諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

瀬織津姫が青麻神社に祀られているとされる理由。熊野権現が瀬織津姫だとされる理由。その5

2023年02月25日 11時22分08秒 | 瀬織津姫
続きです。そろそろ本題です。

青麻神社に行けば分かるのですが、見るからに水神を祀った神社だと言う事が分かります。しかし、水神は御井神だけ。

否、七福神も祀っているので当然、弁才天も入っています。弁才天は仏教を浸透させる為に神道の水神に寄った存在と言えるので、「御井神=弁才天」と考えても間違いではないでしょう。

っと言っても太陽、月、星の三光信仰の総本山である青麻神社なのです。太陽、月、星と瀬織津姫は関連があるのか。

瀬織津姫は天照大神荒魂と言われる禍津日神と同神とされている。

古代の月読尊は女神だったと伝えられている。

そして星は瀬織津姫が祀られている神社に多く見られる北斗七星と太陽を示した神紋・九曜紋にヒントが隠されている。

これらを説明すると大変長くなるので今回は避けますが、一つだけ言わせてもらえば青麻神社の神紋は麻の葉です。それをあえて星の輝きに似せてデザインされている。

星はその輝きの低さから太陽や月に比べて下に見られる。それでもオリオン三ツ星は船の位置を見定める航海の星と言える。

青麻神社の駐車場には藁で造った小舟が放置??されていますが、この藁の小舟にヒントが隠されています。

青麻神社の創建には航海に秀でていた穂積氏が関わったとされています。

そして穂積氏はこの地に三光信仰を伝え、地域民に大麻の栽培法を教えた。だから青麻神社なのです。

そして穂積氏は海運を生業にしていた。

700年代に持統天皇の孫である女性天皇の元正天皇が蝦夷討伐を目的に、熊野権現の分霊を海路から蝦夷の地に運んだ。運んだのは青麻神社を建立した穂積氏。

上陸した地は唐桑半島。その上陸した地を熊野権現分霊の仮置き場とした。

その地には舞根神社、またの名を瀬織津姫神社が建立されている。更に熊野権現分霊は室根山の室根神社に運ばれています。

っと言う事で、「熊野権現=瀬織津姫」の関係が成り立ちます。

そして熊野権現分霊を運んだのは青麻神社を建立した穂積氏。藁の小舟はその証明と考えられる。

そして大麻。神宮大麻の名が残っていますが、大麻は古来から穢れを祓う神道の大切なアイテム。

そして瀬織津姫は祓戸の神。祓い清めの女神。大麻も瀬織津姫との関連が考えられると思います。

ここで重要なのは瀬織津姫によって蝦夷を討伐したのかと言う事。

Y氏はそう考えていましたが、神道の根本を考えれば違うと言えます。

神道には受代苦の考えがあります。神が罪を犯しその罰を受ける。つまり自分たちの蝦夷討伐の罪を瀬織津姫に被って貰いたい。更には自分たちの罪を祓って貰いたい。

そしてもう一つ、蝦夷を討伐するという罪、そして祟りを恐れて敵である蝦夷が信仰している神を丁重に祀る考えが神道にはあります。

この二つの考えから熊野権現分霊が室根神社まで運ばれたと私は確信しています。

瀬織津姫と思われる熊野権現分霊を穂積氏が運んだ。その穂積氏は青麻神社を建立した。青麻神社は水に囲まれている。川が流れ瀧もある。水神である御井神や弁才天も祀られている。

それらの点から青麻神社には瀬織津姫が祀られている可能性が高い。

そう言える思います。


ではでは。











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