諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

私の産土神と氏神。そして八坂神社と鬼渡神。その1

2016年06月01日 07時01分34秒 | 神道

これまで色々と私と鬼渡神との因縁を書いてきました。実はまだありました。産土神も鬼渡神だったのです。そして不思議な事にどちらも八坂神社であり、その境内社として鬼渡神が祀られている。チョット偶然とは思えないので、今回はその話を語りたいと思います。

ところで産土神(うぶすながみ)をご存知でしょうか。まっ、色々ご意見はあると思いますが、基本的に貴方が生まれた土地の神社の神様が産土神となります。

そう考えると難しい問題があります。生まれた家の近くの神社の神が産土神なのか、生まれた病院の近くの神社が産土神なのかです。うーん、どうなのだろ。

昔はお産婆さんを呼んで自宅で産んでいたので、自宅の近くの神社が産土神社。その神社に祀られている神が産土神ですけど、今は大抵の人が産婦人科の病院で産まれてます。この場合、どうなんでしょ。誰か知りませんか。

うーん、とりあえず両方とも産土神と考えていた方が良いかなぁー。後でチョット調べて見たいと思います。今回は生まれた家の近くの神社を産土神と考えて話を進めます。

 さて、これまでにも私と鬼渡神との因縁に付いて書いてきました。私は仙台市泉区に住んでいますので氏神は岩切にある仙台八坂神社となります。八坂神社はスサノオ命を祀っている。私の氏神はスサノオ命で間違いないです。

同神社は1190年に京都の祇園から観請。牛頭天王社から明治の神仏分離で仙台八坂神社と呼ばれる様になります。

問題は境内社である志波彦神を祀る冠川神社です。以前は志波彦神社と呼ばれていました。

この冠川神社、何時から鎮座していたか判らないそうですが、元々は現在の塩竃神社に鎮座していた。蝦夷の首長である母礼(モレ)、もしくは母礼の一族が建立した社だった。それが母礼の一族が大和朝廷に破れ、神社も現在の岩切にうち捨てられていた。そしてその場所に牛頭天王社が建立されたと私は考えています。

因みに塩竃神社は一森山に鎮座していますが、この「一森」の名は母礼がら来ている様に思えます。母礼の一族は盛氏です。塩竃には盛さんが多い。母礼一族の基盤の地だった。そして森と盛。一森山は母礼一族の霊場であった事から一森山の名が付いたと思います。

まっ、この話は長くなるのでまたの機会にします。塩竃神社を考察するのは大変骨が折れますので。

さて、この志波彦神が鬼渡神である旅立ちの神、境界線の神・阿須波神です。冠川(現在の七北田川)は、志波彦神が馬で川を渡っていた時に川石に躓き頭の冠を落とした事から冠川となった。川は古来の境界線。阿須波神である志波彦神が冠川神社に祀られるのは辻褄が合います。

阿須波神とスサノオ命との関係は祖父と孫になります。スサノオ命と大山祇神の娘・神大市比売との子である大歳神と天知迦流美豆姫の子が阿須波神ですので。それが八坂神社の境内社として祀られている。祖父と孫で仲が良いからか。

違うと思います。阿須波神は怨霊。その怨霊を封じ込める為に乱暴者のスサノオ命を合わせて祀ったと私は考えます。つまり仙台八坂神社の地主神は志波彦神である阿須波神である。スサノオ命も勿論だが、私の家の氏神は阿須波神であると言えます。

 

続く。

 

 

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