続きます。
餓鬼に打ち勝った私に殺気を向けた者。その者とは身長188センチ、体重135キロの巨漢、駒ヶ嶽國力と言う男・・・・・・・・・・・・・・・の馬鹿でかい石碑でありました。4メートル近い大きさです。草木に隠れていてこんなのがあったなんて知りませんでした。ここには何度も来ているのに。
不思議ですがその石碑から気が感じられたのです。明らかに駒ヶ嶽と言う男が宿っていると思える。私に対して何かを言いたげである。気になる。
でも石碑には長々と何が書いてあるのか良く判らず。気になったので帰ってからネットで調べて、「ああ、そう言う事か」と実感した次第です。
その実感を書く前に駒ヶ嶽國力なる男の経歴を説明します。
生まれは1880年。宮城県出身。1897年に角界入り。ライバル太刀山と共に次々と昇進を果たし大関へ。次は横綱に昇進し、地元の伝説の横綱・「谷風」を襲名すると思われていた。
しかし、後から大関になった太刀山が陣営に恵まれた事もあり先に横綱に昇進。段々と実力で太刀山と差が付き負けが込み酒に溺れる様になる。そして1914年急死。享年33歳と言う事です。
現在の相撲取りとしては標準的な体格ですけど、100年前は地元の伝説の横綱・谷風を彷彿させる大柄な力士で、豪快な相撲で高い人気があったそうです。
しかし、豪快と言う事は穴があると言う事。緻密な駆け引きを要求される横綱相撲には対応出来ず、段々とライバル太刀山との差が付いた模様です。
そしてそのストレスから暴飲暴食に走った。負ける度に酒に逃げた。一日六升も飲んだ。
六升と言うと1.8ℓ×6。つまり一日で日本酒を10.8ℓも飲んだと言う事でしょうか。そりゃ飲み過ぎです。糖尿病の私なら血糖値が大爆発して死にます。こんなに飲んでいたら体を壊して弱くなる。負け越しが続く。そりゃ当たり前ですね。
そして茨城県での巡業で居酒屋に入り、昼間からドブロクをしこたま飲んだ。気持ちよくなり太陽に当たりながら荷車の荷台で熟睡。死亡と相成ったそうです。
死因は驚くことに毒死です。何で毒死したか判りますか。私も驚いたのですが、駒ヶ嶽の胃の中のドブロクが太陽光で発酵し毒素に変化。それが全身に回り、腸穿孔、脳出血、心臓麻痺を併発したのが原因だそうです。
うーん、ドブロクが体の中で太陽光で発酵し毒素になるなんて知りませんでした。「昼間から酒を飲むな」とは、酒が毒になるから言われていたのでしょうか。
でも、どうなんでしょ。ぽっくり寺がある様に、苦しまずにポックリと死ぬのは良い事なのかも。否、33歳は流石に若過ぎる。しかも毒で死んだのだから苦しんで死んだのかも。まさかドブロク飲んで死ぬなんて思っても見なかったでしょうから、未練だったかも。否、否、好きな酒を飲んで死んだのだから納得しているのか。
否、納得してない筈。納得していたら駒ヶ嶽の石碑が私に殺気を放つ筈がない。これは私に対する警告なのでは。
実は正月から私、酒ばかり飲んでいました。夜、眠れなかったもので睡眠薬代わりに。ここ1ヶ月半で「そふと新光4ℓ」や業務スーパーで売っている菊川の芋焼酎「黒嘉門3.6ℓ」をピンクグレープジュースとイオンのサイダーで割って飲んだ。
更には菊川の「清酒・菊川4ℓ」でミルク甘酒を造り、ロックで飲んだ。更に更にはそのミルク甘酒にヨーグルトを入れフローズンアイスにして、シャリシャリ喰いまくっていた。それで体重が一気に4キロも太り89キロになった。そしてそして血糖値も205になったのではないか。
そう考えると駒ヶ嶽の石碑からの殺気は、「お前、酒の飲み過ぎだ。ワシの様になるんじゃないぞ」と、有り難くも忠告してくれたと思えてならないです。否、そうに違いないです。
そして四ヵ月後の現在。体重は85キロに戻り、血糖値も135となった。ちょっと半信半疑ではありましたが、あの殺気は私への警告と受け止め、食事と酒をセーブしていたのです。
今考えるとあの時の殺気は、殺気ではなく気遣ってくれた気だったと思います。私の体が悲鳴を上げているとを駒ヶ嶽関が心配して教えてくれたのだと思います。駒ヶ嶽関もまた神様なのでしょう。その忠告を肝に命じたいと思います。
でも、どうして西公園にこんな馬鹿でかい駒ヶ嶽の石碑があるのだろう。昔、この場所で相撲の巡業があったからか。
それとも桜岡大神宮との何か関連があるのか。石碑は鎮座している神社と同じ意味合いがある訳だし。
キーワードは「駒」だったりして。考え過ぎだと思いますけど。
ではでは。