諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

漫画「あしたのジョー」の矢吹丈は、ホセとの試合で亡くなっていると思う。

2020年10月12日 04時52分46秒 | 読書
急遽、こんな御題を書きます。私の考え方として。

私は宗教関係の分野を書いたりしていますが、一番重視するのは記紀や聖書等々の編集者・原作者の考えや立場、都合。

そしてやんごとなき事情で真実を語れないとしても原作者の性として、どこかに真実に繫がるヒントが隠されている。そこから推測して自分なりの解答を見出しています。

って言って偉そうな事を言いましたが、今回はタダ単純に漫画「あしたのジョー」の主人公である矢吹丈は、死んだかどうかに付いて考えたいと思います。

まっ、ストーリーは言いますまい。長くなるし、めんどくさいので。

タダ単に最後のホセ・メンドーサと戦い、灰のように白く燃え尽きた。それでジョーは死んだのか、生きているのか。それだけです。

あのラストは衝撃的です。ジョーは力石徹との試合で力石を殺した。そのトラウマで力石を死に至らしめたテンプルの打撃が出来なくなった。

そのトラウマをカーロス・リベラとの試合で克服した。

カーロス・リベラはチャンピオンであるホセ・メンドーサと戦い、一発のコークスクリューパンチでパンチドランカーの廃人となった。

ジョーもパンチドランカー症状となりながら、ホセ・メンドーサと戦う。再三苦戦しながら最後にホセを追い詰める。ホセは殴られても殴られても立ち向かってくるジョーに恐怖を覚え、一瞬で白髪になる。

勝敗はジョーの判定負け。ジョーは灰のように白く燃え尽きる。ジョーは生きているのか死んだのか不明で物語は完となる。

原作者の梶原一騎は、丹下段平に「ジョー、お前は試合では負けたが、喧嘩では勝ったんだな」とか言わせて完としたらしいです。

それに怒ったのが漫画を描いていた「ちばてつや」。

最後の展開は「ちばてつや」の発案。私は暈して終わるストーリーは嫌いですが、秀逸な終わり方だと思います。これだけで「あしたのジョー」は「ちばてつや」の漫画だと実感しています。

そこまでの試合をしたのだから、私としてはジョーには死んでいて欲しい。

ジョーは命をかけて戦い、全てを出し切って燃え尽きた。それは死を意味する。ジョーは死ななくてはならないと想うのです。

その点を作者はどう思うのか。

ジョーのモデルは宮城県出身のプロボクサー・斉藤清作です。彼も打たれても立ち向かうスタンスの試合を続けパンチドランカーとなり、ボクサーを引退。

同じ宮城県石巻市出身の由利徹に師事してコメディアンとなり、「たこ八郎」を名乗ります。

「たこ八郎」はタコなのに酒に酔って海で泳ぎ、溺れて44歳で死亡した。44歳。4+4で8。「たこ八郎」の8。

ジョーが生きていたら「たこ八郎」になってしまう。「たこ八郎」には悪いが、ジョーには「たこ八郎」にはなって欲しくない。

タコなのに海で溺れたと言う落ちで亡くなって欲しくはない。だからホセとの試合で亡くなっていて欲しいのです。

作者は暈したとしても答えはヒントとして残していると思います。そのヒントはタイトルの「あしたのジョー」でしょう。

「あしたのジョー」。ジョーの明日とは何か。

ジョーの明日は「たこ八郎」なのか。

明日は希望ではありますが、死に1日近付く事。全ての生き物の明日は死なのです。

ジョーの明日は試合で全てを出し切って灰の様に白く燃え尽きた。明日を全て使い切った。やはり原作者もジョーの明日は死であるとタイトルで語っている。私はそう捉えます

そう言う事で私は「ジョーは死んだ」と断言したいと思います。

「たこ八郎」には申し訳無いですが。


ではでは。



コメント (4)
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