続きです。
さて今度は産土の神社です。私は福島県いわき市好間町で産まれました。不思議なことに産土神社も八坂神社です。私の母親は上好間の田代。同じく産土神社は八坂神社です。
好間町には古河好間炭鉱がありました。私が産まれた1964年までです。小さな町ですが小学校が4校もあったのです。大変栄えていた町でした。
しかし炭鉱が閉山してからはとんでもなく人口が減りまして、私の親父は自動車教習所でバイトしながらも新聞販売店を経営していましたが暮らしていけず、宮城県仙台市へ転居した訳です。
当然、産土神社である八坂神社も昔は祭りとなれば大変にぎやかで、屋台などが大勢でて大変賑わっていたそうですが現在では神職も常駐しておらず、近くの熊野神社の宮司が管理し、通いで祭事を行っている様です。
現在でも三匹獅子舞を行っています。っと言う事はこの地域も平家の落ち武者の町と言えます。鬼渡神社と呼ばれていた永井神社、そして弁天様である湯津疎佐姫を祀る御塚神社があるいわき市三和町、そして永井平九郎を祀る天栄村の御鍋神社も平家伝統の三匹獅子舞が伝わっています。そして私も平家の家系。福島県は平家の落ち武者が大勢逃げ込んだみたいですね。平将門の時代から。
敗れたら北へ逃れろ。だから敗北と言うらしいですが、何時の時代から敗北と言われるようになったのでしょ。源義経も北に逃れたし、伝承ではナガスネ彦、忍熊皇子、蜂子皇子も北に逃れた。東北は敗者に優しい。強いては蝦夷は敗者を匿う習性があるのか。これはまた何れ考えたいと思います。
話を八坂神社に戻します。
元々はやはり牛頭天皇と称していたそうですが、明治の神仏分離で八坂神社へ。そして大正時代になって大山神社を合祀しています。つまり祭神はスサノオ命と和多志神の別名を持つ大山祇神です。鬼渡神となります。
この社ですが大変気になる飾り彫りがあります。何と言ったら良いのでしょうか、えーと、そのう、あのですね、アメノウズメ命が猿田彦命と対峙した時の様に女の人が胸を露にして立っており、男が跪いてその胸を吸っているのです。これはチョットいやらしいです。
これは一体何を意味するのでしょうね。夫婦和合。安産でしょうか。私の母親は10人兄弟ですので、安産と夫婦和合に大変ご利益が有ったと言えなくも無いです。炭鉱が有ったと言う事は若い労働者の町と言えますので産めよ増やせよでこんな飾り彫りをしたのでしょうか。
でもスサノオ命が夫婦和合とか安産の神なのか。妻も子供も大勢いたからそうだと言えばそうなのでしょうけど、チョット変ですねぇー。道祖神なら納得なんですけど。
それよりも鬼渡神である大山祇神を合わせて祀っているのも興味が沸きます。大山祇神の孫娘である奇稲田姫とスサノオ命は結婚したので、両者は義理の祖父と孫の関係となります。
しかし、単純に考えれば地主神と渡来神の関係。つまり大山祇神一族ははスサノオ命に侵略されたとも考えられます。
そして大山祇神は娘の岩長姫をにコノハナサクヤ姫と共にニニギノ命へ嫁がせ、醜い岩長姫は返された。それを恥じて岩長姫は自害した。それで大山祇神は天皇家を呪っている。
つまり大山祇神は怨霊。それを征服者であり乱暴者であるスサノオ命が調伏する形で一緒に祀られたのでしょうか。案外、近かったからと言う理由かも知れませんけど。
まっ、そう言う事で産土神も氏神もスサノオ命であり鬼渡神だったと言うお話でした。これもまた因縁ですね。
ではでは。