諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

恒例の神輿渡りに参加した。

2017年10月16日 14時16分22秒 | 神道
10月15日日曜日、友人の神社の神輿渡りに参加した。今回から友人が宮司で音頭を取っている。親父さんが亡くなったので。

私が最初に友人の家に行った時、当時94歳のお爺さんも紫袴姿で宮司をしていた。親父さんは若々しかった。その親父さんが今年88歳で亡くなった。月日は速い。一つの神社で世代交代は続いている。

今年からは友人の時代になったが、跡取りも育っている。人はまるで神社の前を流れる川の様だ。

でもその川の流れも細くなっている。今年は神社関係者じゃない大人の男性参加者は私を含めたった4名。以前は大人男性で神輿を担いでいたのに、たった4名では神輿なんて無理。本当に少なくなった。

友人の神社は仙台の中心街でドーナッツ現象となり人口が減っている。今年は昨年まで参加していた高校生も出ない。神輿を担ぐのは中学生。それも女子が多い。これは流石に問題だ。どう見ても子供神輿だし。

本来、神輿は男子が担ぐのが好ましい。でもそうは言ってられなくなった。これも時代の流れなのでしょう。しょうがないんだな。

さて、昨年から獅子舞と太鼓部隊が合流した。塩釜芸者部隊も参加している。そうしないとお通夜の行列になりかねない。今の子供は中々声を出さないし。

ふざけて奇声を上げるのは困る。神輿に移された神に対して失礼だ。だから獅子舞・太鼓・芸者部隊の参加を要請したのだろう。お金かかっているのかなぁー。それもしょうがない。時代の流れか。

今回の私は幡持ち。昨年同様提灯持ちを頼まれたが、行き違いなのか提灯持ちの男性が二人いた。どちらも長身。提灯持ちは長身の方が映えるので、私は引き下がった。

代わりに幡持ちになったが今までの幡持ちは女性だった。男の私で良いのだろうか。

しかも幡は6基。3人しかいない。どうするのだ。「誰か幡持ってくださぁーい」と叫んで何とか集まったが、男は私1人。これで良いのかなぁー。

初めての幡持ちで疑問だったのが幡を掲げる位置。私は高く掲げるべきだと思ったが、女性たちは幡の棒が地面に付かない程度で持っている。私が持つ赤い幡だけ高い位置にあるのも締まらない。女性たちに合わせるしかないか。

それにしても今回の神輿渡りは女性と子供が中心。何で男性が少なくなったのだろう。そう思いながら幡を持ち歩いていたら、あの男が現れた。チョット知的障害がある武蔵丸だ(私が付けた渾名)。

武蔵丸は「今日、神輿があるのを〇〇が教えてくれなかった」と叫んでいる。彼は昨年も不参加だったが、提灯持って神輿渡り中にどっかに行ったり、女性の体を触ったりで声を掛けられなかったみたい。楽しみにしている様だけど、注意しても無理だし、しょうがないのだろうなぁー。

武蔵丸は至福の表情で大声を上げワッショイ、ワッショイ言っている。触るのはダメだけど、彼の純真さと言うかあどけなさは祭りには必要。実は何かあったのかと思っていたが、元気で何よりだ。早速女性に触っていたけど・・・・・・・。

今回は神社境内でドローンを飛ばして神輿渡りの風景を撮っていた。友人も色々考えているみたいだ。

来年はどうなる事やら。


ではでは。





コメント (2)
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