込められていると私は思うのですが、その考えは人それぞれで良いと思います。

結論付ける事では無いと思いますね。


つづく。





コメント (2)
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