諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

昔話「牛方と山姥」は、素戔嗚尊と瀬織津の戦いを描いたのではないか。その5

2022年12月10日 17時17分37秒 | 瀬織津姫
続きます。

手名稚命・足名稚命は国津神です。日本の地主神です。朝廷側、或いは仏教と敵対している神です。人々に信仰されては困る。故に妖怪に落とされます。

その妖怪の名は「手長・足長」。私の故郷である福島県では会津磐梯山や鹿狼山、私の住む宮城県では太白山に手長・足長の伝説が残っています。

手長足長伝説は日本全国に伝わっていますが、西日本の手長足長は高齢の男兄弟。東日本の手長足長は夫婦として語られています。

私は手長・足長は夫婦だと考えています。その正体が手名稚命・足名稚命であるならば、夫婦でなければおかしいので。

国津神と朝廷・仏教は敵対していると言いましたが、極論、朝廷は日本固有の地主神である国津神を恐れて仏教を日本に広めた。或いは国津神を天津神に生まれ変わりをさせた。

私は天照大神にはモデルがあり、天岩戸に隠れる前は国津神。天岩戸から出た後は天津神として天皇家の祖神として迎えたと考えています。

天皇家が侵略者であることを秘す為に。天皇家を崇めさせる為に。そして天皇家が永久に続く為に。

その証拠と言えるかどうかは分かりませんが、天皇家は持統天皇から明治天皇までの約1000年間、一度も伊勢神宮に参拝しておりません。

国津神を天津神として天照大神を誕生させた罪に怯えていた。祟りを恐れていた。

だから祖神・天照大神を祀る伊勢神宮であっても足を向けられなかった。そんなところだと思います。

会津磐梯山の頂上に鎮座していた手長・足長も悪神として描かれています。

足長が天の雲を集め、手長が猪苗代湖の水を救い上げ暴風雨を等々の天変地異を起こしていた。そこに空海がやってきて手長足長を騙して封印。磐梯明神として磐梯山の頂上に祀っています。

「♪ 会津磐梯山は宝の山よ~」との民謡がありますが、磐梯山は200年近く前に大噴火し490名の命を奪っています。

その威力は凄まじく川が堰き止められ、檜原三湖が誕生。それだけ恐れられた山です。

こういった天変地異は妖怪に落とされた国津神が起こしていると考えられている。

それもやはり国津神への信仰を妨げる為。国津神は悪神として広める為。

天皇家・朝廷としては国津神に人民の信仰が集まれば、自分たちが侵略者であることがばれる。迫害される。

それを恐れて妖怪に落としたと言えます。


続く。









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