永井家宗家・永井直勝は代々藩主兼熊野神社の宮司の家系に生まれた。織田信長を初陣から7度退けたと言われる直勝の父、大浜藩主・長田重元もまた熊野神社の宮司をしていた。
織田信長は何度大浜をせめても完膚なまでに長田重元に敗れた。重元の留守を狙った事もあるが、それを察知した重元の策略でまた敗れた。その度に死者が出て大浜には成仏できぬ人魂が飛ぶ様になる。重元は敵味方関係なく遺体を供養した。それで人魂は消えた。
長田重元を信長は恨んでいただろう。人としても知略も重元の方が上。それを許す信長ではない。
月日は過ぎ、自分の娘婿である松平信康の小姓が長田重元の次男の直勝だった。もしかしたら信康の自害はそんなところも原因だったかも知れない。信長がナガスネ彦に繋がるのであれば、やはり敵対している血筋と言えよう。
長田重元と織田信長。死者を供養した重元と野晒しにした信長。この信仰心の違いがその後の双方の家系を左右した。永井直勝は良い父親に恵まれたと思う。
永井直勝の家系を遡ると天孫族である天穂日命へ繋がる。記紀では天穂日命は高天原から様子を見に出雲に降り立ったが、大国主と親交を持ち三年間も帰らなかった。それだけの存在とした。
しかし「出雲国造神賀詞」によると「地上の悪神を成敗する為に天照大神の命により降臨。子のアメノヒナドリと剣神・経津主と協力して地上を平定した」とあります。
ここで地上と言うと出雲を示していると思います。大国主と会っていたのですから。つまり出雲を征服したのは天穂日命。
天穂日命は天照大神の次男で素戔嗚尊とのウケヒにて産まれたとされています。記紀では素戔嗚尊とも関連が有る。それなのに出雲を征服した。
これは天穂日命は天照大神の次男とされているが実際は違う。素戔嗚尊も父親ではない。出雲を征服し、自分の家系を天照大神や素戔嗚尊に繋がるとでっち上げた。その方が支配しやすい。その関係でこの物語が創りだされたと考えます。
そうなると恐ろしいのは出雲の神々の祟り。嘘ででっち上げた罪悪感がある。祟られたくないから出雲の神々を祀る。
出雲大社を造営したのも天穂日命の血筋。出雲大社の出雲国造は天穂日命の家系の者がなる。出雲大社の宮司の千家・北島家も天穂日の子孫。祟りを永遠に封じる為に出雲の神々を祀り続ける。
数年前に天皇家の高円宮典子さんと出雲大社の宮司である千家の者が結婚したが、それは初代天皇である神武天皇が存在するのであれば、天穂日命が考えられるから。
天皇家も系列はあるかも知れないが天穂日命に繋がる。天皇家と出雲国造は同族。だから出雲国造の千家と婚姻したと考えます。もしかしたら共に出雲の神々の祟りを鎮める為に。
熊野神社に素戔嗚尊が祀られている。そして熊野権現は瀬織津姫と考えられている。
瀬織津姫は大和朝廷が発している名前であるが、元々は素戔嗚尊の前から出雲を支配していた者の一族、もしくは神と考えられる。つまり瀬織津姫はスサノオ尊に敗れた。
日本では古来から敗れた側の女王は征服者の妻になる。政略結婚である。その方が征服した地を統治しやすい。武田信玄が諏訪姫を側室にしたのもその為。
素戔嗚尊が戦った??相手、もしくは殺した相手は八岐大蛇、高天原の斑馬と機織の神である稚日女命。そしてウケヒで勝負した天照大神。この神々は素戔嗚尊よりも先にいた神々であるのは間違いない。つまり地主神。出雲の地主神である可能性がある。
そして出雲は素戔嗚尊が支配した。そして大国主にも繋がる可能性がある。そこに天穂日命が出雲に戦いを挑み出雲を平定。新たな支配者となった。
つまり素戔嗚尊までの出雲の神々を祀っているのか熊野神社。だからこそ天穂日命の家系であり出雲国造にも繋がる永井直勝の家系は、熊野神社の神職となり出雲の神々を祀り続けていたのではないでしょうか。祟りを恐れて。祟りとしか言えない不遇を認識して。
続く。
織田信長は何度大浜をせめても完膚なまでに長田重元に敗れた。重元の留守を狙った事もあるが、それを察知した重元の策略でまた敗れた。その度に死者が出て大浜には成仏できぬ人魂が飛ぶ様になる。重元は敵味方関係なく遺体を供養した。それで人魂は消えた。
長田重元を信長は恨んでいただろう。人としても知略も重元の方が上。それを許す信長ではない。
月日は過ぎ、自分の娘婿である松平信康の小姓が長田重元の次男の直勝だった。もしかしたら信康の自害はそんなところも原因だったかも知れない。信長がナガスネ彦に繋がるのであれば、やはり敵対している血筋と言えよう。
長田重元と織田信長。死者を供養した重元と野晒しにした信長。この信仰心の違いがその後の双方の家系を左右した。永井直勝は良い父親に恵まれたと思う。
永井直勝の家系を遡ると天孫族である天穂日命へ繋がる。記紀では天穂日命は高天原から様子を見に出雲に降り立ったが、大国主と親交を持ち三年間も帰らなかった。それだけの存在とした。
しかし「出雲国造神賀詞」によると「地上の悪神を成敗する為に天照大神の命により降臨。子のアメノヒナドリと剣神・経津主と協力して地上を平定した」とあります。
ここで地上と言うと出雲を示していると思います。大国主と会っていたのですから。つまり出雲を征服したのは天穂日命。
天穂日命は天照大神の次男で素戔嗚尊とのウケヒにて産まれたとされています。記紀では素戔嗚尊とも関連が有る。それなのに出雲を征服した。
これは天穂日命は天照大神の次男とされているが実際は違う。素戔嗚尊も父親ではない。出雲を征服し、自分の家系を天照大神や素戔嗚尊に繋がるとでっち上げた。その方が支配しやすい。その関係でこの物語が創りだされたと考えます。
そうなると恐ろしいのは出雲の神々の祟り。嘘ででっち上げた罪悪感がある。祟られたくないから出雲の神々を祀る。
出雲大社を造営したのも天穂日命の血筋。出雲大社の出雲国造は天穂日命の家系の者がなる。出雲大社の宮司の千家・北島家も天穂日の子孫。祟りを永遠に封じる為に出雲の神々を祀り続ける。
数年前に天皇家の高円宮典子さんと出雲大社の宮司である千家の者が結婚したが、それは初代天皇である神武天皇が存在するのであれば、天穂日命が考えられるから。
天皇家も系列はあるかも知れないが天穂日命に繋がる。天皇家と出雲国造は同族。だから出雲国造の千家と婚姻したと考えます。もしかしたら共に出雲の神々の祟りを鎮める為に。
熊野神社に素戔嗚尊が祀られている。そして熊野権現は瀬織津姫と考えられている。
瀬織津姫は大和朝廷が発している名前であるが、元々は素戔嗚尊の前から出雲を支配していた者の一族、もしくは神と考えられる。つまり瀬織津姫はスサノオ尊に敗れた。
日本では古来から敗れた側の女王は征服者の妻になる。政略結婚である。その方が征服した地を統治しやすい。武田信玄が諏訪姫を側室にしたのもその為。
素戔嗚尊が戦った??相手、もしくは殺した相手は八岐大蛇、高天原の斑馬と機織の神である稚日女命。そしてウケヒで勝負した天照大神。この神々は素戔嗚尊よりも先にいた神々であるのは間違いない。つまり地主神。出雲の地主神である可能性がある。
そして出雲は素戔嗚尊が支配した。そして大国主にも繋がる可能性がある。そこに天穂日命が出雲に戦いを挑み出雲を平定。新たな支配者となった。
つまり素戔嗚尊までの出雲の神々を祀っているのか熊野神社。だからこそ天穂日命の家系であり出雲国造にも繋がる永井直勝の家系は、熊野神社の神職となり出雲の神々を祀り続けていたのではないでしょうか。祟りを恐れて。祟りとしか言えない不遇を認識して。
続く。