先日、福島県四倉の恵日寺に行く途中、四倉港を見渡せる小山の入り口に「船渡八幡神社」の看板を目にしました。
私はこのブログのタイトル通り「鬼渡神」を通して神道を考えているので、神社名の「渡」の字が入っていれば無視出来ません。急遽、寄る事に。
看板の隣は交番。まさか交番の駐車場にクルマを止めて参拝する訳にも行かない。そこで向かいにあるローソンで1000mlのコーヒーを購入。それを1000mlの容量の水筒に入れ、ササッと道路を渡り船渡八幡神社への急な石段を駆け登りました。
この小山ですが、かなり急です。キツイ石段です。そして山の中腹に船渡八幡神社の社があった。これは変だ。山に鎮座している神社は、大抵、山の頂上に建てられている筈なので。
でも、私はピンと来ました。この山は宮城県の太白山と同じ考えである事に。
それで八幡神社に参拝。更に上の石段を登ります。何かがある筈ですので。
そしたら何と古ぼけた平屋の小さな一軒家が。何だここは。社務所か。
神職は常駐していない。多分、祭りを行う時の神輿等々を収めている家と思われる。チョット複雑。小さな社が有ると思っていたのだが。
でも、流石にここは霊場。この一軒家から異様な雰囲気が感じる。どこかに社がある筈と思うのだが、探すのが怖い。躊躇する。退散だ。
硬い身体なので下りの石段は手摺に掴まりながら降りる。この急な坂も太白山そっくり。転びそうになりながらも何とか降りた。
さて、この船渡八幡神社を考察します。
由来は「文治年間、今から約800年前、太夫坂山上に鎮座。当時の山麓の住民は岩盤絶壁の地形から水の供給が困難だった。そこで同八幡神社に祈願したら、住民の一夜夢に官女が現れ、水辺らしき場所の大石に水をたたえ『この水上の水神ましませば、不浄はすまじきもの』と答えられた。翌朝、井戸から清い水が湧き出だ。この水を使うと諸病が平癒した。それ以来、海上安全、大漁満足、進学成就、諸病平癒の神様として信仰を集めた」です。
ここで疑問なのですが、船渡八幡神社の祭神は当然、誉田別命こと応神天皇です。応神天皇に祈願して何で官女が夢に現れるのだろうか。
それに水神のご加護で水を得られた。その水で病気も治る。これは武神である応神天皇のご加護とは大変恐縮ながら思えないです。
そして「船渡」の意味ですが、昔はこの八幡神社の前を境川が流れていた。その境川を船で渡って八幡様に参拝していたから、船渡八幡神社と呼ばれる様になったそうです。
ここにヒントが隠されていると思えます。
先ずは境川です。境川ですから境界線を示しています。だったら境界線の神が祀られている筈。
しかも水神の加護で清き水が井戸から湧いた。それなら水神か御井神が祀られているとも考えられる。
そして「船渡」の名から船戸神。つまり道祖神である久那戸大神の名が関連する。
全国的にも数社の船渡八幡神社が存在するが、八幡神と一緒に猿田彦尊が祀られているケースが見える。
ここまで考えると八幡神の下に久那戸大神系の神が祀られている可能性が高い。
水神と病気治癒のご加護で考えるなら、祓戸の神である瀬織津姫となる。四倉は港町だから速秋津姫か。
否、四倉には平将門公の娘・五月姫が修行した恵日寺がある。何れ説明したいと思うが瀬織津姫と考えた方が辻褄が合う。
どちらにしても境界線は霊場との境界。だから境川で身を清めて参拝していたのではないだろうか。
当時の境川は宮城県塩釜市の塩釜神社正面に流れていた祓川の役割を持っていたと考えられる。塩釜神社正面には祓戸社も鎮座している。その点を考えても瀬織津姫との関連が深いと思われる。
では何故、応神天皇以外の神が祀られていないのか。一番の理由は残念ながら忘れられたと考えられる。
二番目。四倉は東日本大震災の津波の被害が甚大であった。過去にも大津波が襲っていたと考えられる。現にいわき市の海岸線の神社の殆どは高台にある。それは宮城県、岩手県の海岸線の神社も同様。津波に流されない為に高台に鎮座させた意味合いがあると思える。
そして津波は神々の祟りとも考えられた。
これも何れ書きたいと思うが、塩釜神社の祭神が不明となったのも祟神故に別の神に名を変えられた。或いは武神を祀り、祟神を調伏した。それで本来祀られていた地主神の存在が消えたと考えられる。
船渡八幡神社も地主神である久那戸大神系の神を武神・応神天皇て調伏。地主神の名は消えて行ったと考えられます。
では船渡神社にはもう久那戸大神系の神は祀られていないのか。
私は今も祀られていると確信しています。何たって八幡神社の社よりも上の山頂に社務所??と思われる建物があったのだから。
そのどこかに久那戸大神系の社が鎮座していると考えます。太白山山頂の貴船神社の様に。
神社よりも上に家を建てるのは不届きな行為です。本来の地主神が今も存在しているから社務所的な建物が建っている。
そう私は考えております。
ではでは。
私はこのブログのタイトル通り「鬼渡神」を通して神道を考えているので、神社名の「渡」の字が入っていれば無視出来ません。急遽、寄る事に。
看板の隣は交番。まさか交番の駐車場にクルマを止めて参拝する訳にも行かない。そこで向かいにあるローソンで1000mlのコーヒーを購入。それを1000mlの容量の水筒に入れ、ササッと道路を渡り船渡八幡神社への急な石段を駆け登りました。
この小山ですが、かなり急です。キツイ石段です。そして山の中腹に船渡八幡神社の社があった。これは変だ。山に鎮座している神社は、大抵、山の頂上に建てられている筈なので。
でも、私はピンと来ました。この山は宮城県の太白山と同じ考えである事に。
それで八幡神社に参拝。更に上の石段を登ります。何かがある筈ですので。
そしたら何と古ぼけた平屋の小さな一軒家が。何だここは。社務所か。
神職は常駐していない。多分、祭りを行う時の神輿等々を収めている家と思われる。チョット複雑。小さな社が有ると思っていたのだが。
でも、流石にここは霊場。この一軒家から異様な雰囲気が感じる。どこかに社がある筈と思うのだが、探すのが怖い。躊躇する。退散だ。
硬い身体なので下りの石段は手摺に掴まりながら降りる。この急な坂も太白山そっくり。転びそうになりながらも何とか降りた。
さて、この船渡八幡神社を考察します。
由来は「文治年間、今から約800年前、太夫坂山上に鎮座。当時の山麓の住民は岩盤絶壁の地形から水の供給が困難だった。そこで同八幡神社に祈願したら、住民の一夜夢に官女が現れ、水辺らしき場所の大石に水をたたえ『この水上の水神ましませば、不浄はすまじきもの』と答えられた。翌朝、井戸から清い水が湧き出だ。この水を使うと諸病が平癒した。それ以来、海上安全、大漁満足、進学成就、諸病平癒の神様として信仰を集めた」です。
ここで疑問なのですが、船渡八幡神社の祭神は当然、誉田別命こと応神天皇です。応神天皇に祈願して何で官女が夢に現れるのだろうか。
それに水神のご加護で水を得られた。その水で病気も治る。これは武神である応神天皇のご加護とは大変恐縮ながら思えないです。
そして「船渡」の意味ですが、昔はこの八幡神社の前を境川が流れていた。その境川を船で渡って八幡様に参拝していたから、船渡八幡神社と呼ばれる様になったそうです。
ここにヒントが隠されていると思えます。
先ずは境川です。境川ですから境界線を示しています。だったら境界線の神が祀られている筈。
しかも水神の加護で清き水が井戸から湧いた。それなら水神か御井神が祀られているとも考えられる。
そして「船渡」の名から船戸神。つまり道祖神である久那戸大神の名が関連する。
全国的にも数社の船渡八幡神社が存在するが、八幡神と一緒に猿田彦尊が祀られているケースが見える。
ここまで考えると八幡神の下に久那戸大神系の神が祀られている可能性が高い。
水神と病気治癒のご加護で考えるなら、祓戸の神である瀬織津姫となる。四倉は港町だから速秋津姫か。
否、四倉には平将門公の娘・五月姫が修行した恵日寺がある。何れ説明したいと思うが瀬織津姫と考えた方が辻褄が合う。
どちらにしても境界線は霊場との境界。だから境川で身を清めて参拝していたのではないだろうか。
当時の境川は宮城県塩釜市の塩釜神社正面に流れていた祓川の役割を持っていたと考えられる。塩釜神社正面には祓戸社も鎮座している。その点を考えても瀬織津姫との関連が深いと思われる。
では何故、応神天皇以外の神が祀られていないのか。一番の理由は残念ながら忘れられたと考えられる。
二番目。四倉は東日本大震災の津波の被害が甚大であった。過去にも大津波が襲っていたと考えられる。現にいわき市の海岸線の神社の殆どは高台にある。それは宮城県、岩手県の海岸線の神社も同様。津波に流されない為に高台に鎮座させた意味合いがあると思える。
そして津波は神々の祟りとも考えられた。
これも何れ書きたいと思うが、塩釜神社の祭神が不明となったのも祟神故に別の神に名を変えられた。或いは武神を祀り、祟神を調伏した。それで本来祀られていた地主神の存在が消えたと考えられる。
船渡八幡神社も地主神である久那戸大神系の神を武神・応神天皇て調伏。地主神の名は消えて行ったと考えられます。
では船渡神社にはもう久那戸大神系の神は祀られていないのか。
私は今も祀られていると確信しています。何たって八幡神社の社よりも上の山頂に社務所??と思われる建物があったのだから。
そのどこかに久那戸大神系の社が鎮座していると考えます。太白山山頂の貴船神社の様に。
神社よりも上に家を建てるのは不届きな行為です。本来の地主神が今も存在しているから社務所的な建物が建っている。
そう私は考えております。
ではでは。