諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

「もらいゲロ」のトラウマ。その1

2020年10月04日 19時33分48秒 | 人生
変な話ですが、私がクダラナイと思いながら書いた「オオバコダイエットの恐怖」が、多くの人に検索されている。複雑。こんなに読んでくれる人が多いなんて。嬉しいような、悲しいような。

でも、あの時、オオバコが原因だとは知らず、私は病気なのではないか。否、便秘だったのか。こんなに溜め込んでいたのか。私の身体の中はどうなっているのか等々、多方面で恐怖したもんです。

知らないと言う事は恐怖です。だから私は知りたい。少しの恐怖にも耐えられない。追究せずには居られないのです。

あれ以来、痩せるとは判っていてもオオバコは一切食していません。最悪を考えて生きる私の人生においては一生を左右しかねない。大変危険な魔薬ですので。

今回の話は、私のトラウマに付いてです。タダ単に私のメモリアルです。この話も本当にクダラナイ。タダ単に私が自分のトラウマを分析しただけの話。読んでいる奇特な人には何の役にも立たない。詰らない話です。

さて、私は子供の頃から車酔いが激しいです。正直、クルマは好きなのですが、クルマを運転するのは何となく嫌。それ以上に嫌なのは、人のクルマに乗る事です。

私は自分でクルマを運転しても体調の悪い時は酔います。すぐさまクルマを止められるスペースを探してクルマから降り蹲ります。最悪、吐きます。

慣れている自分のクルマを運転してもそうなるのですから、人のクルマに乗せて貰うのは無理。覿面に酔います。事実、8年ほど前に他人様の二代目トヨタ・セルシオに乗せていただきましたが酔っちゃいました。

丸森から仙台に帰る途中だったのですが来た。吐き気が来た。大事に乗られている本革仕様の高級車セルシオの中でゲロは吐けない。それで岩沼駅前で下ろして貰った。

暫く駅前の路上で蹲りゲロに耐える。恥ずかしいが、それどころではない。大変辛い。

でも、人目が気になる。私はゲロを吐く危険を押してベンチを探して歩き出す。ベンチを見つける。ベンチに座り、下を向いて40分位ゲロに耐えていました。

特にタクシーは無理です。タクシーに近付くだけで気分が悪くなります。タクシーのガス臭で酔います。クルマの芳香剤もダメ。車酔いのトラウマがあるから、その記憶を思い出させるモノはダメです。

そんな訳ですから、タクシーなんて乗りません。一番最後に乗ったのは確か33年前。布団を運ぶ為に仕方が無く乗っただけ。それでも300メートル足らずの距離です。

考えてみたら私の人生でタクシーに乗ったのは、記憶しているだけで3度程です。それほど車酔いが怖いのです。

事実、このブログを書いていて当時を思い出して気持ち悪くなっています。

そう言う訳で、一旦中断します。うっうぅぅぅぅ~、気持ちわりぃ~~~。


続く。




コメント (5)
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