諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

五月姫(如蔵尼、瀧夜叉姫)を尋ねて慧日寺(いわき市四倉)へ。【2017年編】その2

2018年09月10日 00時54分58秒 | 永井平九郎
続きです。

四倉の街から山へと向かう。暑い。午前中なのに暑い。汗ダクだ。墓参りの前に身を清めたい。それではと玉山鉱泉に向かう。そこには私好みの鄙びた温泉宿が数件あった。いい感じだ。

ちょろちょろと見て回ったが人気が無い、日帰り入浴の看板はどこにも出ていない。ダメみたい。諦めた。諦めが早いのが私の取り得だ。

実は四倉の玉山はマツタケの名産地で、ここら辺の宿では一泊1万円程度でマツタケ三昧が楽しめると聞いていて、何時かは泊まりたいと思っていたのです。ここだったのか。

でも、放射能でマツタケは大丈夫なのだろうか。お盆なのにクルマがあんまり泊まっていない。風評被害でお客が来ないのか。マツタケはどうなったのだろう。

うーん、ここら辺にマツタケが生えている筈。黙って取ったら泥棒だな。

確かマツタケ狩りも出来る筈。入山料7000円だったかな。

私のこれまでの人生を振り返ると、7000円払ってもマツタケ1本も取れず帰るパターンになるのは分かりきっている。

残念賞でマツタケ1本貰えるらしいけど、7000円でマツタケ1本なら、1パック100円のエリンギを70パック買った方が幸せだ。止めておこう。

そう言えば閼伽井嶽のどっかに、ウチの親父が買った2500坪の山ッペタがあった。30年以上前に行ったら、誰かが残土を捨てていた。チクショウ、ひでぇーことしやがる。

でも、あそこらへんもマツタケが生えているかも知れんなぁー。生えていたら嬉しいなぁー。今度行って見るか。

否、否。そんな気持ちで行くと必ず悪い事が起きるのが私の人生。親父関連は必ず禍が起きる。ダメだ。行くなら徹底的に気合を注入しないと。

そうそう、そんなマツタケの事など考えてはいけない。私は五月姫のお墓がある慧日寺に向かっているのだ。マツタケなんて罰が当たる。

地図を見ながら慧日寺を探す。ここら辺の筈だ。でも見つからない。大体、慧日寺に繋がる道が地図には載っていない。山の中にポツンと慧日寺の文字だけ。これじゃ見つけられないよ。

クルマを徐行しながら走らせている。途中、ネグリジェみたいな薄着のおばぁーさんを発見。慧日寺の場所を尋ねる。

おばぁーさんはキョトンとしている。そして、あっ、あっと声を出す。思い出したみたいだ。

おばあさんが言うには「そこのお寺から上に登って行った所にあるよ」と。

私はお礼を言って言われたお寺に。

そのお寺の名は金光寺。あれれ、変だ。慧日寺と金光寺は地図上では結構離れている。どうして金光寺の上に慧日寺があるのだろう。おかしいな。

金光寺の横に細くて急な坂道がある。ここを登って行くのか。

以前乗っていたアトレー4WDなら何とか進めれるが、アリオンだと難しい。坂の上がどうなっているのかも分らない。アリオンでは無理だ。

私は申し訳ない気持ちで金光寺??の駐車場にアリオンを駐車。徒歩で坂道を登る。

この坂道、急過ぎる。蛇行しながら登る。そして平地が現れた。草ボカの平地だ。

いわき市は震災以来、手入れが行き届かず、どこもかしこも草ボカ状態になっている。そんな手入れをするよりも放射能除去が先決なのだろう。

私の母方の従兄弟も放射能除去の仕事をしている。身体が心配だ。その従兄弟の父親も炭鉱のトロッコ事故で亡くなっているし。

父方も母方も人殺しの家系。私は人殺しの名家のサラブレッド。しかも因果を一番享受する長男。私は特に気を付けて生きなければ。

それは良いとして、本当に何も無い。ネグリジェおばぁーさんは金光寺の上に慧日寺があると言った。その場所に今いる筈。どうしたら良いのか。

しょうがない。地図を見て左側の道を歩く。道は土。舗装がされていない。ここをクルマで通るのは稀の様だ。やっぱり徒歩で正解だったな。

でも何も無い。建物が全然無い。こんな所に慧日寺があるのだろうか。

更に道を左へと歩く。家庭菜園みたいなのがあった。針金状の材料で潜り門となっている。何かがある。気になって門を潜ってみた。

そしたら、アアッッッーーー、そんな馬鹿なぁーーーーー、まさかぁーーーー。


続く。
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五月姫(如蔵尼、瀧夜叉姫)を尋ねて慧日寺(いわき市四倉)へ。【2017年編】その1

2018年09月05日 08時28分40秒 | 永井平九郎
この話は昨年のお盆です。

私は永井平九郎の姉・・・・・になるのかは断言出来ませんが、平将門公の三女・五月姫。亦の名を如蔵尼。そして亦亦の名の瀧夜叉姫を尋ねて福島県いわき市四倉にある慧日寺を訪ねに行ったのです。

尋ねてと言っても当たり前ですが、お墓参りです。お盆ですので。

あっ、それと瀧夜叉姫の名は間違い無くフィクション。そんな名で呼ばれていた訳ではありません。

めんどくさいので調べませんが、罰当たりにも誰かが瀬織津姫をモデルにして、五月姫をオドロオドロしい妖術使いの復讐鬼に仕立てあげた物語の主人公です。

どうして五月姫に瀬織津姫を被せた物語が創られたのか。

簡単です。大昔から瀬織津姫の存在は神職に限らず民衆にも知られていた。有名だった。だから多くの物語や昔話に瀬織津姫がモデルの話が存在するのです。

どこの誰かが「瀬織津姫は隠された存在。消された存在。今こそ封印解除だ」とか寝惚けた事を言っていますが、そんなの大嘘です。

今までにも瀬織津姫のカテゴリーで語って来ましたが「瀬織津姫=神道」です。神道が続いていたと言う事は、瀬織津姫は隠されても消されてもいない。何を言っているのかと呆れます。

それなのに封印解除ってどう言う事でしょう。瀬織津姫が鎮座する神社を破壊するって事ですか。馬鹿ですか。

「もういい加減に瀬織津姫を妄想でトンデモナイ存在に仕立て上げて、詐欺商売をするのはよしなさい。本当に罰が当たりますよ」っと思います。

まっ、神道や瀬織津姫を全然理解していないからそんな事が出来るのでしょうけど、騙される方にも問題があります。少しは神道を学んでください。己の馬鹿さ加減が分って来る筈ですので。

さて、脱線終了。こんな事を書いちゃうと中々終わらなくなるので止めます。五月姫に戻ります。

あっ、それと瀧夜叉姫のストーリーや、何故に瀬織津姫がモデルなのかも長くなるので亦の機会に書きます。今回は五月姫への参拝記です。

五月姫のお墓が慧日寺にある。ある事はあるのですが、慧日寺は福島県の磐梯町と四倉の二つが存在しています。そしてそのどちらにも五月姫のお墓が存在する。これはどうしたもんか。

どっちが本家で元祖なのか。そんなの分らない。分っているのは徳一法師が逃げてきた平将門公の三女・五月姫を恵日寺で匿った。そして真面目に仏教へ帰依して行って如蔵尼を名乗ったと言う事です。

でも、平将門公は940年に亡くなっている。徳一法師は843年に死亡している。だから徳一法師が五月姫を匿ったのではない。徳一法師の教えを次ぐ者たちが匿った筈。

そして匿うとなると四倉は追っ手からは近い距離にある。 私が関係者なら磐梯町の恵日寺に匿うと思いますが、そんな事を考えると、またまた話は中断してしまいます。

今回は五月姫のお墓への参拝記。何れ磐梯町の慧日寺のお墓に参る事も有ると思いますか、今回は四倉の慧日寺を目指します。故郷いわき市平からも近いので。


続く。



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船渡八幡神社(福島県・四倉)を考察する。

2018年09月01日 11時28分04秒 | 神道
先日、福島県四倉の恵日寺に行く途中、四倉港を見渡せる小山の入り口に「船渡八幡神社」の看板を目にしました。

私はこのブログのタイトル通り「鬼渡神」を通して神道を考えているので、神社名の「渡」の字が入っていれば無視出来ません。急遽、寄る事に。

看板の隣は交番。まさか交番の駐車場にクルマを止めて参拝する訳にも行かない。そこで向かいにあるローソンで1000mlのコーヒーを購入。それを1000mlの容量の水筒に入れ、ササッと道路を渡り船渡八幡神社への急な石段を駆け登りました。

この小山ですが、かなり急です。キツイ石段です。そして山の中腹に船渡八幡神社の社があった。これは変だ。山に鎮座している神社は、大抵、山の頂上に建てられている筈なので。

でも、私はピンと来ました。この山は宮城県の太白山と同じ考えである事に。

それで八幡神社に参拝。更に上の石段を登ります。何かがある筈ですので。

そしたら何と古ぼけた平屋の小さな一軒家が。何だここは。社務所か。

神職は常駐していない。多分、祭りを行う時の神輿等々を収めている家と思われる。チョット複雑。小さな社が有ると思っていたのだが。

でも、流石にここは霊場。この一軒家から異様な雰囲気が感じる。どこかに社がある筈と思うのだが、探すのが怖い。躊躇する。退散だ。

硬い身体なので下りの石段は手摺に掴まりながら降りる。この急な坂も太白山そっくり。転びそうになりながらも何とか降りた。

さて、この船渡八幡神社を考察します。

由来は「文治年間、今から約800年前、太夫坂山上に鎮座。当時の山麓の住民は岩盤絶壁の地形から水の供給が困難だった。そこで同八幡神社に祈願したら、住民の一夜夢に官女が現れ、水辺らしき場所の大石に水をたたえ『この水上の水神ましませば、不浄はすまじきもの』と答えられた。翌朝、井戸から清い水が湧き出だ。この水を使うと諸病が平癒した。それ以来、海上安全、大漁満足、進学成就、諸病平癒の神様として信仰を集めた」です。

ここで疑問なのですが、船渡八幡神社の祭神は当然、誉田別命こと応神天皇です。応神天皇に祈願して何で官女が夢に現れるのだろうか。

それに水神のご加護で水を得られた。その水で病気も治る。これは武神である応神天皇のご加護とは大変恐縮ながら思えないです。

そして「船渡」の意味ですが、昔はこの八幡神社の前を境川が流れていた。その境川を船で渡って八幡様に参拝していたから、船渡八幡神社と呼ばれる様になったそうです。

ここにヒントが隠されていると思えます。

先ずは境川です。境川ですから境界線を示しています。だったら境界線の神が祀られている筈。

しかも水神の加護で清き水が井戸から湧いた。それなら水神か御井神が祀られているとも考えられる。

そして「船渡」の名から船戸神。つまり道祖神である久那戸大神の名が関連する。

全国的にも数社の船渡八幡神社が存在するが、八幡神と一緒に猿田彦尊が祀られているケースが見える。

ここまで考えると八幡神の下に久那戸大神系の神が祀られている可能性が高い。

水神と病気治癒のご加護で考えるなら、祓戸の神である瀬織津姫となる。四倉は港町だから速秋津姫か。

否、四倉には平将門公の娘・五月姫が修行した恵日寺がある。何れ説明したいと思うが瀬織津姫と考えた方が辻褄が合う。

どちらにしても境界線は霊場との境界。だから境川で身を清めて参拝していたのではないだろうか。

当時の境川は宮城県塩釜市の塩釜神社正面に流れていた祓川の役割を持っていたと考えられる。塩釜神社正面には祓戸社も鎮座している。その点を考えても瀬織津姫との関連が深いと思われる。

では何故、応神天皇以外の神が祀られていないのか。一番の理由は残念ながら忘れられたと考えられる。

二番目。四倉は東日本大震災の津波の被害が甚大であった。過去にも大津波が襲っていたと考えられる。現にいわき市の海岸線の神社の殆どは高台にある。それは宮城県、岩手県の海岸線の神社も同様。津波に流されない為に高台に鎮座させた意味合いがあると思える。

そして津波は神々の祟りとも考えられた。

これも何れ書きたいと思うが、塩釜神社の祭神が不明となったのも祟神故に別の神に名を変えられた。或いは武神を祀り、祟神を調伏した。それで本来祀られていた地主神の存在が消えたと考えられる。

船渡八幡神社も地主神である久那戸大神系の神を武神・応神天皇て調伏。地主神の名は消えて行ったと考えられます。

では船渡神社にはもう久那戸大神系の神は祀られていないのか。

私は今も祀られていると確信しています。何たって八幡神社の社よりも上の山頂に社務所??と思われる建物があったのだから。

そのどこかに久那戸大神系の社が鎮座していると考えます。太白山山頂の貴船神社の様に。

神社よりも上に家を建てるのは不届きな行為です。本来の地主神が今も存在しているから社務所的な建物が建っている。

そう私は考えております。


ではでは。




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