諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

天照大神の祟り。そしてスサノオ尊とイエス・キリスト。その4

2015年10月22日 11時32分33秒 | 神道

続かせて頂きます。

東北に馬はいたのか。実は1万年前の馬の骨が出土しているそうです。

戦国時代の馬はポニーのような小型の馬です。古墳時代にモンゴルから渡って来た馬だとされています。しかし1万年前は縄文時代です。それとは別種の馬がいた可能性があります。多分、山内一豊の妻・千代が10両だかで買った馬、南部馬がそうなのではないかと私は考えてます。残念ながら純血種はいなくなったそうですが。

南部馬は結構大型で人に従順だったと聞いています。故に徳川家康がサラブレッドを輸入して南部馬と交配させ純血種が消えたそうです。これは大変残念ですわね。

話を高天原の斑馬に戻します。

斑馬は残酷な方法で皮を剥がされてます。尻から皮を剥がされたのです。この斑馬が日本の地主神だったらスサノオ尊が残酷な方法で殺した事になります。

それに斑馬って何か価値の無い馬の様な気がしませんか。三国志の関羽雲長の馬の赤兎馬の様に立派なイメージがしません。これは日本の地主神に信仰が向かない為に斑馬とした様にどうしても思っちゃいます。

ここで斑馬は一旦棚に上げて、稚日女尊を考えます。

稚日女尊は機織をしていて斑馬の皮を投げつけられ、急所を刺し自害しています。これはどう言うことか。

先ずは稚日女尊は織姫である点に注目です。縄文時代は既に木や植物で繊維が作られてました。だから縄文です。そして蝦夷は大和朝廷よりも優れた機織の技術があった。以前、福島県の織姫伝説について書きましたが、川の淵の中で織姫が機を織っています。東北で広範囲に伝えられている伝説です。実は大和朝廷の蝦夷討伐は金や馬の外に織物も目的だったのです。

そうなると斑馬の皮を剥ぎ、稚日女尊が死んだのは蝦夷討伐を意味しているかも知れないです。もっともスサノオ尊とどう繫がるかは判りませんが。

ここで斑馬に戻ります。私は斑馬と稚日女尊は一体の様な気がします。現に岩手県のオシラサマ伝説と斑馬・稚日女尊の話は酷似しています。夫婦と考えて良いのではないでしょうか。

斑馬は高天原の馬です。っと言う事は天馬です。ペガサスの様に羽があるとは思いませんが、天空を飛べると考えられます。そして稚日女尊。「幼い太陽の女神」との意味です。幼い太陽の女神と天馬。これは天馬に乗って稚日女尊が天空に駆け昇る。つまり太陽が昇る事を意味しています。

その天馬で有る斑馬をスサノオ尊は皮を剥いで殺した。天馬がなければ稚日女尊は天空に昇れない。太陽は昇らない。これは天照大神が天岩戸に隠れた事と同じ意味合いとなります。

つまりこれは、斑馬と稚日女尊も天照大神である事を示しているのではないでしょうか。

 

続く。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする