諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

神経が切れている人。

2018年09月20日 07時37分29秒 | 人生
前回、「血糖値が下がったのはシナモンのお陰だと思う」と題してブログを書きましたが、本当はこのタイトルで書いていて、途中、お題をシナモンに変えてしまいました。長くなりそうだったので。

話は「S内科クリニックへ血糖値の結果を聞きに行った」から、再スタートです。

私はバイクで転んで左の膝が痛い。不注意にぶつけたりしたら大絶叫の痛さです。

でも、それよりも深刻な事が。それは膝の感覚が薄れている。これは私の左の掌同様、神経が切れた可能性がある。相変わらず私はトラブルの連続。満身創痍だ。

ブルーな気持ちです。何時もブルーですが涙色のブルー。そんな気持ちで血糖値の結果を聞きに掛かりつけの仙台の中心部にあるS内科クリニックへ。

血糖値は下がった。下がると思っていた。でも、それ以上に膝が心配。人間、身体の感覚が無くなると言うのは結構辛いもんです。しょうがないですけど。

クリニックでは「頑張ったね」と超肥満体の先生に褒められましたけど気分はブルー。しょうがないけど。

先生は「デパスは何錠入りますか」。

私はいつも通り「六錠欲しいです」と。

デパスは精神安定剤なのですが、私は超注射恐怖症。注射の時、過呼吸に陥る。下手したら失神する。

子供の頃は大丈夫だったのですが、従兄が亡くなって直ぐに注射が怖くて仕方がない。人格が変わってしまったんでしょうね。

先生はデパスの使用を心配しています。精神安定剤は常習性が高いので。デパスも薬物中毒になる可能性がある。飲まないに越したことは無い。

そして「どっかの病院で使っているの」と質問。「6錠もいらないでしょ」と思っている様です。

私は「心が辛い時に飲んでいます。或る意味、デパスは私の守り神。有ると安心します」と。

私には心の辛さは色々とあります。一番は親の悩み。そしてやっぱり左の掌の鈍い痛み。しかも右足の膝もそうなる可能性がある。やっぱりブルーだ。

そこで何の気なしに聞いてみた。「先日、バイクで転んで運動も出来ない。そして右膝の感覚が薄くなっています。これって神経が切れたと言う事なんでしょうね」と内科の肥満体の先生に質問。

そしたら先生は「神経を痛めたのだろうね。元通りに戻るには半年から2年位かかるよ」と。

後日、整形外科にも受診したら「多少は薄れると思うが一生残る可能性がある」と言われた。私の経験則からそうなるだろうと思う。

でもS先生は2年で治ると言った。S先生の話なら信じられると思いながら、左の掌の怪我に付いても話した。治らない掌の辛さの為にデパスが必要だとの意味合いを知って貰いたくて。

そしたら先生は「神経は治らないよね。それはしょうがないよ」。

そして「僕も口の感覚が無くて食べ物を噛む感覚がおかしいんですよ。食べ物をボロボロこぼすんです。それで何時も妻に注意されるんですよ」と。

続けて「実は唇が取れた事があるんで、口の神経が切れているんです。これはしょうがないです」と。

「えっ、唇が取れた・・・」。私は軽い眩暈。こう言う話は大変弱い。だから注射恐怖症なのである。でも先生も神経が切れている苦しみと戦っていたとは。辛いだろうに。

何かアルマイトの弁当箱でドウタラコウタラと述べていましたが、唇が取れたとの話で頭の血液が炭酸状態になって思考は停止。アルマイトの弁当箱ごと食べて唇が取れたとか言っていた様な気がしますが、私は気が遠くなって失神寸前。フラフラしながらボーっとして聞いていました。

はぁー、しょうがないのか。神経を繋ぐ手術も難しいのだろうな。辛い人生なのに医者として働いている。立派だな。人間って人には言えない苦しみと戦っているものなのだな。この先生が肥満体なのはそのストレスと戦っているからかも。

案外、平然としていながら様々な怪我や病気と闘っている人がいるものです。

例えばタモリ。小学生の時、電信柱のワイヤーに目をぶつけ片目を失明している。若い頃、紅白模様のアイパッチを付けていたが、本当に片目が見えなかったとはショックだった。それなのにそんな暗さも見せない。タモリも立派だな。

不倫で非難されている乙武さんも立派。不倫は悪いけどそれしか楽しみが無いのであれば、しょうがないのかも。人間なのだから。

それに引き換え私は弱過ぎる。

神経が切れる。これも何かの意味が有るのかも知れない。この先生も口の神経が切れたから医学の道に進んだのかも知れないし。

私も切れた神経のせいで人の生きる辛さを理解出来るのかも。その部分は良かったのかも知れない。

鈍い痛みは死ぬまで辛さは続くだろうけど。それに耐えるのは並半端じゃ無いけど。


ではでは。

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血糖値が下がったのはシナモンのお陰だと思う。

2018年09月19日 10時08分56秒 | 糖尿病
前日、バイクで転んだのですが、一番のダメージは右膝です。兎に角、痛い。ぶつけたりしたら大絶叫。本当に痛い。

でも、もっと深刻なのは感覚が鈍っている点。痛いと言いながら変な話ですが、麻酔にかかっている様に感覚が鈍いのです。

私は左の掌を馬鹿げたことで深く切って、一生鈍い痛みと薄れた感覚になってしまったのですが、左の膝もそうなる可能性があると考えていたのです。

整形外科に行った時は気が付かなかったのですが、感覚が鈍くなると言うのは悲しいものです。かなりシンミリしています。

そして今日(9月10日)、血糖値の結果を聞く為に掛かりつけの内科へ。結果はヘモグロビンA1cは若干上がっていましたが、空腹時の血糖値は140台に低下していました。実はその結果、予想していました。

別に血糖値を下げる努力をしていた訳ではないです。それはヘモグロビンA1cの数値が物語っている。では、何で空腹時の血糖値が下がったのか。

理由はシナモンです。血糖値を測る前日、シナモンを5g程度採ったのです。

絶対下がると思っていました。結果、血糖値は170台から140台に下がった。

当然です。シナモンは薬よりも血糖値を下げる効果がある。これ、私の身体で実証済みです。

正直、シナモンは木屑ですので溶けない。だから食べずらいのですが、効果は抜群だと思います。

このシナモンの効能が広がったら、医薬品メーカーも真っ青ではないでしょうか。

否、医者も医薬品メーカーもそれを知っているが、自分の利益の為に黙っているのかも。

どんな世界でも自分の不利益になる事は知られたくない。これっ、社会の常識。知られては困ると思っている。だから黙っている。暗黙の了解で。

そんな風に思ったりしているのですが、次回は毎日シナモンを採って実験したいと思います。多分、ヘモグロビンA1cも下がる。

やってみます。2ヶ月後、結果をお知らせします。


ではでは。
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熟年ゲイカップルを見た。

2018年09月18日 10時21分30秒 | 出来事
9月8日土曜日、定禅寺ストリートジャズフェスティバル、やってました。

ジャズ好きなんですけど、直で聞くと皆さん、中々の下手さ加減なんです。聞いてて苦痛になる。どうしたもんか。ちょっくら寄るだけ寄ってみっか。

10時からの不動産賃貸セミナーに出て、現在お昼の12時。セミナー場の直ぐ近くの錦町公園へ向かう。大きな白いテントの中で何かやっている。覗いてみた。

何だこりゃ。まるで学芸会のコーラスみたいやんけ。下手だなぁー。うーん。

私はバリーマニロウのファン。バリーはファンが望んでいるからポップスやバラード歌っているけど、本来はジャズシンガーなのです。

バリーの「パラダイスカフェ 2:00AM」とか「スイングストリート」等々の名盤を聞いている私は耳が肥えている。皆、下手に聞こえる。ストレスを感じる。

それでなくてもバイクで転んで右肘擦傷、左親指突き指、左手首捻挫、右膝打撲大、左膝打撲小。そんなもんだから立ち上がると怪我した場所が床畳に接してかなりの痛み。歩くのも少々痛い。下手な音楽を楽しむ心境ではない。もう、帰ろう。

この錦町公園、以前ブログにも書いたが、土の下は人骨がザクザクです。元々は墓場だったので。

それが空襲でボカボカになり、そのまま埋めちゃって公園にしたみたいなのです。そんな罰当たり公園には居たくもない。直ぐにUターンして出口に。

そしたら居ました。年の頃は65歳前後のゲイのカップルが。

どちらも身長は175センチ前後、痩せ型、坊主頭。一人は色褪せた赤橙色のブカブカの短パンを履いている。白抜きの花柄模様の。

何でゲイだと分かったか。だって二人、手を仲良く繋いでいるんだもん。どう見てもゲイだよ。変なネックレスしてファッショナブルな格好しているし。

65歳位と書いたけど、正直、私より30歳以上年上の感じがする。私は万年26歳の感覚。だから大分年上に見えてしまう。ゲイが大人っぽく見えてしまう。

お爺さん同志なのに仲良く手を繋いでいる。微笑みあっている。幸せそう。堂々と二人の幸せを私に見せつけて歩いている。チョット羨ましいかも。

そう言えば私、中二の頃、学校帰り、仙台駅前のエンドーチェーン(現在はイービーンズ)の階段のベンチで缶コーヒーを飲み飲み座っていた。

そこに40歳前後の小男が私の前を行ったり来たりしている。「変な奴だ」と思っていたら声を掛けて来た。「良い身体しているねぇー、何かスポーツでもしているの?」と。

私は新聞配達はしていたが、これと言ってスポーツなんてやってません。新聞配達で「身体を動かす=お金」と心にインプットしているので、スポーツなんて損した気持ちになる。だから何もしてません。それでなくても新聞配達で疲れているし、寝不足だったので。

それで私は「いいえ」と。そしたら奴は聞いてきました。「ホモって知ってる」と。

そう、私はホモにナンパをされたのです。初ナンパがホモ。ねっ、私の人生、変わっているでしょ。狂っているでしょ。

私は「知りません」と答え、缶コーヒーをガブガブ飲み終え、釣り具売り場へそそくさと階段を上り逃げました。私の人生、ホモには用がないので。

そう言えば私、ホモっぽい人に何故か人気があった。S君、O君は私に親切だった。高校時代、何時もノートを見せてくれた。他の奴からノートを見せて貰ったら大変怒った。これってホモなんだな。私の事が好きなんだな。

でも私は未だに独身ですが、ホモッ気は全然ないです。

そう言えばバリーマニロウはゲイ。そのバリーのファンの私もゲイの気が有るのでは。

否、ないない。第一、私はどちらかと言うと人間嫌い。一人でいるのか好き。ホモである訳がない。

そう思い返しながら、またゲイのガップルを見つめる。本当に幸せそうだ。「好き合っている者同士、誰に憚るのか」とのオーラが出ている。清々しい愛の形だ。やっぱりチョット羨ましいかも。

人間歳を取るとホルモンのバランスが崩れる。男は男性ホルモンが減少。女は女性ホルモンが減少する。ホルモンの比率が変わる。

男は女に、女は男になる。オバさんの方がオジさんより男性ホルモンが多くなる。オジさんはその逆。段々と人格が代っていく。だから私はゲイカップルを羨ましく思ったのかも。

否、否、違う、違う。私は26歳。26歳から進歩していない。進歩していないから何時までも男っぽい。

男は本来は女々しい生き物。私は未だに女々しい。女々しいと言う事は男らしいと言う事。

私は変わっていない。否、変われなかった男。変われなかったから男の中の男なのだ。そして究極の男は何時もロンリー。一匹狼。ローンウルフなのだ。

ってな事、私の紫色の脳をショートさせながら想いを巡らせ、二人のゲイカップルを見送った。

ゲイではない自分に涙色の微笑みを浮かべながら。

さて、何故か眠たいから帰って寝よう。そうしよう。


ではでは。
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五月姫(如蔵尼、瀧夜叉姫)を尋ねて慧日寺(いわき市四倉)へ。【2018年編】

2018年09月17日 08時49分58秒 | 永井平九郎
タイトルを少し変えて続きます。

それから1年後。今年のお盆、また慧日寺に向かいました。ネットで調べたら確かに慧日寺は存在していました。昨年に参拝した盛り土の瀧夜叉姫の墓から500メートル離れている場所にありました。その慧日寺にも五月姫のお墓が存在しているみたいです。

今回は文明の利器であるスマートフォンを携帯しています。ナビが使える。間違いなく慧日寺に辿りつけれる筈。

結果、辿り付けました。去年、何度も行ったり来たりしていた場所でした。案外、小さなお寺でした。看板も分りやすい場所に出ていないから、昨年は気が付かなかった。早速、詣でます。

慧日寺には瀧夜叉姫終焉の地との石碑があります。拝んできました。でも何で瀧夜叉姫の墓が各地にあるのだろう。

福島県の小野町は小野小町の出身地とされているけど、秋田県とか各地にもその説はある。実際、小野小町の祖父は東北である陸奥の国に赴任していたらしいから、東北の各地に小野氏が住んでいたのだろう。

そして和歌が東北発祥とする説がある。元々は蝦夷の文化らしい。故に和歌を歌う美人の小野氏の娘は小野小町と呼ばれ、何人かいたのではないだろうか。

では平将門公の三女・五月姫の場合はどうか。

どこから現れたか分らない美しくも優しい尼さんがいた。元々は高貴な家柄の様だ。もしかしたら生き延びたとされる五月姫ではないだろうかとされたのかも知れない。だから瀧夜叉姫の墓が各地に存在するのではないだろうか。

「敗北」の意味は「負けたら北に逃げろ」と言う意味合いもあるらしい。事実、多くの者が北に逃げて来た。源義経だけでなく、蒙古襲来の時の蒙古も東北に逃げて来ている。平家の落人の伝説も東北には多くある。そして永井平九郎も、その母の桔梗姫も会津に逃げて来た。それどころかキリシタンも多く会津に逃げて来ている。

逃げて来た者を助ける。其れは蝦夷の文化であるが、徳一法師の教えが会津には色濃く残っていた。だから瀧夜叉姫の伝説が四倉と磐梯町の慧日寺に残っていたのかも知れないですね。

さて慧日寺の瀧夜叉姫の墓と金光寺の上にある瀧夜叉姫の墓。どうして近所に二つの墓があるのか。

分骨したとも考えられるが、何で分骨しなければならないのか。何で何も無い場所に盛り土の瀧夜叉姫のお墓があったのか。

ネットでも出て来ない。しょうがないので私が考えたのですが、瀧夜叉姫の墓は割りと近年出来たものと考えます。1200年前から残っていたとは考えられないので。

瀧夜叉姫が登場する善知鳥安方忠義伝は1806年に発刊しています。多分、それ以前は五月姫を瀧夜叉姫とは呼んでいなかった筈。其れなのに瀧夜叉姫の墓として存在するのであれば、近年に作られた墓と考えられます。それ以前に存在するのであれば、五月姫、如蔵尼の墓でなければおかしいので。

勿論、瀧夜叉姫の方が有名だから五月姫、如蔵尼の墓石が朽ちてから瀧夜叉姫と直した可能性もありますが。

何故、盛り土の瀧夜叉姫の墓が何故何も無いあの場所にあったのか。

あの場所はどうも古墳時代の墳墓が数多く残っているみたいです。聖地であり霊場だった。だから畑などに転用しなかった。そのままにしていたと思われます。

宮城県で墳墓がある場所は七ヶ浜や利府なんかがありますが、やはり開発はされずそのままにされています。墳墓の土地を再開発するなんて罰当たりな事はしてはいけない。だから今まで残っていたのだと思います。

その場に瀧夜叉姫として盛り土の墓を造った。それは古墳時代の墳墓の一つの象徴として造ったのだと思われます。瀧夜叉姫のモデルは間違いなく縄文の女神である瀬織津姫であるので。

その墳墓地帯に畏怖の念もあり瀬織津姫を祀った。瀬織津姫は境界線の神。墳墓はあの世と此の世の境界線。だから祀った。それが地元の伝説である五月姫と結びついた。

まだ確かな事は言えませんか、平将門公と瀬織津姫の関連も感じられます。だから娘の五月姫を瀬織津姫の生まれ変わり的に瀧夜叉姫として創造したとも考えられますし。

最後に昨年のネグリジェおばあさんですが、私が徐行しながら慧日寺方面からクルマで来た。そして慧日寺を訪ねた。慧日寺から来たのにおかしな事を言うと思った。そしてもしかしたら盛り土の瀧夜叉姫の墓を尋ねているのだと勘違いしたのではないでしょうか。

もしそうでなければ盛り土の瀧夜叉姫の墓は知らずじまいでした。知ってよかったと思っています。ネグリジェおばあさんに感謝です。

それと実は盛り土の瀧夜叉姫の墓等々写真も撮ってまいりましたが、写真を貼るのがめんどくさいのと、墓の写真を載せるのは私的に恐ろしいので再三考えましたが止めときました。

お手数では御座いますが、ご自分で検索していただき確認してみてください。


ではでは。
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五月姫(如蔵尼、瀧夜叉姫)を尋ねて慧日寺(いわき市四倉)へ。【2017年編】その3

2018年09月16日 14時02分34秒 | 永井平九郎
続きます。

家庭菜園だと思った場所。飾り門??を潜ると直ぐに盛り土が目に入った。芝生の盛り土だ。大きな饅頭の様な形をしている。周りには小さな花がポツポツと植えられている。洋花だろうか。

盛り土の手前に100均で売っている様な線香置きが有る。その両脇にも安っぽい花立??に花が刺してある。

そしてその線香置き場の上に何故か小さな女の子の人形の首が。何だこれゃ。

盛り土の脇の石碑には「瀧夜叉姫の墓 仏名・如蔵尼」とある。ここが五月姫の墓なのか。

盛り土の後ろの石碑には「嗚呼 瀧夜叉姫の墓」としつこく書いてある。嘘だろ、ふざけてる。

「瀧夜叉姫」の名は小説での名前。いくら瀧夜叉姫の名前が知れ渡っていると言って本名を墓に彫らず、小説での仮名を墓碑に彫るなんて何を考えているのだ慧日寺は。ちゃんと墓として認識しているのか。

五月姫の墓を客寄せパンダにしているのか。呆れたぞ、慧日寺よ。

あれれっ、そうだ。ここが五月姫の墓であるなら、その慧日寺はどこに行ったのだ。慧日寺に五月姫の墓が有るのはちゃんと調べて来た。間違いない筈。何でその慧日寺は無いのだ。

辺りを見渡す。広大な平地。ところどころ小さな植木が植えてあるが、不自然な程広い平地である。

これだけの平地であるなら何で畑を作らないのだろう。それ以前に何で木が生えていないのか。

四倉や久之浜はいわき市でも一番地震と津波の被害が酷かった。震度7だったとの話も聞いている。

ここに来る前にネットで慧日寺の写真は確認している。慧日寺が存在しているのは間違いない。

なのに五月姫の墓が有るのに慧日寺の建物が無い。それってもしかしたら地震で全壊となり取り壊されたのではないのか。

震災から6年半が経っている。ここも草ボカ状態。全然手入れがされていない。あり得る。慧日寺は震災で崩れ落ちて無くなったのだ。再建は不可能となり消えた。そうに違いない。

どうしよう。先ずはお参りだ。ここに五月姫の墓が有るのだから。

ここで、ふっと思った。墓参りなのだから白い菊の花と線香と水が必要。私は何時もの神社参りの感覚で小銭しか持って来ていない。失敗した。どうしよう。

「しょうがない。神社は神が鎮座する場所。墓もそうだ」と考え、線香置き場の前に小銭を置いた。その時、人形の首と目が合う。これってふざけているのか。でも、何かが宿っている感じがする。

私はこの人形の首を五月姫として拝んだ。「申し訳ございません」と。

私の家系を辿ると平貞盛が出てくる。従兄か従弟かは分からんが、平将門公のイトコである。仲が良かった。それでも戦った。そして平将門公を討った。

同じ家系。同じ血が流れているのに戦った。父の平国香が将門公に討たれたとしても非は平国香側にある。不在を良い事に将門公の領地を奪い、戻って来た将門公を待ち伏せして戦を仕掛けたのだから。

血塗られている。坂東平氏は富と権力ばかり考えている。だから滅びた。肉親同士で争ったら滅びるのも当然だ。馬鹿な一族だ。

その馬鹿の血が私に流れているのだろう。その因果は何時も感じている。私は加害者側の家系。私の家系のせいで五月姫は苦しんだ。面白おかしく瀧夜叉姫と呼ばれ、妖術使いの鬼女に落とされた。そうなったのも私の家系のせい。同じ血が流れているのに。

謝るしかない。それしかない。

私は土下座して拝み、立ち上がった。

それにしても、ここは本当に五月姫のお墓なのだろうか。

五月姫の墓は福島県磐梯町の慧日寺にもある。他にも存在する。本当にこの盛り土に五月姫の骨が埋められているのだろうか。

「嗚呼、瀧夜叉姫の墓」。「嗚呼」って「強く感動、感嘆」と言う意味。これって客寄せを狙っているのか。町おこしか。慧日寺の人気取りか。

五月姫は約1200年位前に亡くなっている。1200年間、ここに埋められていたのだろうか。何で盛り土の墓なのだろう。その時代の墓は盛り土だったのだろうか。

それより、本当に慧日寺はどこに行ったのだ。どうしよう、これから。

ここが本当に五月姫の墓なのかは不明だが、真摯な気持ちで五月姫に詫びた。今日はそれで十分ではないか。

また調べよう。そして時を改めて慧日寺を探そう。磐梯町の慧日寺にも行ってみよう。

まだまだ懺悔の旅を続けよう。それしか私にはないから。


【2018年編】に続く。








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