諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

筑波の金色姫伝説(蚕影山神話)。そして天照大神。その2

2016年06月14日 23時33分51秒 | 神道

続きです。

この金色姫伝説ですが、私の故郷・福島県でも殆ど同じ伝説があります。「オシラサマ伝説」です。オシラサマと言うと岩手県が有名ですが、福島県にも有ります。岩手県のオシラサマとはストーリーが大分違いますが。

大まかに書きますと「昔、庄屋の娘に大変美しいオシラと言う娘がいた。庄屋はオシラのためにと思って後妻を迎えます。しかし、この後妻は誰にでも愛される美しいオシラに嫉妬します。そして数々の虐めを敢行。最後にはオシラを殺して庭に埋める。その埋めた場所から桑の木が生え蚕が集まった。庄屋の夢枕にオシラが現れ、あの蚕が繭を作る。それを糸にして反物を作って大儲けしてくんちと言った。オシラの言葉通り反物を作り、庄屋は大儲けした」と言う話です。諸説はありますが。

どうです。殆ど似ているでしょ。そして私の過去の記事を読んでいる人はピンと来ると思いますが、金色姫伝説も福島県のオシラサマ伝説も熊野権現である「五衰殿」のストーリーに酷似しています。一言で言いますと仏教的なアレンジが加わっています。これ、ちょっとしたヒントになると思います。

金色姫伝説に戻ります。金色姫の正体、そして多分同神である筑波の神の正体が気になります。

筑波山神社には「筑波男の大神・イザナギ命」、「筑波女の大神・イザナミ命」として祀られています。そうなると金色姫はイザナミ命。筑波の神はイザナギ命になるのか。

実は筑波山には元々は男神・女神として祀られていただけで、神の名前は記載されてなかった。そこで福島県人なら誰でも知っている会津の「徳一大師」によって勝手にイザナギ命・イザナミ命にされた様です。

面白い伝承があります。

ある祖神が旅をしてて富士山の神に一晩の宿を頼みます。そしたら富士の神は「今は新嘗の祭りの最中だからダメ」と断ります。祖神は「お前の親がこうして頼んでいるのに、泊まらせてくれぬとは。だからお前の山は夏でも霜が降って寒く、人が登らずお供え物する人がいないのだ」と泣きながら恨み言を言います。

次に祖神は筑波山に登って筑波の神に一晩泊めてくれと頼んだ。筑波の神は「今夜は新嘗祭の夜ではありますが、折角来てくださったのですから」とご馳走を用意して歓迎。祖神は大変喜び「可愛いな我が子よ、気高い神の宮よ。天地は、月日と共に人々は集まり、お供え物も途絶えず、ますます栄えるだろう」と歌って踊ったそうです。

富士の神がコノハナサクヤ姫だとしたら、祖神は大山祇神。そして筑波山の神はコノハナサクヤ姫の姉妹。大山祇神の娘である手名稚命、岩長姫、コノハナチル姫等々が考えられます。更に推理しますと男神と女神で筑波の神である事から、手長足長である手名稚命・足名稚命となるのでしょうか。

富士山の神が筑波山に登って神になったとの伝承もある。更には「筑波山に日神が降誕。その日神は伊勢へと向かった」との伝承もある。そして伊勢の太陽神は伊勢津彦命、猿田彦命、そして天照大神。

ここで注目なのはやはり天照大神です。金色姫の伝説は天照大神荒魂・瀬織津姫がモデルとされる五衰殿のストーリーと酷似している。オシラサマも瀬織津姫とされるので。

そして鹿島・筑波から東が高天原だったとしたら、やはり住んでいる天照大神に辿り着きます。筑波山の神は男女の天照大神ではないかと私は考えています。

これ以上は亦の機会に考えます。今回はこの辺で。

 

ではでは。

 

コメント (10)
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