続きです。
大杉神社が鎮座する阿波は霞ヶ浦の西浦、利根川流域の低地に突き出た半島に鎮座しています。半島と言いますとアイヌ語で「イズ」。つまり伊豆は半島の意味。そして人の体では鼻を指します。
鼻と言いますと天狗。そして猿田彦命。常陸坊海尊も天狗とされているが、猿田彦命への信仰をカムフラージュする為に常陸坊海尊を出してきたのかも知れません。
大杉神社の創建は767年に勝道と言う僧が大杉を依り代として三輪明神を迎え、数々の奇跡で人々を救った事から始まり、「悪魔ばらえのアンバサマ」と呼ばれる様になった。特に疫病に効果があるみたいです。
大杉が御神体と考えられますが、実際は勝道が彫った「霊神不動尊」が御神体だそうです。そして高丸とされる悪路王の降伏を祈願してます。悪魔は蝦夷なんですかね。
ここで島の坊(とうせん坊)と常陸坊海尊を比べてみます。
常陸坊海尊は源義経に従い平泉へ逃亡。奥州藤原氏四代・藤原秦衡の裏切りにより義経や弁慶は討たれた。その時、海孫は10人程度の徒を連れて、どこぞの山寺に参拝に出かけていた。それだ助かった。
それが地元では不人気に繋がります。逃げたとか、裏切って敵に通報し自分だけは助かったとか、ボロボロの嫌われようです。
そして海尊は修験者。弁慶の弟分と伝えられているから、それなりに強いと思います。それに衣川の乱の後、ニンカンとか言う赤い羊羹みたいなものを食べて不老不死になった。
島の坊は一本歯の高下駄を履いていたから修験者の特徴がある。観音様に祈祷し超人的な力を得た。地元の人間ではない。嫌われていた。東尋坊まで逃げて行った等々。
どうも島の坊のモデルは常陸坊海尊の可能性は少なからずあると思えます。この二人は似ています。海尊は不老不死で死ななかったですが。
次に永井平九郎と比べます。永井平九郎は平将門公の家来、または息子。出身は千葉県の下総国、もしくは茨城県の常陸国と考えます。そして藤原秀郷、平貞盛の軍勢に追われ、桔梗姫と一緒に福島県の天栄村まで逃げて来た。
家来の永井平九郎は平将門公に対し諫言したと言われてます。平将門公の影武者は7人いたとされてますが、諫言する程の者であるなら、或る程度の実力者と考えられます。
平将門公の息子の場合でも鉄人とされる平将門公です。強い人物と思われたと考えます。
そして永井平九郎は御鍋神社側の平九郎谷に埋葬された。または端午の節句の時に炊飯の煙が敵に見つかり、一族は全滅したとも伝えられている。殺されいる。
そう考えると島の坊と永井平九郎は似ていますね。どちらも御鍋を背負っていますし。
続く。
海尊は弁慶の弟分として書かれていますが、実際は仲が悪かったらしいです。弁慶が海尊を虐めていたらしいです。
元々、海尊と弁慶は宗派が違います。戦っていた時代もあったとか。弁慶の宗派が勝ったそうです。
出雲っぽいですね、今ペトラはお水流れてきて大変みたいです。
でびっくりしたのが杉のお社があったんです。月と日の精霊を産んだんだったかな?そこにどうしても行きたくて行ってきました。
で別件で探していた物に近い物を探していたんです。そしたらまたそこの場所たどって調べたら杉あるんですよ。
頼朝も流されて知識を得た中にあんばさまもありそうですよね。政子さんはまたそれが露骨ですし、東北にも色々関わりますね。
海尊は弁慶の弟子だったんですね。色々と気になる所が繋がります。
山は水神パワーもよく理解しているでしょうね。
そこに感謝して行きたいですね。4167
私は出雲は「伊豆喪」で伊豆の一族の喪に服す場所と考えていますが、アイヌ語で出雲を訳すと「小さな半島」となります。当らずも遠からずでと思っています。
須賀川は下流から川に沿って弥生土器文化が進行しています。多分、生食の文化がある一族が遡っていったと思います。縄文人はどんな食べ物も煮て食べていたので。会津の馬刺しのその一族の文化なのでしょう。
本当は海に出たいと考えていた筈ですが、争いを好まない一族だった。若しくは逃げてきたのでしょう。
その一族は安曇族で間違いないですが、安曇の地名が残る場所は蕎麦が名産です。
出雲蕎麦、信州蕎麦、会津蕎麦、盛岡蕎麦、そして江戸蕎麦。安曇族は蕎麦好きだったのでしょうね。
スカっていうのも地形からの音だとしたら砂洲みたいな地形じゃないかなと思ってまして。アイヌ語で砂洲はどんな音なのか?気になってます。
ア+スカならばスカの好きな民族としては安曇ですし。ア+というのは私が追ってる巫女の民族でもありますし。飛鳥とか明日香とか阿須賀とかもアスワっていうのも気になりますね。阿修羅もそもそもアスラから来てたらイソラの良とか羅としても同じ。結構イケメン家系だったりして。
アスワも足羽やア+スワなので諏訪も安曇だったらまた凄くなりますね。専門家の今後の記事楽しみにしております。
話はそれましたが、今一番気になっているのが須賀川なんです。スカですからね。おまけに地形でみたら磐梯山系からの山からの流れで出来た地形とも思われます。また桑とか養蚕関連の場所でもありそうです。ひょっとして奈良の明日香と関係あるんでは?とも。福島相当大事な場所のようですね。そうそう馬刺定食もやはりありましたよ。鎌足も奈良でお母さんだかが関わるようでしたけどなぜか須賀川にも。朝廷が出来る前の日本の中心はもしかして福島?と今本気で思い初めてます。間違っても誰も賛成しないので安心の妄想です。ナマ食文化と、下味文化と言いますか料理も美味しい。
アイヌの方は地形に興味があったのであればかなりの知識を持てたはずです。太陽、水、潮の流れ等も。今回飛鳥明神さんのいる南千住の4号を松尾芭蕉のように移動してみて思う事。地形が全てです。太陽の動きと山(古代の半島)の場所は変わりません。おそらく動力はない時代なのですいうんで4号を移動していたのでは?と思います。
青森だったか岩手だったかでも奈良時代からの痕跡もありそうですよ。
以前行ったキリストの墓の新郷村もひょっとして奈良時代ちょい前の痕跡なのかなあ?と思ってみています。そして長慶天皇や南朝の関係と称しての伝説もそのくらい遡るのでは?とも。どうしても残したかった方々がいるのは確かですね。
そうびっくりしたのが鎌足と道真のお二人の名前が並んであった所がありました。鎌足は小野系だとは思っていましたけど福島にそれがある事にびっくりです。桑系があるので秦氏も関わっているだろうし。当時このお二人のタッグがみたかったなあと思ってます。子孫の方々現世での実現宜しくお願いいたします。その結果過去変わってくるといいですね。埴山姫と稲田姫も結構いるんですね、東北にも。
4号と高速は太陽の道で、太陽の動きで地名も出来ているようにも感じました。また大事な山は、安達太良山、岩手山でしょうね。太平洋側もかなり気になりましたが風を抑えてくれるのはこちらの方ですね。その突端に島状のこんもり山があれば神社か寺があるだろう探すと遺跡とかもありました。見晴らしを考えるとないわけないのないなら移動しちゃったのかな?とも。蔵王含めかなり大事な山たちが日本歴史を見ているんだろうなあと思いましたよ。
綱永井さんが福島との縁も持っている事でさらにびっくりですし、永井氏もおそらく大事な一族なのも薄々感じます。
法道さんもやたら縁が出てしまう方で杉との関係も日光で理解できます。確か日光の裏の古峯神社も報道さんだったかな?須賀川あたりも古峯神社が結構ありましたね。修験道も相当福島東北あたりで大事なキーワードなのは確かです。
山が土地を作る、豊かさを作る。そして海が人間の食べ物や栄養を与える。山と海の共存が素敵。
その知識を後世に受け継がせないといけませんね。アイヌなら自然と受け継がれていたでしょうね。
イズ+モって半島+モって何でしょうね。半島+毛だと沖縄の万座毛ですけど。私行きたいところは草千里。大阪にもあるそうな地名でもある。毛は草ですから雲ではない。雲は太陽遮るし、草にも太陽光線遮ると成長しないはず。雲にしたらうまく隠れてしまう一族がいるならありのままになるといいのに。
永井家はその一族の素質ありそうに思います。
1898、4769
安積って地名もアズミと読まないけど気になりました。