最近、瀬織津姫で検索して訪問する人が増えています。
正直、瀬織津姫を語るのが怖くなっていました。瀬織津姫を陰で祀ると思われる神社で負の奇跡を見せられたりしましたし、瀬織津姫を祀られていた神社の下流のお寺の瀧で、以前から噂されていた心霊現象も見ていますので。
それ以上に某国元首相の暗殺です。その夫人が瀬織津姫の〇〇〇〇問題に関与している噂を聞いている。
その夫の姓は瀬織津姫信仰との関連が指摘される姓です。でも、それは畏怖から来ている信仰。たたりを防ぎがたい為の信仰。
その事を夫人は知っていたのか。この夫人は神様関係には何にでも頭を突っ込む。瀬織津姫の事も分からずにセミナーまで開いている。馬鹿である。
それで色々と多くの問題を起こしていた。人も死んだ。この人は禍の渦を巻き散らす人である。
まるで神の巫女を気取っていたと思えるが、瀬織津姫はそんな気優しい神ではない。っと言うより気優しい神など日本にはいない。
先ずは畏怖。それを分かっていなかったと思う。
元首相の暗殺もショックだった。キリスト教系霊感商法宗教団体の信者を親に持つ者の犯行だった。元首相夫婦もこの宗教団体と関連があった。
私は言いたい。「神道とキリスト教を一緒にするなと。神道の徒なら神道だけを信仰していろ」と。
以前、「瀬織津姫=マグダラのマリア」説がスピリチュアル界で流れた。私のブログにもそれで検索して訪問する者も多かった。
私は呆れた。畏怖すべき神道の代表的な女神である瀬織津姫を、マグダラのマリアと言うキリスト教の信徒だと思い込む馬鹿がいることに。
イエスキリストは神の子であるが、マグダラのマリアは神でも神の子でもない。イエスの信徒だ。イエスを信仰する人間だ。
それが何で神道の女神である瀬織津姫となるのだ。こんな不敬な話があるか。
キリスト教では異教の神は悪魔となる。キリスト教では瀬織津姫は日本の悪魔だ。それをマグダラのマリアだと言う。それはキリスト教に対しても不敬である。くだらない神様ごっこはするな。
実は仏教もそうだ。私もそうだが仏教の理解は難しい。だから朝廷側は仏教信仰を広める為、苦肉の策として神道の神と仏教は同根だと大嘘を付いたのだ。
サラスバティーはインドの川の女神だ。正確にはヒンドゥー教の女神である。
川のせせらぎから音楽の女神とされている。音楽は才能。だから弁才天とされた。
瀬織津姫は弁才天であるとされているが、神仏習合でそう考えられたのに過ぎない。第一、瀬織津姫は音楽の女神ではない。
神道は幹、仏教は枝葉の関係と言えるが、宗教も商売である面がある。
仏教側は神道の神々を妖怪や物の怪、悪神に落としている部分も見受けられる。
仏教が国教となった日本では、神道の根本の神々を信仰するのは朝廷側としては困る。
朝廷側は神道においても日本の本来の神である国津神を貶めている。天津神を自分たちの祖神としているので。
古事記も日本書紀もその点に乗っ取って編纂されている。それを学問として習ったのは日本神道の神職。
しかし、私は神道の真実が知りたい。勝者である朝廷側の書と言える古事記、日本書紀をそのまま鵜呑みにはしない。だから神職と考えが違う。
先人には事実の日本の神々を伝えたいとする思いがある。だから伝承、伝説、風習、そして昔話として日本の神々を伝えている部分がある。
勿論、仏教側として国津神を貶めるストーリーも多い。真実の国津神を祀るのが憚れるから、そうしている部分もある。それでもそれが真実に繋がる道でもある。
無視してはいけないと思っています。
続く。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます