迷走しながら続いています。
戦国時代、キリスト教国は日本にも侵略を開始しました。
先ずは魔王・織田信長の馬鹿を金平糖で調略。キリスト教布教の承認を得る。
っとは言え、日本の民衆はキリスト教は理解できない。それで仏教布教時に神仏習合させた手法を用いた。
仏教は天照大神を大日如来であるとしたが、キリスト教ではデウスを大日如来であるとした。
勿論、大嘘。仏教もキリスト教も大嘘を付いて布教活動を行った。
結果、キリスト教は多くの民衆に受け入れられた。キリシタン大名まで現れた。そしてキリスト教国は日本侵略活動を開始した。
稀代の悪党である高山右近らキリシタン大名は、キリスト教国の走狗となることを望んだ。
先ずは神社仏閣を打ち壊し、僧侶や神職達を異教の悪魔として殺戮した。
キリスト教に帰依しない者をも迫害。殺害の対象とした。更には50万人とも言われる日本人女性を奴隷としてキリスト教国に売り払った。
それで得た金でキリシタン大名は火薬を購入。日本をキリスト教国の植民地にすべく戦の準備をし始める。そして勝利の暁には、自分が植民地となった日本の国主になることを望んだ。
それに気が付いた豊臣秀吉や徳川家康は、伴天連追放令を出した。
日本の植民地化を防ぐ為に、キリシタンに帰依した者達を踏み絵で改宗させた。そして幕府とキリシタンとの戦いが始まった。
その最も大きな戦いと言えるのは長崎の島原の乱です。天草四郎率いる3万7千の兵が幕府軍と対峙した。
結果、主導者の天草四郎を含め、3万7千人のキリシタン側の兵は全滅した。
それでも長崎には隠れキリシタンとして、多くのキリシタンが定住していた。
キリシタン達は徒党を組んでヤクザの様に一般民衆を攻撃し続けた。それが第二次世界大戦中まで続いた。
長崎の市民たちはキリシタン住民からの暴力から逃れる為に、長崎の街を山を分岐点に一般住民の街とキリシタン住民の街に分けた。
キリシタン住民側はキリシタンである証明を玄関先に飾った。対立は続いたままだった。
そこに第二次世界大戦で原爆を積んだB29が長崎に飛んで来た。強い風と火災による煙で視界不良となり、急遽、原爆投下を北九州小倉から長崎に変更したため、原爆の投下地点の判断に苦慮していた。
二機編隊のB29の一機がエンジントラブルとなった。風が強く機体を長崎市上空に留める事が困難となった。
そして闇雲に原爆を投下した。
その投下した場所は長崎のキリスト教の街の中心である教会の真上だった。
原爆投下で亡くなったのは大半がキリスト教信者だった。長崎の一般市民は山が盾となって原爆の爆風が遮られ無事だった。放射能の影響も少なかった。
この話をエホバの証人の幹部の男に話した。幹部は初めて動揺した。そして
「そんな話は聞いたことが無いです。嘘だと思います」と返答。
私は「信じられないと思いますが、事実です。キリスト教国が日本のキリスト教信者を原爆で殺したのです。原爆を投下したB29のクルーもキリスト教信者の筈です。こんな不条理なことはありますか。それでも貴方はキリスト教が信じられますか。エホバの証人の信者を続けられますか」と幹部に聞いた。
幹部は暫し答えられず、「真実かどうか調べて来ます」と言って、私の家から去った。
そして数日後、幹部は私の家にやって来て「貴方の話は全て真実でした」と告げた。それを伝えただけで去った。それ以来、私の家にはエホバの証人は来なくなった。
それから数年後、ドン・キホーテの店内でその幹部と妻と思える女性と出くわした。2人とも優しさのオーラが出ていた。
私の話を真実と認めてもエホバの証人の信者は続けているのだろう。
本人達がそれを望み、それで幸せを感じているのであれば、それで良いと思う。
しかし、人にはそれぞれの心の物差しががある。物差しの目盛りを他人が変えるべきではない。
人はそれぞれの心の物差しの目盛りで物事を判断し生きて行く。それが自然だと思う。
続く。
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