諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

二柱神社と高玉神社。そして高玉伝説。 その3

2014年11月12日 00時55分34秒 | 神道

続きます。

続きますけど、考えてみたら今回のお題はアメーバでブログ書いていた時の書き直しで、お玉さん、お菊さんのモデルに付いては既に語っちゃってましたね。

「次回まで考えて見てください」なんて思わせぶりな事書いちゃいましたが、アメーバの時に読んでいる人は知っている訳ですから、間抜けな事になってます。どうしましょ。

しょうがないから今回は答えを後回しにして、ヒントから解説します。

そのヒントは「濡れ衣」です。お玉さんもお菊さんも濡れ衣を着せられて殺されています。この「濡れ衣」こそが最大のヒントです。もう、全てお分かりでしょうか。

「濡れ衣」の意味は「濡れた衣類」です。そして衣類は一枚、二枚と数える。この「~枚」が第二のヒントです。どうです、もう判ったでしょ。まだ判りませんか。

まあ、これを知らないと答えは出ません。「濡れ衣」は「濡れた衣類」と言うのは半分冗談ですが、何故か「無実の罪」を意味してます。何故その様に解釈されているのか。その由来が何なのか。それが答えです。

それではお玉さん、お菊さんのモデルを発表します。それは十王教に出てくる三途の川の奪衣婆です。強いては瀬織津姫がお玉さん、お菊さんのモデルなんです。

奪衣婆は死者の衣類を剥ぎ、その衣類をパートナーの懸衣爺に渡す。懸衣爺はその衣類を木の枝に掛け、衣類の重さによる枝のしなり具合で死者の罪の重さを計るんです。つまり剥いだ衣類は罪と言う事になります。

その罪である衣類が水に濡れていたら重くなります。水に濡れた衣類の重さは、本来の罪の重さではない。本来の罪の重さよりも重くなる。それが「濡れ衣を着る」の由来です。「濡れ衣=無実の罪」と解釈される様になった理由です。

お菊さんが「一枚~、二枚~」と皿を数える件がありますが、それは奪衣婆が死者の衣類を剥ぎ取っている様子を示しています。皿も衣類も「~枚」と数えますからね。

この説を唱えたのは、今から30年位前に亡くなられた國學院大學の名誉教授です。ちゃんと奪衣婆は瀬織津姫であると発言しています。私も納得し、その説を支持してます。今回のお題は、その名誉教授の説に私がチョット肉付けして書いています。

では何故、瀬織津姫をお玉さん、お菊さんに仕立てたのか。

これは多分、瀬織津姫の名前を出すのは御法度だったからでしょう。しかし「瀬織津姫への信仰を消してはならぬ」とする信者の思いは強かった。瀬織津姫を忘れる事はしなかった。隠しながらもその意思を後世に伝えたい。その信仰が瀬織津姫の正体をお玉さんやお菊さんになぞられ、皿屋敷の伝説として全国に流布した可能性があります。

その反対に敵対している宗教が瀬織津姫を蔑む形で、おどろおどろしく書いた可能性もあります。その点は今の私には判断が付きませんけど。

お玉さんのネーミングもお稲荷さんは宇迦御魂神、瀬織津姫は天照大神荒魂です。それぞれ「魂(タマ)」の字が入ってます。多分、そこから「お玉さん」としたのではないでしょうか。

お菊さんの場合は白山信仰の菊理姫から取ったと思われます。菊理姫も黄泉の国との境界線に座する神です。速川の瀬に座す瀬織津姫、三途の川の奪衣婆同様、あの世とこの世の境界線にいますので、「菊理姫=瀬織津姫」と言われています。それ故に「お菊さん」なのだと思います。

そして最後に二柱神社境外社である高玉神社に何故、高玉伝説が伝わっていたのか。

それは仁和多利権現が奪衣婆であり、瀬織津姫である事を暗に示しているからだと私は考えていますが、どうでしょうか。

少なくても鬼渡神と瀬織津姫の一つの繋がりを実証していると私は思っています。

この話は亦折を見て深く掘り下げてみたいと思います。

 

ではでは。


 

コメント (3)
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