続きます。
結論を書いている場合ではなかった。染殿神社ですから、主祭神である染殿姫命に付いて書かなくては。
伝承が残っています。
昔、高貴な衣装を着た妊婦がこの地にやって来た。村人に一夜の宿を所望。或る老夫婦の温情でお堂で夜を過ごす。そして産気付いて子供を産む。
その後、村人達が質素ながらも家を建てて、食事を運び子供はすくすくと成長。母親となった妊婦はお礼として手芸、文字、そして地元に生えていた刈安草を使った染物を伝授する。
二年後、子供も歩ける様になり、その女は都に子供を連れて帰る。
村人達は鮮やかな染物を教えてくれた女を神として信仰。その後、その女は文徳天皇の女御と知り、この地に染殿神社を建立した。
もう一つの話もあります。
高貴な衣装の妊婦がこの地にやって来る。お堂に住み着き子供を産む。お産で汚れた衣類を近くの沼で洗い(沼でお産をしたとの話も・・・)、沼は赤く染まった。故にその沼は赤沼と呼ばれる様になる。
村人は最初、警戒していたが、子供の愛らしさから女と親しくなり、色々と世話を焼いてくれる様になる。女はそれに感謝し、村人達に裁縫や染物を教える。
暫くして子供が歩ける様になり、女は子供を連れて都に帰った。
その後、この女は文徳天皇の女御・染殿姫で、文徳天皇に代わり蝦夷の地に敵情視察に来ていたと村人達は知り、恐れ慄き、この染殿神社を建立した。
以上です。
この二つの話ですが、私は嘘だと思います。大体、天皇の后が態々都から遠く離れた蝦夷の地に妊婦となりながらスパイに来る訳が無い。この話は祀っている神を暈す為の創り話で間違いないと思います。
だったら、その神は誰なのか。
染殿姫命は沼を出産で赤く染めた。そうなると赤沼大明神である大戸辺命・太苫辺命兄弟と染殿姫命は同神と考えられる。やはり赤沼大明神は男の兄弟神ではないと断言出来ます。
そして染殿姫命は豪華な衣装を着ていた。村人達に裁縫や染物を教えている。つまり織物の神でもある。しかも瀧の意味でもある垂水姫も祀られている。そうなると瀧神であり、織姫でもある瀬織津姫が浮かんで来ます。
続く。