諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

死に逝く者の特徴。

2020年11月25日 11時51分23秒 | 人生
私、「この人は近々に亡くなるだろうな」と思った事が何度かあります。

一人は整理記者の仕事を教えてくれたパートの上司。

当時、上司は60歳。岩手県出身。同じ東北人として私に目をかけてくれていた。

千葉県の海に2人でサヨリ釣りへ出かけた時、作って来ていただいたオニギリと漬物が、とんでもなくしょっぱかった。こんなの食える訳無いと思った程。

「東北人はしょっぱくないと食べた気にならんな」と言ってたけど、しょっぱ過ぎでしょ。呆れて彼を見ていたら彼の身体の輪郭が黒い点線の様に見えた。そして直ぐ赤い点線に変わった。切り取り線の様に見えた。

勿論、それは私の錯覚。一瞬、そう見えただけ。私は自分の目を疑っただけ。

しかし、その後、半年足らずで彼は亡くなった。脳梗塞だった。

当然、原因は塩分の採り過ぎ。本当にありえないしょっぱさだった。「そうなるわな」と思ったもんだが、あの赤い切り取り線の様な輪郭に引っかかっていた。

その他と言うと俳優の渡瀬恒彦。テレビで見る彼は白い霞がかかっている様に見えた。頭の回転も鈍い様に思えた。

女優の森光子にも其れを感じた事があるので、近々に亡くなるなと実感した。
やはりその後、直ぐに亡くなった。

死因は胆嚢の癌。どうも彼は自分の死を予見していた様に思える。それって良い事なのか。悪い事なのか。

コロナで亡くなった志村けんは、自分が亡くなるとは思っていなかったであろう。自分の人生を見つめる時間も無く亡くなったのだから。

私か脚立から落ちた時も死を考える余裕は無かった。落ちると思った瞬間、意識がシャットアウトした。床にぶつかった衝撃も覚えずに気を失った。

私は想った。これで亡くなったら事故死となるのだろうが、衝撃も無く意識がシャットダウンして亡くなるのであれば、案外、これは良い死に方なのではないかと。

死を覚悟して病院のベッドで死を待つ死に方は本当に辛い。自然死、病死、それが一番最悪な死に方じゃないのかと。

従兄は21歳で事故死したが、病死よりは良かったのではないか。余りにも短い一生だったが。

話を戻します。

私が近々に亡くなるとしたら、どんな感じになるのだろうか。

私の頭と心は自分の死を察知していない。しかし、細胞は察知しているとしていたなら、物欲・食欲等々、欲は無くなっていると想う。死ぬのが分かっていたのなら、欲望なんて無意味な事だから。

気力も低下しているだろう。否、正気を失っていると言った方が良いか。

頑張る気も起きない。近々に死ぬのが分かっているのだから、頑張っても仕方が無い。ずっと寝ていたい。

否、死ぬのが分かっていたら旅をして、色々見てみたい気になるのではないか。

否、それは死ぬまでにある程度時間がある者ならそう想うだろう。死の直前なら旅をしたいと言う気は起こらないと想える。もっと興味深い世界に行くのだから。

そうなると寝てばかりになる様に想える。

どうせ死ぬのだから食べても仕方が無い。食べる事は生きる事だが、死ぬ事が分かっているのだから食べても仕方が無い。なら、私の念願だったダイエットも成功するのではないか。

痩せる事は死である。身削ぎ、つまり禊なのだから。究極の最後の禊が死。それを前にしたら、何の成功も無意味。死の前にダイエットに成功しても意味無いか。

そんな風に考えると、私は自分の死を細胞が悟っている様な気がする。大金持ちを見ても何とも思わないし。

ってな事は嘘だ。大分減ってはいるが、まだ嫉妬の心が残っている。っと言う事は、まだ、もう少し生きられると言う事かな。

もし出来る事なら、自分に自分の姿を見て貰いたい。赤い点線が出ているか、白い霞がかかっているのか。

否、否、そんなのが見えても仕方ないか。

どうせ死ぬ時は死ぬのだから。


ではでは。


コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする