続きです。
猿田彦尊を考える上で無視できない存在が有ります。沖縄の祖神と言えるサダル神です。杖をついた老婆の神です。
猿田彦命とサダル神。どちらも道案内の神です。そして「猿田」と「サダル」。語源が似ている。
猿田彦尊は男性器を示していると言いましたが、猿田彦尊の鼻の長さは110㎝もあるのです。流石に男性器が110cmあるとは思えない。
しかし、杖の長さだとしたら110cmはジャストな長さだと言える。猿田彦尊の鼻は男性器と杖。猿田彦尊の鼻は、どちらもそれを示していると思われます。
そう考えると疑問も出ます。猿田彦尊の源流は沖縄のサダル神と考えられるが、それだと猿田彦尊は女神になってしまう。
それは猿田彦尊の「猿」で説明ができると思います。
「猿」は「貝が大好物」との事です。そして猿田彦尊はアメノウズメ命に真珠をプレゼントしようとして、あこや貝に手を挟まれて溺死している。猿田彦尊は死んでいる。
アメノウズメ命は猿田彦尊と夫婦になった事から、「猿女(サルメ)」と呼ばれている。アメノウズメも猿なのである。
だったら志波彦神である阿須波神の妻神も志波彦神社に祀られてもおかしくないのでは。
実は志波彦神社に対し、二社の志波姫神社が存在しています。一社の祭神ま木花咲耶姫。もう一社の祭神はアメノウズメ命となります。
だとすると「木花咲耶姫=アメノウズメ命」なのか。
実は前出の元塩竃神社と言える鼻節神神社の祭神は猿田彦尊ではなく、木花咲耶姫だったことがあるのです。
この事例は今の時点では何とも言えませんが、アメノウズメ命も木花咲耶姫も瀬織津姫に被る女神です。カギは瀬織津姫が握っている感じがします。
それともう一つ。志波彦命が阿須波神であるなら、つの妻神の立場と考えられる波比岐神は塩竃のどこにいるのか。
波比岐神にも阿須波神同様、「波」の字が付く。津波をイメージする。
更には「岐」の字。岐神(クナト神)は黄泉の国から帰った伊弉諾尊の杖から産まれた。
波比岐神も「岐」の字から岐神の系統だと考えられる。そして猿田彦尊も岐神の系統。波比岐神も猿田彦尊とイメージが重なる。
塩竃はモレ一族を長とする蝦夷の土地。阿須波神が志波彦神であるなら、猿田彦尊であるなら、塩竃のどこかに波比岐神が祀られていてしかるべき。
実は波比岐神であると思われる女神が祀られている神社が塩竃神社の境外社として存在します。多賀城市の「荒脛巾(あらはばき)神社」です。
この荒脛巾神社の祭神は、塩土老翁(しおつちのおじ)と塩土老女です。私は「しおつちのろうじょ」では無く、「しおつちのおば」と呼ぶのだ思えます。
荒脛巾神社の祭神をこの二神に定めたのは、やはり伊達綱村の研究チームだと思えます。
蝦夷の信仰を集めていた荒脛巾神です。朝廷に蝦夷が支配され祭神の名が消された。或いは忘れ去られた。それで伊達綱村は塩竃神社同様、祭神を塩土老翁に定めた。その妻神として塩土老女を創造した。
「荒脛巾神(あらはばきかみ)」と「波比岐神(はひきかみ)」。発音が似ているでしょ。つまり、荒脛巾神社に祀られている塩土老女は波比岐神と考えられる。
以上の理由から私は、荒脛巾神社、そして志波彦神社、塩竃神社、そして鼻節神社、大根神社を含めて全て阿須波神・波比岐神の夫婦神を祀る鬼渡神社だと考えています。
今のところですけどね。
ではでは。
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