続きます。
前回、二つの問題点を書きました。菊理姫が古事記には出て来ない点と、大事な事なのに菊理姫がイザナギ命に伝えた囁きを書かなかった事です。
何故なのか。
古事記も日本書紀も古くからの伝承を編集した書です。編集者が伝承を選び、少なからず都合よく修正して編集している筈です。
場合によっては真実を曲げながらも真実に繋がる道筋を残している部分が有ると思います。
私も編集者をしていましたが、クライアント、主幹、世間に対して穏便に波風が立たないように修正して編集します。更には読ませる工夫もします。記紀の編集者もそうした筈です。
それでは先ず、日本書記で何故に菊理姫の囁きの内容を記載しなかったのか。
これってただ単に文章に読者を引き込もうとしたのではないでしょうか。
私のブログを読んでいれば分かると思うのですが、答えを引き延ばして「続く」で終わらせたりします。次の展開を期待させる為に。
ダブって同じことを書くのも煩わしい。菊理姫がイザナギ命に囁いた。その囁きを聞いてイザナギ命が行動を起こす。それだけの話。読者の興味を引かせただけの話。
ほら、今回の私の記事で「次回までに考えて」とか言って、答えを書かずに引き延ばしたでしょ。それと同じです。少年向け漫画の良くやる手です。この「引き」を日本書紀の編集者は行ったのです。
つまり菊理姫の囁きを聞いてイザナギ命はどう動いたかがキーポイントです。
イザナギ命は阿波岐原で禊をした。黄泉の国で穢れた衣類を脱ぎ捨てた。その穢れた衣類から船戸神や道俣神が生れた。最後にはイザナギ命が顔を洗い、天照大神、月読命、スサノオ命の三貴子が生まれた。
つまり菊理姫はイザナギ命に「阿波岐原で祓い清めの禊をすれば、黄泉の国での穢れが取れますよ。イザナミ命との縁も切れます。そして私たちよりも尊い三貴子の神々が生れます。万々歳ですよね」とか囁いたのではないでしょうか。
では、なぜ古事記では菊理姫が出て来ないのか。
大まかに言いますと古事記は天皇家一族向け、日本書紀は一般庶民向けの書です。この点にヒントが隠されていると思われます。
例えば天皇家ではお湯殿の上の女房と言われる者たちによる天皇の禊の儀式が有る。これっ、古事記が書かれる前か後かは分かりませんが、あえて菊理姫を出さなくても分かり切っていた可能性がある。
それと菊理姫の囁きによりイザナギ命が禊をした。その禊から天皇家の祖神である天照大神が生れた。それでは天照大神よりも菊理姫に信仰が集まる。それは天皇家にとって不味い。天皇家に迫害される。
菊理姫は黄泉の国の住人です。穢れた世界で生きている者です。そんな穢れた者の囁きで天照大神が生れ今の天皇家が有るとしたら、やっぱり大変不味いと思います。
私が古事記の編集者でも菊理姫は登場させないです。天皇家に恨まれたくないので。
古事記の編集者はそれを危惧していたと思われます。
最後に阿波岐原でイザナギ命の禊から生まれた神々は、黄泉の国の穢れだったと考えられる。これはどう言う事か。
極論を言わせて貰いますと全員穢れた神々。つまり天照大神も含めて国津神だと言えます。
国津神・天照大神を天岩戸に隠れさせ、出てきた事で天津神に変身させたのだと考えます。
まっ、こんな所です。
実はまだまだ菊理姫の囁きについて色々と考えられるのですが、今回は記紀の編集者の気持ちになって考えてみました。案外、こんな感じが正解かも知れません。
また考えが練れたら書きたいと思います。
ではでは。
前回、二つの問題点を書きました。菊理姫が古事記には出て来ない点と、大事な事なのに菊理姫がイザナギ命に伝えた囁きを書かなかった事です。
何故なのか。
古事記も日本書紀も古くからの伝承を編集した書です。編集者が伝承を選び、少なからず都合よく修正して編集している筈です。
場合によっては真実を曲げながらも真実に繋がる道筋を残している部分が有ると思います。
私も編集者をしていましたが、クライアント、主幹、世間に対して穏便に波風が立たないように修正して編集します。更には読ませる工夫もします。記紀の編集者もそうした筈です。
それでは先ず、日本書記で何故に菊理姫の囁きの内容を記載しなかったのか。
これってただ単に文章に読者を引き込もうとしたのではないでしょうか。
私のブログを読んでいれば分かると思うのですが、答えを引き延ばして「続く」で終わらせたりします。次の展開を期待させる為に。
ダブって同じことを書くのも煩わしい。菊理姫がイザナギ命に囁いた。その囁きを聞いてイザナギ命が行動を起こす。それだけの話。読者の興味を引かせただけの話。
ほら、今回の私の記事で「次回までに考えて」とか言って、答えを書かずに引き延ばしたでしょ。それと同じです。少年向け漫画の良くやる手です。この「引き」を日本書紀の編集者は行ったのです。
つまり菊理姫の囁きを聞いてイザナギ命はどう動いたかがキーポイントです。
イザナギ命は阿波岐原で禊をした。黄泉の国で穢れた衣類を脱ぎ捨てた。その穢れた衣類から船戸神や道俣神が生れた。最後にはイザナギ命が顔を洗い、天照大神、月読命、スサノオ命の三貴子が生まれた。
つまり菊理姫はイザナギ命に「阿波岐原で祓い清めの禊をすれば、黄泉の国での穢れが取れますよ。イザナミ命との縁も切れます。そして私たちよりも尊い三貴子の神々が生れます。万々歳ですよね」とか囁いたのではないでしょうか。
では、なぜ古事記では菊理姫が出て来ないのか。
大まかに言いますと古事記は天皇家一族向け、日本書紀は一般庶民向けの書です。この点にヒントが隠されていると思われます。
例えば天皇家ではお湯殿の上の女房と言われる者たちによる天皇の禊の儀式が有る。これっ、古事記が書かれる前か後かは分かりませんが、あえて菊理姫を出さなくても分かり切っていた可能性がある。
それと菊理姫の囁きによりイザナギ命が禊をした。その禊から天皇家の祖神である天照大神が生れた。それでは天照大神よりも菊理姫に信仰が集まる。それは天皇家にとって不味い。天皇家に迫害される。
菊理姫は黄泉の国の住人です。穢れた世界で生きている者です。そんな穢れた者の囁きで天照大神が生れ今の天皇家が有るとしたら、やっぱり大変不味いと思います。
私が古事記の編集者でも菊理姫は登場させないです。天皇家に恨まれたくないので。
古事記の編集者はそれを危惧していたと思われます。
最後に阿波岐原でイザナギ命の禊から生まれた神々は、黄泉の国の穢れだったと考えられる。これはどう言う事か。
極論を言わせて貰いますと全員穢れた神々。つまり天照大神も含めて国津神だと言えます。
国津神・天照大神を天岩戸に隠れさせ、出てきた事で天津神に変身させたのだと考えます。
まっ、こんな所です。
実はまだまだ菊理姫の囁きについて色々と考えられるのですが、今回は記紀の編集者の気持ちになって考えてみました。案外、こんな感じが正解かも知れません。
また考えが練れたら書きたいと思います。
ではでは。
日本書紀は国史として編纂されたので、まあ出来る限り正確な伝承を書かねばまずい。もし中国から役人が来て各地の日本の伝承をあれこれ調べられて、菊理姫のことをつつかれたら、伝承にこの神は載ってないじゃないかと言われて恥をかいてしまう。だからとりあえずは登場だけさせておいた。これは別天津神、神世七代の神々も同じでしょう。当時それくらい存在感のある神であったことは否定できないと思います。それなのに別天津神や、神世七代には入っていない。出自は言いたくない天皇家が入ってくる以前に勢力をふるっていた渡来系だからでしょうか。菊理姫が根城としている白山はつまり現天皇家以前の天皇家(白王)だったのでしょう。
存在を消すわけにはいかなかった理由として全国に点在する白山神社の数です。稲荷白山八幡と言われるほどの数ですね。現天皇家が根絶やしにしたくてもできないほどの勢力だったであろうことは想像が付きます。
で、何と言ったのか・・・?
今までの妄想から膨らませるに
「あんた、あんなヒステリーとは別れなさいよ」
菊理姫とは逆に古事記にのみ出て来る伊豆能女が気になり、そこから菊理姫の事が分からないかと考えました。
伊豆能女を祀る神社は以前、出雲に有ったとの事ですが、今ではどこにも存在しない。全国に広がった白山信仰と消えた、或いは広まらなかった伊豆能女の信仰に何か違いがあったのだと思います。
伊豆能女は呼び捨て。命や神と呼ばれていない。
禍津日神を調伏する為に直日神と共に生まれたのに神ではない。
菊理姫は禍津日神である瀬織津姫との説が有りますが、その信仰と相反する為に消されたのかとも考えましたが、案外同同神で蔑称だったから消されたのかも知れません。
「あんた、あんなヒステリーとは別れなさいよ」
私もそれだと思います。阿波岐原での禊はイザナミ命との決別。それを菊理姫はイザナギ命に指示したと思います。
ほとんど注目しませんでしたが出口王仁三郎氏が大事にされた神さまでしたね。
古事記原文には一応、神が付いてるようです。
・・・次爲直其禍而所成神名、神直毘神毘字以音、下效此、次大直毘神、次伊豆能賣神
せおりつひめは昔からなぜか熱烈なファンが多くてなにかしらすべての女性神を結び付けるところがありますね。不思議です。
あらっ、神の字が付いていましたか。何故、命、神と呼ばれないのかと言う本を読んで、書いていないものと信じ込んでおりました。失礼しました。
岩手県に伊豆神社がありますが、祭神は瀬織津姫です。伊豆権現は瀬織津姫とされています。そして伊豆佐比売である三島溝咋姫もそうだと考えています。伊豆繋がりで伊豆能売もそうかなと思えます。
瀬織津姫はアイヌ語で訳せますが、大祓祝詞に登場させるために地主神の総称として考えられたと思います。
自称・瀬織津姫は多く存在します。トップを走る子宮系教祖は年収2億円らしいです。凄い人気です。正直、呆れます。
セオリを韓国語に置き換えたら세 오리となります。
それをさらに日本語に変換したら「三鴨」とでました。ひょっとしたら単なる「三鴨氏の神」かもしれませんが・・・・でも三鴨という氏族は聞いたことがありません。あるいは埋没させられたか?
三途の川にいる奪衣婆に通ずる神として、この世とあの世の境目に立ち、この世の穢れや未練を剝ぎ取る、非常に興味深い神でございます。
瀬織津姫を祀る九州の速川神社では、セオリツ姫ではなくショウリツ姫と発音しています。「ショウ」の地名は東北で多く残っていますが、アイヌ語で「滝」の意味です。そうなると「滝で毛皮を剥ぐ姫」と略せます。
大将軍神社にも瀬織津姫が祀られていますが、ここの「将」も元々は「滝」だったかも知れません。
瀬織津姫が弁才天であるなら、弁才天は元々呪いの神。呪いで敵を倒す。つまり戦いの神。そう考えると、大将軍と変わっていったのも十分あり得ると思います。