続きます。
桃太郎が神であるなら、誰に該当するのか。
ヒントは父親殺し。そして母親に溺愛される。そうなるとあの神しかいません。応神天皇です。
歴代の天皇に置いて「神」を名乗る天皇は神武天皇、祟神天皇、そして応神天皇の3人だけ。
これは天皇家と称していますが、3つの系統がある事を示している。それぞれ、その初代である可能性がある。私はそう考えております。
だから天皇であっても本当の神である。そう演出するにはやはり聖婚のセオリーを踏む必要がある。
そうなると父親が邪魔になる。神は生まれる前からも神。父親は存在しない。
応神天皇の父親は仲哀天皇、母親は神功皇后ですが、仲哀天皇はただの人。神ではない。
仲哀天皇は熊襲との戦いで矢に当たって落命したとの話もありますが、記紀におていは祟られて亡くなったとされます。
その内容ですが熊襲征伐で筑紫へ行き、そこで妻の神功皇后が神懸りとなる。
神は神功皇后の口から「熊襲を攻めても意味は無い。我に田と船を捧げ新羅に渡れば、労せず金銀財宝を得ることが出来るだろう」と語る。
しかし、高い丘から海を見渡しても新羅は見えない。仲哀天皇は「この神は偽物」と疑う。
神は其れを察知し、仲哀天皇に対し「お前は新羅を手に入れられず、神功皇后の腹の子が国を得るだろう」と予言。翌年、仲哀天皇は熊襲の矢に当たり落命する。
古事記に置いては神功皇后が神懸りし、新羅を取れと神託。琴を弾きながら信託を聞いていた仲哀天皇は、この神は信用出来ないと琴の演奏を中断。神託を授けていた神は怒りだす。
側近の武内宿禰は恐れ慄き、仲哀天皇に琴の演奏を続ける様に諭す。仲哀天皇は渋々演奏を再開したが、暫くして琴の音が途絶えた。仲哀天皇は亡くなっていた。
こんな感じですかね。
仲哀天皇の父親は熊襲や蝦夷と戦った、悲運の英雄・日本武尊。
そして息子は側近の武内宿禰に討たれた忍熊皇子。当然、次期天皇の座を応神天皇に継承する為に、神功皇后が仕組んだと言える。因みに忍熊皇子は神功皇后の子ではない。
因みに忍熊皇子は武内宿禰に追われ、滋賀県の瀬田川、若しくは琵琶湖で入水自殺したとされていますが、実は生き延びて宮城県の花淵浜まで逃げて来て、洞窟で塩を造っていたとの話も伝わっています。
つまり、塩釜神社の本当の祭神は忍熊皇子。塩釜の隣の下馬には武内宿禰を祀った仁和多利神社が鎮座しておりますが、武内宿禰の日高見国の視察は忍熊皇子を追って来たとも考えられます。あくまでも伝説ですけど。
話を戻します。
応神天皇の本当の父親は武内宿禰との説も有るが、応神天皇は神として祀られている。父親が人間である武内宿禰の筈はない。
神功皇后は主に天照大神と住吉三神に守護されていた。神功皇后の三韓征伐は当然、海路を通る。
航海の指標になるのはオリオン座の三ツ星。航海の神である住吉三神はオリオン三ツ星の神格化と考えられる。
三韓征伐は神功皇后の腹の中にいた応神天皇が指揮をしたと言われる。
そう考えると応神天皇の父親は住吉三神。若しくは聖婚の考えから、応神天皇は住吉三神と同神とも考えられる。
続く。