諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

鬼渡神との因縁。 【仁渡神社(仙台市・古内)編】 その2

2013年07月14日 06時42分23秒 | 神道

続きます。

話を亡くなった従兄弟に戻します。

従兄弟は細かい田んぼを1つにまとめる作業をしていました。3つ、4つの田んぼを1つに大きくする作業です。

そして亡くなった現場の脇の道には、馬頭観音の石碑が建っていました。

私の父方の祖父は、昔、故郷の福島県いわき市平で馬喰をしてました。馬を使ったタクシー屋の様な仕事です。かなりの資産家でもありました。

しかし、踏切で列車に撥ねられ、片足を切断。それでも生きていたのですが、担ぎ込まれた病院で違う血液型の血を輸血されて死亡してます。

祖父に続いて本家の長男である従兄弟の死です。馬喰をしていた血筋に取って、馬頭観音は守り本尊なのに、馬頭観音のすぐそばで亡くなった訳です。私、恨みましたよ、馬頭観音を。何故、従兄弟を守ってくれなかったのかと・・・・・・。

それから数日後、奇妙な噂を聞きました。従兄弟の死因は悪霊に引っ張られたのだと言うのです。

従兄弟は農道のコブにクレーン車を乗り上げ、転倒してなくなりましたが、そのコブの傍で焼身自殺した者、更にはコブから数メートル離れた木で、首吊り自殺した者がいたのです。

それだけではありません。従兄弟が亡くなった古内、更に隣の上谷刈はかつて古戦場だったと言うのです。

この話を聞いて、私、怒りに震えました。ふざけるなと。

無念を残して死んだ者が、無念さから生きている者を黄泉の国に引っ張る不条理さ、理不尽さに怒り心頭になりました。只ては済ませないと。

それ以来、何ども従兄弟の亡くなった場所に足を運び、従兄弟を引っ張った奴を挑発しています。祟れるものなら私を祟って見ろ。逆に祟り返してやる。地獄の底の底に沈めてくれるわと思いながら、気合を発し続けてきました。

最近知った事ですが、気合に任せて声を発するのは、悪霊調伏の作法と殆ど同じみたいです。私は知らず知らず、悪霊を調伏していたことにしていた様です。それは素人には大変危険な行為だと思いますが、私は怒り、悲しみ、憎しみ、恨みを悪霊にぶつけました。それによって祟られて死んでも、悪霊どもに復讐したいと言う気持ちが強かった訳です。

以上が私の神に対して思い、、悪霊に対する恨みを持った切っ掛けであります。

現在、スピリチュアルブームで、「神様、萌え~」って人が多いですが、私は神に対しての疑問からスタートしています。神の存在を知りたいと言う気持ちからです。

今回の3.11でもそうですが、神は理不尽であり、不条理だという気持ちを、今も少なからず持っています。

でもね、日本の神道って、本来、そんな感情からスタートしていると思うんです、そして、その考えが改まったのが現在の神道なのではと、今の所、考えている次第です。

 

つづく。

 

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鬼渡神との因縁。 【仁渡神社(仙台市・古内)編】 その1

2013年07月13日 08時55分08秒 | 神道

今回の仁渡神社編は、私が神道、姓名判断、更には霊体、そして人の死、我が家系の因縁についてとりつかれるきっかけとなった事例です。

私には「龍」と言う従兄弟がおりました。父の兄の長男で、私より3歳年上です。

彼とはよく気が合いました。私同様、釣り、バイク、クルマ、スキー等が好きで、よく一緒に出かけたものです。正直、実の兄弟や私の親よりも大事な人でした。

彼の家の稼業は新聞販売業です。私と同じです。そして私と同じ長男。しかも、私の名前(本名)は、彼の名前に付随して付けられた所もありますんで、同じ人生のレールを歩んでいる様な感じがしてました。

そして高校卒業後、福島から出て仙台の測量の専門学校へ通学。

私の家の仕事を手伝いながら勉強したのが災いしたのか、はたまた私同様、頭が悪いのか1年では卒業出来ず、2年かけやっと卒業し、仙台の小さな建設会社に就職しました。

そして就職から10ヶ月後の正月に仕事中の事故でなくなりました。享年21歳でした。

死因は小さなクレーン車を操縦していて、農道のコブに乗り上げクレーン車が転倒。その下敷きになったのです。転倒時にクレーン車から飛び降りたのが災いしました。そのまま操縦席にいれば助かった筈ですし、反対側から逃げていれは死ぬ事も無かった。

それに彼は測量士として就職したのです。クレーン車の免許は持っていませんでした。何故、クレーン車に乗らなければならなかったのか。乗り物好きでしたから、自分から進んで乗ったのか。会社からの命令だったのか。今となったら真実は分かりません。

就職した会社は私の家から直ぐ近くにあります。住んでいたアパートは、会社所有の寮です。その会社を選んだ理由は、私から遠くに離れたくなかったからなのか。

専門学校の卒業が長引かなければ、その会社に就職しなかったかも知れない。

福島から仙台に出て来なかったら。そして、私が存在しなかったら死ぬ事はなかったのでは。

更に彼は亡くなる1、2ヶ月前から今まで世話になった人々、懇意にしていた友人、親戚、親、兄弟に挨拶周りをしてました。

そして私の家にも訪ねて来た。私は当日、部屋で寝ていたのですが、私の弟は「出かけている」と言ってしまった為、会えずじまいでした。

人生とはパチンコの玉の様な物だと思います。数々のピンに当たり運命が変わります。

もし、最後に私と会っていたら、私が最後のピンとなっていたら死ぬ事は無かったのでは・・・・・。

もう、従兄弟が亡くなって30年以上経つのですが、未だに後悔しています。苦しんでいます。

もし、彼が今も生きていたら、私の運命も変わっていたと思います。

第一、私は元来目立ちたがり屋で、リーダーシップがあって、積極的で、かなりの人気者でした。

今は全くもって正反対です。人との付き合いも苦手で、消極的。性格も暗い方です。

彼を失ってからの私の人生は、空虚そのものになりました。

惰性で生きている様なもんです。

 

つづく。

 

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鬼渡神との因縁。 【八坂神社境内社・冠川神社(仙台市・岩切)編】 その2

2013年07月10日 10時57分55秒 | 神道

続きます。

さて、志波彦神を祀る冠川神社の「冠川」の由来ですが、八坂神社の前を流れる七北田川が昔は「冠川」と呼ばれていたからであります。

何で「冠川」なのかと申しますと、「神が降ってきた川→神降り川→かんむり川→冠川(カムリカワ)」となった説があります。

実際、七北田川の支流の砂押川のそのまた支流に「勿来川(なこそがわ)」が流れています。利府町から多賀城市までの8キロ足らずの小川です。

「勿来」と言うと、吾が故郷、福島県いわき市に「勿来の関」がありますが、これ、案外、地元の人も知らないのですが、「勿来の関」は宮城県の利府町にもあるんです。まあ、歴史が下って蝦夷の領地が狭まったと言う事なんでしょうね。

「勿来」の意味は、「こっちに来るな」です。つまり「勿来=境界線」です。っとなると阿須波神は「庭中の・・・・」から庭神ですので(だからオニワタリです)、外界からの魔を防ぐ境界線の神と言えます。

つまり、冠川神社の社名で志波彦神、つまり阿須波神を祀っていると言う事は、七北田川は大昔、蝦夷と大和朝廷との境界線であったことの一つの証明だと思います。

実は「冠川」の名の由来はもう一つあります。「志波彦神が白馬に乗って川を渡っていたら、白馬が川石に足を取られてすっ転び、志波彦神は頭の冠を流されたから冠川になった」と言う説です。

更に実はですが、多賀城市内にも冠川神社があります。祭神は志波彦神ではなく稲荷大明神となってます。

理由は「多賀城市史」によると、「昔、ある貴人が橋を渡ろうとした時、突然、風が吹いて被っていた冠が飛ばされ川に落下。その冠がこの里まで流されて来たとき、狐が川に飛び込み、冠を咥えて岸に上がった。その上がった場所が多賀城市の冠川神社である」との事です。それで狐から稲荷大明神が祀られたと言う事ですね。

まあ、言わなくても分かると思いますが、その川は現在の七北田川です。「貴人=鬼神」とは言いませんが、貴人は志波彦神、つまり阿須波神で間違いないと思います。つまり、七北田川は阿須波神が鎮座する川であると言えます。

この話、何を意味しているのか、幾つか考えられますが、これは又の機会にお話したいと思います。


ではでは。


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鬼渡神との因縁。 【八坂神社境内社・冠川神社(仙台市・岩切)編】 その1

2013年07月09日 09時54分21秒 | 神道

今回は鬼渡神との因縁、その2です。これも信じられない偶然です。

えー、私、仙台市泉区の某所に住んでいるのですが、私の住んでいる町の氏神は仙台市宮城野区岩切に鎮座する八坂神社であります。

八坂神社ですから、当然、主祭神は須佐之男尊となります。

でも、元々この神社には塩竈神社境内に鎮座する志波彦神社に祀られている「志波彦神」が祀られていた神社でした。

あっ、祀られていたと言うのはチョット違ってましたね。現在も八坂神社の境内に鎮座する冠川神社に志波彦神が祀られていますからね。

詳細は志波彦神が祀られていた現在の八坂神社が荒れ果てていた為、塩竈神社の境内に移した、或いは分霊したと言う事になります。

塩竈神社の見解では、志波彦神は塩竈神に協力した神であるとしています。

まあ、実際は塩竈神の別名の可能性は高いと思いますね。この件は又の機会にお話出来たらなぁーと思います。

さて、志波彦神ですが、吉田東吾著の大日本地名辞書には「志波彦神=阿須波神」と書かれています。

理由は大日本地名辞書を読んでいないので分かりませんが、万葉集に「庭中の 阿須波の神に小(木)柴刺し 吾は斎はむ 帰り来るまでに」と言う防人の歌があり、そこから阿須波神は手向神、そして柴神と言われてますんで、志波彦神の「志波」は柴神の「柴」から来ていると思います。

この阿須波神ですが、福島県の会津地方を中心に点在している鬼渡神社に波比岐神と並んで祀られている祭神であります。つまり、代表的な鬼渡神です。

まぁ、永井平九郎からたどり着いた鬼渡神社の祭神が、私の現住所の氏神だったと言う事です。

これにはもう、絶句するのみでしたね。

 

つづく。

 

 

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鬼渡神との因縁。 【二柱神社(仙台市・七北田)編】

2013年07月07日 22時27分42秒 | 神道

えー、初めにですが、私が鬼渡神社を知る切っ掛けについては、以前、「永井平九郎シリーズ」にて書き込みました。詳しくは、そちらを読んでください。

まあ、簡単に言うと永井平九郎を調べていて、私の故郷・福島県いわき市三和町永井の永井神社に辿り着き、その永井神社が昔、神渡神社、三輪渡神社、そして鬼渡神社と呼ばれていた事に由来します。

それ以来、私、何か鬼渡系の神社、神様に魅入られてしまいました。何故かは説明出来ないのですが、鬼渡神を調べれば調べるほど、日本神道の素直な本質が見えてくる様な気がしてます。それはまるで裏山から登るが如しです。

表の登山口から登る人は沢山いますので、「人の行く 裏に道あり 花の山」じゃないですが、私一人くらい、裏山登る奴が居ても良いのではないかと思っている次第です。

まぁー、そんな感じで調べてきたのですが、愕然としたと言うか、余りにも出来過ぎていると言うか、偶然では考えられない因縁がありました。

今回はその鬼渡神との因縁に付いて、かなり心情的には辛い部分もありますが、お話したいと思います。

さて、因縁その1です。

私は仙台市青葉区の某所で、震災以前まで、怪しい秘密の商売をしていました。まあ、店を出していた訳です。

その店のある町の氏神ですが、仙台市泉区七北田の「二柱神社」となります。祭神はイザナギ尊、イザナミ尊です、だから二柱なんでしょうね。

ご利益は縁結びで、まぁー、何と言いましょうか、恋人に巡り逢いたい人、結婚を考えているカップルなら、一度は参拝に行く様な、人気の神社です。私はご利益を賜っていませんけど・・・・・(泣)。

この二柱神社ですが、タイトルからご想像が付くと思いますが、神仏分離以前は「仁和多利大権現」と呼ばれていました。つまりニワタリ、すなわち鬼渡系の神社だったんです。

前回、「修林壇跡地にて」で少し書きましたが、以前は鳥井原にあり、修林壇と呼ばた寺に鎮座してたんですが、現在地に遷って来た様です。理由は分かりませんが・・・・・・。

鬼渡系の神社は福島県中心に点在していると思っていたのですが、こんな身近に存在していたとは知りませんでした。いゃーショックでしたわ。

所で、何故、仁和多利大権現から二柱神社へ名前が変わったのか。共通点は「仁」と「二」。「二」繋がりで「二柱」となり、「二柱ならイザナギ尊・イザナミ尊がよかんべなぁー」となったと、普通なら考えると思います。

でもね、牡鹿半島付近にも鬼渡系の「二渡神社」が点在してます。祭神は「二柱神社」同様、イザナギ尊・イザナミ尊です。

牡鹿半島は蝦夷の前線基地があった桃生郡の目と鼻の先。そして大和朝廷側は蝦夷征伐を第二の国産みの儀式と言い訳している訳です。

それて地主神が消され、国産みの神、イザナギ尊・イザナミ尊を祀ったとの話があります。その例に習いイザナギ尊・イザナミ尊に変えた可能性も十分考えられると思います。

現に二柱神社の境内に、「仁和多利大権現」に付いての但し書きの看板があり、仁和多利大権現は「おぼこの守り神」と書かれています。

「おぼこ」とは子供の事です。だったら子供を沢山産んだイザナギ尊・イザナミ尊とも繋がります。

しかし、鬼渡神は疱瘡神の一面があります。疱瘡を撒き散らす神です。昔はワクチンや抗生゛分質なんてありませんから、麻疹や水疱瘡で命を落とす子供も多かった訳です。

だからこそ、「疱瘡を撒き散らさいでくれ」との願いから、子供を守る神へと移りの変わった考えられます。

ギリシャ神話のアポロンもペストを撒き散らすペスト神ですが、「ペストを広げないでくれ」との願いから、ペストから人々を守る神へと変化しました。これは鬼渡神が疱瘡神である事と同じ意味合いだと思います。

そう考えると「イザナギ・イザナミ両尊」と「仁和多利大権現」は、同神ではないと思うんでしよねぇー。

同神だったら、同神である旨の言い伝えや古文書が二柱神社に残っていても可笑しくない筈です。

まあ、鬼渡神の存在が都合悪いとする考えから、仁和多利大権現が消され、イザナギ・イザナミ両尊に変えられたと考えます。

以上、長々と寄り道しましたが、てっきり福島県の神と思われた鬼渡系の神が、私の店の氏神だったと言う因縁でした。

 

ではでは。

 

 

 

 

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