続きます。
さて、火の神が釜神・竈神だとして、山姥との関係はどうなるのか。
釜神は夫婦の神である。興津彦神・興津姫神となる。だとしたら山姥は釜神・興津姫神となるのか。
でも、山姥が釜神であるのなら、釜の中で炊き殺されるのはおかしい。違うと思う。
そこで思い出した。火の神を滑稽に貶めた存在を。
それは「ひょっとこ」。「ひょっとこ」の意味は「火男」。竈神と同神とされている。
その証拠になるかは分からんが、「ひょっとこ」は「口から息を吹きかける顔」をしている。
火の勢いを付けるには風が必要。だから「ひょっとこ」は火の神になるのではないか。
そう考えると山姥の正体はただ一人。
「ひょっとこ」と言えば「おかめ」。山姥は「おかめ」ではないのか。
「おかめ」は「お亀」と書く。でも違うのではないか。本当は「お瓶」ではないのか。
山姥は水場に醤油を取りに行っている。水場には水を貯めている水瓶がある筈。台所は水と火がある場所。水瓶と竈があって台所となる。
「おかめ」が「お瓶」である証拠になるかは分からないが、「おかめ」は口を半開きにして「ゆだれ」を垂らしている。「ゆだれ=水」と考えれば、「おかめ=お瓶」が成り立つ。
「ひょっとこ=火男・火の神」であるなら、「おかめ=水の女・水神」と考えられる。
そうなると「山姥=おかめ=お瓶=水の女・水神=瀬織津姫」に繋がってくる。
山姥は牛方によって釜の中で炊き殺された。釜の中には水が入れられる。その点からも山姥は水神・瀬織津姫と考えられます。
続く。
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