続きます、
えー、話が大幅にずれてしまいました。五衰殿のストーリー解説に戻ります。
その前に最初に断っておきますが、これから話す内容は私の想像と考え、そして本から得て納得・肯定した内容がゴッチャになっています。その点、ご了承下さい。
えー、五衰殿の話はフィクションだと言いましたが、それはインドから五衰殿達が飛車に乗って遣って来た事に付いてです。これは流石に私は信じていません。どうしても仏教的解釈にしたい為にその様なストーリーにしたのでしょうけど、根本はあくまでも神道の筈。事件は日本で起きていると私は考えます。
だったら五衰殿は存在していないのかとなります。五衰殿は真っ赤の嘘なのかと言うと、五衰殿のモデルと思われる人物、或いは神は日本にいたと思います。
それではどこにいたのか。そんな事は分かりませんが、熊野は熊野古道等々、五衰殿のストーリーに沿った地形になっています。熊野が五衰殿が処刑された場所を示している、或いは模しているのは間違いないと思います。
例えば五衰殿が引っ立てられて向かった山は、摩訶陀国の南の山とされる鬼谷山です。熊野では熊野参詣のことを「南山ト藪(なんざんとそう)」と言います。
古事記の序文に「天の時、いまだいたらずして南山に蝉蛻(せいせい)し・・・・・」っとありますが、この南山は吉野山とされています。つまり摩訶陀国の南の山・鬼谷山は南の山繋がりで、熊野の吉野山を意味していると思われます。そしてそれが熊野全体を示す様になったと考えられます。
古くから熊野詣で熊野古道を往来していた訳ですが、一番険しいルートは吉野山のルートです。五衰殿も裸足で血だらけになり鬼谷山に登った訳です。処刑される為にです。
それは何を意味するのか。熊野詣の本来の目的は五衰殿同様処刑されるという事。そして五衰殿同様生き返る事・・・・・・っとは言いませんが、苦しい思いをして山に登ってまた降りてくる事は、一度死んで生まれ変わる事。山は霊場。死者の国。山に登る事は死ぬ事。そして山から下りる事は蘇る事を意味する。そしてそれが究極の祓い清めとなる。だから古来から熊野詣が盛んだったのではないでしょうか。
東北生まれの私は子供の頃、死んだら恐山に行くものと思い込んでいましたが、東北以外の人が死んで向かう場所は熊野だったと思います。
日本書紀に「イザナミ命は紀伊の熊野・有馬村に埋葬されている」と書かれています。イザナミ命は最初の死者と言えます。つまり熊野は霊が集う最初の場所。即ち一番古い黄泉の国と考えられます。
熊野詣は黄泉の国に行って帰ってくる事。つまり蘇りを意味している。それを五衰殿のストーリーは物語っている様に思えます。
続く。