チョットびくびくもので続きます。
「私が今すべき禊。その1」で私を心配して下さるコメントを頂きました。ここまで叱咤激励して頂けるととは思いもしませんでした。嬉しいものですね、心配されるって。
私、何時も一人です。一人で考え、一人で行動してきました。親と相談しても直ぐ怒りだしますので。子供の頃から。
そして今回は家の為に行動してきたのに私の父は敵の側に付いた。母の無知さに付け寄られたのに、母は「知らない、知らない」を繰り返すだけ。参りました私。こんな結末になるなんて。
私、ここまで親に踏みつけられるとは思いませんでした。挫折しました。こんなに落ち込んだのは久方ぶりですわ。
そんな私に励ましの声をかけて頂くなんて新鮮に驚きました。感謝感激です。ちょっと涙が出てきました。有難う御座いました。このブログを書いていて本当に良かったです。今後も長い目で見守ってください。
さて、私の拙いブログを読んで頂いている方々に、私が自殺をするのではないかと大変ご心配をお掛けしました。申し訳御座いませんでした。大丈夫です。私は自殺なんてしません。第一、そんな勇気ありませんよ。
でも私、自殺も禊ぎではないかと思ってます。そう思わないと自殺した方が気の毒でなりませんよ。現に自殺した者の周りは清められます。何が善で何が悪なのか皆に示す事が出来ます。自殺した者の事実を隠す悪人、自殺した者を追悼する善人が判る。それだけでも祓い清められたと私は思います(何を言っているのか伝わっていますか)。
私が自殺を祓い清め・禊と考えるのは即身仏が私の理想の死に方だからです。
即身仏が祓い清めである事、何故即身仏になるのかは等々は長くなるので亦の機会に書きますが、人々の負を一身に背負い亡くなる姿は神々しさを感じます。仏教・密教系の考え方ではありますが、日本人の古来の生き方を見るようです。これを自殺の一言で語って欲しくはない。その感情から自殺を肯定する訳ではないですが、色々考えてしまいますね。
さて、ここからが本題です。私のブログを読んで下さっている皆様、気が付きましたでしょうか。今回のお題が「私が今すべき禊をしようと思う。」から、「私が今すべき禊。」に換わった事を。
コメントを頂いて「私が今すべき禊をしようと思う。」のお題で、私が自殺をするのではないかと誤解を与えた事もありますが、実は私、既に禊を開始していたのです。
禊をしているのに「・・・・しようと思う。」では表記が間違っています。これは流石に不味いと思いましたので変更しました。申し訳御座いません。失礼しました。
続く。