諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

五月姫(如蔵尼、瀧夜叉姫)を尋ねて慧日寺(いわき市四倉)へ。【2017年編】その1

2018年09月05日 08時28分40秒 | 永井平九郎
この話は昨年のお盆です。

私は永井平九郎の姉・・・・・になるのかは断言出来ませんが、平将門公の三女・五月姫。亦の名を如蔵尼。そして亦亦の名の瀧夜叉姫を尋ねて福島県いわき市四倉にある慧日寺を訪ねに行ったのです。

尋ねてと言っても当たり前ですが、お墓参りです。お盆ですので。

あっ、それと瀧夜叉姫の名は間違い無くフィクション。そんな名で呼ばれていた訳ではありません。

めんどくさいので調べませんが、罰当たりにも誰かが瀬織津姫をモデルにして、五月姫をオドロオドロしい妖術使いの復讐鬼に仕立てあげた物語の主人公です。

どうして五月姫に瀬織津姫を被せた物語が創られたのか。

簡単です。大昔から瀬織津姫の存在は神職に限らず民衆にも知られていた。有名だった。だから多くの物語や昔話に瀬織津姫がモデルの話が存在するのです。

どこの誰かが「瀬織津姫は隠された存在。消された存在。今こそ封印解除だ」とか寝惚けた事を言っていますが、そんなの大嘘です。

今までにも瀬織津姫のカテゴリーで語って来ましたが「瀬織津姫=神道」です。神道が続いていたと言う事は、瀬織津姫は隠されても消されてもいない。何を言っているのかと呆れます。

それなのに封印解除ってどう言う事でしょう。瀬織津姫が鎮座する神社を破壊するって事ですか。馬鹿ですか。

「もういい加減に瀬織津姫を妄想でトンデモナイ存在に仕立て上げて、詐欺商売をするのはよしなさい。本当に罰が当たりますよ」っと思います。

まっ、神道や瀬織津姫を全然理解していないからそんな事が出来るのでしょうけど、騙される方にも問題があります。少しは神道を学んでください。己の馬鹿さ加減が分って来る筈ですので。

さて、脱線終了。こんな事を書いちゃうと中々終わらなくなるので止めます。五月姫に戻ります。

あっ、それと瀧夜叉姫のストーリーや、何故に瀬織津姫がモデルなのかも長くなるので亦の機会に書きます。今回は五月姫への参拝記です。

五月姫のお墓が慧日寺にある。ある事はあるのですが、慧日寺は福島県の磐梯町と四倉の二つが存在しています。そしてそのどちらにも五月姫のお墓が存在する。これはどうしたもんか。

どっちが本家で元祖なのか。そんなの分らない。分っているのは徳一法師が逃げてきた平将門公の三女・五月姫を恵日寺で匿った。そして真面目に仏教へ帰依して行って如蔵尼を名乗ったと言う事です。

でも、平将門公は940年に亡くなっている。徳一法師は843年に死亡している。だから徳一法師が五月姫を匿ったのではない。徳一法師の教えを次ぐ者たちが匿った筈。

そして匿うとなると四倉は追っ手からは近い距離にある。 私が関係者なら磐梯町の恵日寺に匿うと思いますが、そんな事を考えると、またまた話は中断してしまいます。

今回は五月姫のお墓への参拝記。何れ磐梯町の慧日寺のお墓に参る事も有ると思いますか、今回は四倉の慧日寺を目指します。故郷いわき市平からも近いので。


続く。



コメント (2)
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