諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

少女漫画「キャンディ・キャンディ」は、究極の聖婚ストーリーだったのでは。その1

2020年10月15日 09時11分29秒 | 読書
コメントをいただいている「みなみさん」のブログを覗いたら、少女漫画「キャンディ・キャンディ」の記事を書かれていました。

50過ぎの私としてはスルーすべきだと思ったのですが、誘惑に駆られて少々コメントしちゃいました。

しかし、コメント欄では十分な事が書けない。下手したら人様のブログを炎上させてしまう。そう危惧して私のブログで書く事にしました。よしなに。


どうですか、今回のお題。50を過ぎたオジサンの私がこんなお題で記事を書くなんて、どん引きしたでしょ。でも、引くのはまだ早いですよ。

子供の頃、「キャンディ・キャンディ」に憧れ、夢と希望を膨らませた純真な乙女心を今も持っている皆さん。これから私が書く記事は読んではいけません。綺麗な心のままだいたいなら、黙ってスルーしてください。とんでもない事を書こうと思っているので。

さて、私は活字中毒で、少しの時間も本を読んでいなければ気がすまない精神異常者です。若い頃は病的に少女漫画でさえも読んでいたのです。気持ち悪いでしょ。すみませんね。

今は漫画はあんまり読みません。老眼もあるし、読んでて苦痛です。今の漫画は大変詰らないので。

それに画風が受け付けない場合もある。人気漫画らしいですが、私、少年ジャンプに連載されているワンピースも読んでいません。絵を見ただけでイライラしてきます。やっぱり鬱病なんでしょうね。

あっ、「キャンディ・キャンディ」でしたね。

まっ、あえてストーリーは申しませんが、この漫画、伏線ばっかり貼って置きながら、その説明も無くストーリーは進み、ラストも暈して終了です。そんなの無いです。

でもね、作者の頭にはちゃんとストーリは有ります。だからこその伏線です。

しかし、伏線の説明は無かった。其れは少女漫画の域を超えている内容だからだと私は思います。何たって小中女生徒向けの清く正しい「なかよし」で連載されていましたから。

私がこれから書く内容だったら、「なかよし」では掲載されないと思います。禁断の内容が含まれてているので。

伏線を全て肯定し、ストーリーの出来事を偶然ではなく全て必然と言うか、仕組まれていたと考えれば、この禁断の解答に辿り着くのが自然だと思います。

それを証明するキーワードもストーリーには散りばめている。其れを曖昧な記憶からではありますが、説明していきたいと思います。

まっ、結論はタイトルに示していますけど・・・・・。


続く。


コメント (2)
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