諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

瓜子姫も天邪鬼もモデルは瀬織津姫ではないのか。その1

2022年07月05日 14時32分27秒 | 瀬織津姫
何でもかんでも瀬織津姫にする訳ではないですけどね。

第一、私、瀬織津姫は大歳神の妻神である天知迦流美豆姫だと思っています。そして天照大神も。

さて、今回の御話をする上で避けて通れない昔話があります。本来の桃太郎の話です。この瓜子姫の話も桃太郎のストーリーと大変酷似しているのです。前半だけですが。

本来の桃太郎の話を簡単にお話しします。

或る所にお爺さんとお婆さんが住んでいた。お爺さんは山に柴刈りに、お婆さんは川に洗濯に出ていた。

お婆さんが川で洗濯をしていると大きな桃が流れてきた。お婆さんはそれを拾って、家に持ち帰りお爺さんと一緒に食べた。

そしたらあら不思議、お爺さんとお婆さんは若返った。そして愛し合い桃太郎が産まれた。

桃太郎はすくすくと良い男に成長。若返ったお婆さんは実の子である桃太郎を男として愛するようになる。桃太郎も同様。そうなるとお爺さんが邪魔になる。

お婆さんと桃太郎はお爺さんの殺害を計画するも、お爺さんは山の神に守られている。簡単には殺すことは出来ない。

そこでお婆さんと桃太郎はお爺さんに呪いをかけた。それが上手く行ってお爺さんは死んだ。

邪魔者のお爺さんが死んで、お婆さんと桃太郎は夫婦になって幸せに暮らしたとさ。目出度し、目出度し。

まっ、こんな感じです。

こんな話、子供には聞かせられないですね。それで明治時代の初期に現在のストーリーに変えられたそうです。この世の中、嘘が多いのです。

この本来の桃太郎のお話ですが、これっ、悪路王と立烏帽子の話とも似ています。

その昔、鈴鹿峠から東は蝦夷の地でした。この鈴鹿峠には蝦夷の王・悪路王とその妻である立烏帽子が支配していた。そこに朝廷の命で坂上田村麻呂が進軍してきた。

立烏帽子と坂上田村麻呂は戦う。戦っているうちに立烏帽子は田村麻呂の事が好きになる。

立烏帽子は田村麻呂に味方し、夫である悪路王を田村麻呂と一緒に攻めて悪路王を倒した。

これらの話は小説と言えるのかも知れませんが、この立烏帽子は瀬織津姫がモデルとされています。鈴鹿御前と坂上田村麻呂の話でも鈴鹿御前は瀬織津姫がモデルとされている。

そして鈴鹿峠は古来、阿須波道と呼ばれていた。鬼渡神の阿須波神の名前を冠していた。そうなると瀬織津姫は阿須波神と対で祀られている波比岐神ではないか。

それに坂上田村麻呂は多くの鬼渡系神社を建立している。

それは機会が有ったらまた書きたいと思いますが、桃太郎の母親であるお婆さんと立烏帽子は瀬織津姫ではないのか。

そして山に柴刈りに行ったお爺さんは柴神・阿須波神ではないのか。

ここから色々なストーリーが考えられます。これもまたの機会に書きたいと思います。


続く。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 富山常備薬「リョウシンJV錠... | トップ | 安倍元総理大臣が狙撃され心... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

瀬織津姫」カテゴリの最新記事