続きです。
私の鬱病は何時から発症したのか。それは私が注射恐怖症になったのが発端だと思えます。
私は4~5歳の頃、腎臓病で2~3週間ほど入院したことがあります。毎日、尻に太い注射を受けていました。でも、私は泣かなかった。注射に耐えられていた。
しかし、高校卒業時に学校で献血をすることになった。その瞬間、恐怖に震えだ。原因は1つしか思い浮かばない。2か月前に仲の良かった従兄が事故死していたのだ。
従兄は高校を卒業後、仙台の測量専門学校に通った。うちの新聞販売業を手伝って。そのせいかも知れないが留年した。2年かかって測量専門校を卒業した。
その10か月後、従兄は仕事中に事故死した。それ以降、私は注射器も見れなくなった。自分の血管も見れない。格闘技を見てもストレスを感じる。好みではない音楽でさえも鬱になる。注射恐怖症は従兄の事故死が関わっているのは間違いないと思う。
私は先生に聞いた。「私は18歳直前に仲が良かった従兄を事故死で亡くした。それ以来、注射が怖くてしょうがなくなった。やはり従兄の事故死が響いているのでしょうか」と。
先生は「そうだろうね。でもね、事故死は半分自殺だよ。人生を投げ出した感覚になっているから事故に遭遇するのだよ」と。
私は沈黙した。その通りだと思う。私も心が荒んだ時に何度も事故に遭っている。「死んでもいいかな」と思いながら事故に遭っている。確かに半分は自殺なのかも知れない。
実は私、10年前。両親共々高速道路の橋から崖にクルマで飛び込む寸前まで行ったことがある。
理由は他愛もない。大雨が降っていたので私は下道を通り帰ることを主張した。私はクルマの運転が下手だ。高速道路は走りたくない。その上、大雨だ。絶対下道を通るべきだと思った。
しかし、私の父親は絶対に私の反対の道を行く男。怒号を上げて高速道路に乗ることを主張した。私は折れた。
そしたら更に雨は激しくなった。暴風雨だ。正しくバケツの水を掛けられている感じだ。前が見えない。それで私は激怒した。「だから言っただろ。貴方の言う事は全て禍に繋がるのだ」と。
父親は怒気を強めて「運転を変れ」と絶叫した。大喧嘩となった。もう嫌だ。
死のう。橋から飛び降りよう。そしてクルマを橋のガードレールに突っ込んだ。そしてギリギリでハンドルを回し、衝突を回避した。
死のう。橋から飛び降りよう。そしてクルマを橋のガードレールに突っ込んだ。そしてギリギリでハンドルを回し、衝突を回避した。
あの時以来、家族とは旅行に行っていない。考えて見れは旅行の時は必ず大喧嘩となった。嫌な想い出しか残っていない。
もし、あの時、ギリギリで思い止まらなかったら死んでいた。警察は暴風雨でのハンドル操作の誤りとしての事故死判断となるだろう。
事故死の半分は自殺。その結論、或る部分は当たっていると私も思った。
続く。